帰宅難民になりました ~東京~
地震のあと、東京の交通は、すべて機能せず、鉄道はもちろんのこと、首都高・高速道路も通行止めになり、道路も大渋滞となり、完全に麻痺してしまいました。
私といえば、自宅まで10kmくらいなので、徒歩で帰ることにしました。
徒歩と言っても、大きめに作ってある歩道も、信号待ちのあいだには、人が溢れていました、
普段、都心部は、地下鉄の駅から、そのまま、太陽光線を一度も浴びないで、帰宅できる人も少なくないのです。
その人たちも、含めて、こんなに、人々が働き、地下鉄を利用して、首都高を使って、この都心に集中していることが、わかりました。
私は、歩きます。
ヘルメットをかぶって、非常袋を背負った人たち、そして、女性も、同じように白いものやら、黄色いものをかぶって、歩いてます。
その日は、寒風が強く、耳がちぎれるような感覚になり、特に、風の強い橋(2kmもある)の手袋をした手で耳を塞いで、頭痛にならないように、進みました。
ただ、心残りは、その橋の上で、年を召した女性が、寒さの中、懸命に歩いているのですが、前になかなか進めず、介護している人に引っ張られているのを、何もできず、風景の一部として見過ごしてしまった自分に、嫌な気持ちが残ってしまいました。
なんとか、履きなれない通勤靴で、10kmを走破し、(万歩計によると、13000歩)、我が家の安否を確認できてほっとしました。
通勤靴では、歩き方が悪いのか、筋肉痛になったのは、仕方の無いことです。
地震のあと、東京の交通は、すべて機能せず、鉄道はもちろんのこと、首都高・高速道路も通行止めになり、道路も大渋滞となり、完全に麻痺してしまいました。
私といえば、自宅まで10kmくらいなので、徒歩で帰ることにしました。
徒歩と言っても、大きめに作ってある歩道も、信号待ちのあいだには、人が溢れていました、
普段、都心部は、地下鉄の駅から、そのまま、太陽光線を一度も浴びないで、帰宅できる人も少なくないのです。
その人たちも、含めて、こんなに、人々が働き、地下鉄を利用して、首都高を使って、この都心に集中していることが、わかりました。
私は、歩きます。
ヘルメットをかぶって、非常袋を背負った人たち、そして、女性も、同じように白いものやら、黄色いものをかぶって、歩いてます。
その日は、寒風が強く、耳がちぎれるような感覚になり、特に、風の強い橋(2kmもある)の手袋をした手で耳を塞いで、頭痛にならないように、進みました。
ただ、心残りは、その橋の上で、年を召した女性が、寒さの中、懸命に歩いているのですが、前になかなか進めず、介護している人に引っ張られているのを、何もできず、風景の一部として見過ごしてしまった自分に、嫌な気持ちが残ってしまいました。
なんとか、履きなれない通勤靴で、10kmを走破し、(万歩計によると、13000歩)、我が家の安否を確認できてほっとしました。
通勤靴では、歩き方が悪いのか、筋肉痛になったのは、仕方の無いことです。