20数年前、公立の進学校へ進み、そして目的もなく流されて生きていた。
これから、何をしていいかわからず大人の階段を上ろうとしていたのは「入学試験の頃」だった。
私の高校時代は、勉強はあまりせず、授業についていけなくなってはいたが、部活動やバイクを乗ったりで、私なりに楽しく過ごしていた。
でも、高校3年生となると、次第に「大学受験」という大きな壁が立ちはだかってきた。
進学塾へ行く人、家庭教師を呼ぶ人、「打倒○○大学」公言する人など目前に近づいてくるのがいやがうえにもわかりました。
2学期になると、昼休みや休み時間も参考書・教科書を広げる人も現れ、私もこの波にもまれ、遅まきながら11月から本格的な受験勉強を始めたのでした。
学校のある平日は5時間、休日は12時間を黙々と続けたのです。
トイレの中にも「でる単」を持ち込むなど、生活のほとんどをそれに費やしてきました。
そして、2月に入ると、高校の仲間たちが、入学試験という壁にぶつかっていき、厳しい現実を突き当たるのです。
私は、母校の評価として中堅の大学(第3希望)に合格することができ、葛藤はありましたが進学を決定したのです。
その後も、目的もなく流され、自分とはなんなのか見出すことができない日々が続きました。
今でも、私は、「自分」というものを完全に見出していません。
そして、これからもその「自分」と付き合い、仲良くしていかなければなりません。
そろそろ向こうから、おぼろげながら、勝ち続けなければいけない相手がまた見えてきているような気がします。
今の心境に共鳴した
尾崎豊「僕が僕であるために」の楽曲を失礼ながら抜粋させて頂きました。
僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない
正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで
僕は街にのまれて 少し心許しながら
この冷たい街の風に歌い続けてる