ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の好文

2024-09-30 21:35:43 | 水戸

 好文亭は、徳川斉昭が、好文木という梅の異名を名前にしたのだそうです。その「好文」という言葉はあちこちで使われているようです。

 

好文亭(常盤町1-3-3)
 好文木は、晋の武帝が学問に親しむと花が開き、怠ると開かなかったという故事から来た言葉だそうです。一張一弛の「一弛」の部分である偕楽園で、学問に関係した名前をつけるのもどうかと思いますが、たくさん植えられていて花の楽しめる梅の方に力点をおいたのでしょう。

 

好文橋(36°22'06.9"N 140°26'43.1"Eあたり)
 たぶん、ここから好文亭が見えるのでつけられた名前なのでしょうが、桜川にかかる橋です。平成3年の竣工で、画家の松平雪江による、常盤公園攬勝(らんしょう)図誌(明治18年出版)という偕楽園などの風景をまとめた本にある好文亭の遠景を含む風景画パネルがつけられています。

 

好文カフェ(千波町3080)
 千波湖畔にあるカフェです。白黒の白鳥シュークリームは、話の種になりそうです。屋上から見た千波湖の眺めはなかなかなものです。ギャラリースペースではときどき作品展示がおこなわれているようです。

 

好文亭表通り(36°22'35.6"N 140°27'00.8"Eあたりと36°22'43.7"N 140°27'29.6"Eあたりの間)
 通りの名前にも好文が使われています。写真は偕楽園の表門に通じる道路です。写真のあたり(36°22'35.6"N 140°27'00.8"Eあたり)は梅林坂というようです。また、好文橋のある道路(市道千波・御茶園線)は、好文橋通りというそうです。

 

好文碑(緑岡高校 笠原町1284)
 昭和57年度卒業生が寄贈した、8代篠田校長の書による「好文」の石碑がありました。

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水戸のペア

2024-09-29 22:26:50 | 水戸

ヒドリガモ(千波湖)
 ヒドリガモのつがいです。ヒドリガモの雌雄は外観を見るとわかるようで、写真右がオスのようです。

 

雛人形(水戸市立博物館 大町3-3-20)
 享保年間(1716-36)に京都で生まれて広がったという、享保雛のお内裏様です。童謡の「お内裏様とお姫様」という表現は間違いで、お内裏様は男雛と女雛をいう言葉だそうです。異論はあるそうですが。作詞したサトウ・ハチローは子供が歌うと、嫌な顔をしたと何かで見ました。水戸市立博物館の「水戸城下の雛まつり」に飾られていました。

 

仁王(仏性寺 栗崎町1984)
 仏を守護する神だそうです。金剛力士ともいわれ、サンスクリット語ではヴァジュラダラといって、「金剛杵(こんごうしょ)を持つもの」という意味がある言葉だそうです。口を開いた阿形(あぎょう)、口を閉じた吽形(うんぎょう)で一対になっているようです。山門内に置かれる場合が多いようですが、写真の仏性寺にある仁王は石製で、門外に置かれています。水戸の指定文化財だそうです。

 

狛犬(回天神社 松本町13-33)
 神社の参道などに置かれる狛犬は、寺社を守る霊獣だそうです。狛犬でも阿形、吽形なっている場合が多いようです。かつては、向かって右側が獅子像で阿形、左側が狛犬で古くは角のある吽形だったそうです。

 

ボチ(日吉神社 酒門町36°20'32.2"N 140°29'32.8"Eあたり)
 かつて、年末に神社で恵比寿・大黒の一対を授かって各家では棚に飾ったようです。年が終わって返却された恵比寿大黒像が、今も境内に残って並んでいることがよくあります。

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水戸のお札(ふだ)に書かれた言葉

2024-09-28 05:35:16 | 水戸

  道かどに立てられるお札には、特有な言葉が使われているようです。そのいくつかです。

 

御璽(筑地町36°22'08.3"N 140°22'46.4"Eあたり)
 加波山神社のお札です。「ぎょじ」と読むと天皇の印章ということになりますが、「みしるし」と読むようです。お札は神の力が宿る「御印(みしるし)」ということのようです。

 

神璽(春日天満神社 下国井町1574 )
 春日神社境内にある、春日天満神社のお札です。璽は、天子の印という意味のようですが、神様の印という意味でも使われるようです。

 

太告刀祈攸(下入野36°19'07.7"N 140°31'13.9"Eあたり)
 鹿島神社のお札です。「ふとのりと きゆう」と読むようです。太告刀(ふとのりと)の「太」は美称で、「告刀」は祝詞(のりと 神に対して述べる言葉)だそうです。祈攸(きゆう)は、祈るところという意味だそうです。

 

御祈祷大祓(五平町)
 愛宕神社のお札です。「ごきとうおおはらい」と読み、御祈祷は神様に祈りをささげることで、大祓は身についたけがれを払うことだそうです。

 

牘(大場町36°19'32.7"N 140°31'08.1"Eあたり)
 長福寺のお札です。牘は、音読みは「とく」ですが、訓読みは「ふだ(札)」のようです。大般若経という600巻のお経を、パラパラと転読することによるごりやくを配るお札ということなのでしょう。

水戸のお札(5)

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水戸藩主・徳川斉昭の歌(6)

