今日8月6日の広島は、66回目の原爆忌を迎えた。
昭和20年(1945)8月6日の今日、中部太平洋のテニアン基地から飛来した米戦略爆撃機B29エノーラ・ゲイは、午前8時15分17秒、広島に原子爆弾(リトル・ボーイ)を投下した。
リトル・ボーイは爆弾倉を離れるや横向きにスピンし、ふらふらと落下した。間もなく尾部の安定翼が空気を掴み、放物線を描いて約43秒間落下した後、高度約580mの上空で核分裂爆発を起こし一瞬にして広島を廃墟の町に変えた。
爆心地から半径500mにいたほとんどの人々が即死し、当時の広島市には35万人(推定)の人が居たが、うち約14万人がこの一発の原爆で死亡したとされている。
今朝は、式典会場である平和記念公園には約5万人が出席した由。
松井一実・広島市長は平和宣言で「今なお続いている放射線の脅威は、原発に対する国民の信頼を根底から崩した」と指摘、早急にエネルギー政策を見直し、具体策を講じるよう日本政府に求めた。
また、式典では、松井市長と遺族代表2人が、この1年に亡くなった被爆者ら5785人を登載した原爆死没者名簿を、原爆慰霊碑下の奉安箱に収めた。
今日の式典はひとり広島だけのものではなく、核の根絶は全人類の願いであり、
広島・長崎の輪を全世界に広めてゆかねばならない、と痛感した次第である。
黙祷・合掌
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