2024-09-27 21:52:03 | 水戸

 徳川斉昭7回忌の手向(たむ)けに西野宣命らが編集した、景山詠草という歌集があるそうです。景山は斉昭の(あざな)だそうです。その中に恋部があるので少しご紹介します。
 斉昭は37人の子供を持ったそうですが、一方、烈公と諡(おくりな)されたように激しい気性の人だったようです。小倉百人一首は恋歌が多くて風教に益がないと、明倫歌かるたをつくったという人でもあったそうです。昔から和歌は想像で書かれたものも多いようですが、斉昭の場合、実事に即して気持を吐露している場合が多いような気もします。恋においても普通の人を超える数多くの体験をもっていたのでしょうから、案外実感が入っているのかもしれません。面白いなとは思いましたが、歌のできぐあいはどうなのでしょう。写真は、水戸市立博物館で見た、嘉永4年版大日本史100冊目末尾の跋文にある斉昭の名前です。

 

忍恋
 石の上 ふるき軒端(のきば)の 忍草(しのぶぐさ) しのひて(忍びて)おもふ 我そ(ぞ)久しき
 忍ぶ草のように私は忍んで長く人を想っているといったことなのでしょう。

 

逢恋
 もゝなりに いね(寝)て思へハ(ば) 沫雪(あわゆき)の とくるもうれし 妹か(いもが)下ひも
 想って数多く床を同じにしたが、沫雪のようにとけるあなたの下着のひもはうれしいものだといったところでしょう。

 

不逢恋
 我おもふ  心のまゝに 逢もせハ(ば) こひ(恋)を苦しき 物とし(知)らめや
 思いのままに会えば恋が苦しいものであることを知らなかったろうということでしょう。

 

後朝恋
 別(わかれ)にし 袖のなごりの うつりか(香)を 涙の雨に 洗(あらい)すてつる
 別れた人の袖の移り香を涙で洗い流したといったことでしょう。

 

顕恋
 しられし(じ)と 涙ハ袖に つゝめと(ど)も も(漏)りて浮きな(名)そ(ぞ) 世に立(たち)にける
 人に知られまいとしたが、浮き名は世間に立ってしまったといったことでしょう。

 

思恋
 もろともに 思え思はぬ ことそ(ぞ)なき あへるあはさ(ざ)る 夜ハあれと(ど)も
 二人が会わない夜はあっても、互いに思わない時はないといったことでしょう。

水戸藩主・徳川斉昭の歌(5)

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水戸の案内図

2024-09-26 21:33:22 | 水戸

  あると便利な案内図のあれこれです。

 

寺社
 水戸八幡宮(八幡町8-54)
 たいへん細かく、29の史跡等の表示をしています。写真中央下に見える、太郎坂側からのぼる石段と鳥居が、昔からの入口だそうです。

 

墓地
 常磐共有墓地(松本町13-34)
 常磐と酒門の共有墓地は、幕末維新時に活動した武士たちの墓が集中しているようです。当時を思いつつ、案内板を頼りに墓を見てまわるのは、歴史好きにとって大きな楽しみでしょう。

 

史跡
 弘道館(三の丸1-6-29)
 今に残る弘道館の史跡を中心にした案内図のようです。昭和20年の空襲の際には、南町の住民がピッケルを使って火災をくい止めたという逸話もあったそうですが、弘道館は戦災をまぬがれたようです。弘道館鹿島神社孔子廟の間に斉昭筆の要石の碑があるようです。

 

公園
 百合が丘公園(百合が丘町10-43)
 百合が丘団地に接した低地一帯を公園化したようです。夏などは、木立と低地であることによっておこるらしい涼しさを満喫できますし、いつも台地あたりより少しだけ遅れた季節が見られるようです。樹木が多く、上り下りを楽しみながらの、森林浴ができます。ギンリョウソウ、キンラン、ウグイスカグラなどを見ました。最近ナラ枯れで、ブナ科の樹木が相当伐採されているようで、仕方ないのですが残念です。

 

学校
 茨城大学(文京2-1-1)
 昭和24年に水戸高等学校を母体に、茨城師範学校等3校を統合して創設された国立大学だそうです。人文社会科学部、教育学部、理学部、工学部、農学部があるそうです。私が案内図を見るのは学園祭・茨苑祭(しえんさい)の時だけのようです。

 

団地
 けやき台団地(けやき台)
 中央あたりにけやき台中央児童公園がある、平成5年に整備された団地のようです。この案内図は、家の番号のみが表示されています。以前の団地では、居住者名の入った案内図が普通だったようで、今もあちこちで見かけますが、最近のものには見られなくなったようです。

 

流通センター
 水戸西流通センター(木葉下(あぼっけ)) 昭和62年ごろに水戸市西側に開業した、流通センターのようです。この年には、国鉄が分割されてJRが発足したり、ブラックマンデーというニューヨーク株式市場の暴落などがあったようです。この工事で、須恵器や台渡里廃寺の瓦を焼いた登り窯の窯跡である木葉下遺跡が発掘されたようです。

 

駅周辺(36°22'11.8"N 140°28'34.7"Eあたり)
 水戸駅南口にあるペデストリアンデッキとその下あたりの案内図です。点字がほどこされていて、目の見えない人にも役に立ちそうです。ここには、広域、近辺、南口を表示した3種類の案内図があって便利です。

水戸の地図(3)

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