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昭和の時代を振り返る-18(昭和15年-③)

2014-09-27 15:52:20 | 昭和史
昭和15年は【紀元2600年】で節目の年である。

この日、全国の神社で臨時祭典が開かれている。
その際、「浦安の舞」を奉納するようにとのお達しも出ている。

浦安の舞とは、昭和天皇の「あめつちの かみにそいのる あさなきの うみのことくに なみたたぬよを」に舞をつけたものである。

街には奉祝の花電車 が走り、提灯行列や旗行列で盛り上がる中、お祭り騒ぎは11月14日までの5日間続いたとある。

以下、式典の様子である。
早速「政府主催式典」会場うより録画中継である。 

昭和15年11月10日、皇居外苑で「紀元二千六百年式典」が開かれている。
式典には、勲1等以上の男子であれば、フロックコートかモーニングで参加することが条件。
高等官1等以下ならば、紋付き羽織袴でOK。 軍人であれば、軍装の上、勲章や記章をつける。

まずは当日の式典・式次第である

 一.整列(式典中全員起立) 参列者一同
 一.天皇皇后両陛下出御  奏楽「君が代」 陸軍軍楽隊、海軍軍楽隊
 一.諸員最敬礼
 一.国歌「君が代」奉唱  参列者一同、陸軍軍楽隊、海軍軍楽隊
 一.寿詞(よごと)奏上  内閣総理大臣(近衛文麿)
 一.勅語を賜ふ
 一.紀元二千六百年頌歌斉唱 東京音楽学校生徒、陸軍軍楽隊、海軍軍楽隊
 一.万歳奉唱「三声」  参列者一同
 一.諸員最敬礼
 一.天皇皇后両陛下入御   奏楽「君が代」 陸軍軍楽隊、海軍軍楽隊
一.散会

〇寿詞(よごと)奏上 内閣総理大臣(近衛文麿)
<臣(しん)(ら)更に遠く心を肇国(ちょうこく=建国)の淵源に馳せ、思を創業の雄図に致し、感激益々深し……

○紀元二千六百年式典ノ勅語
 茲(ここ)ニ紀元二千六百年ニ膺(あた)リ百僚衆庶(しゅうしょ)相会シ之レカ慶祝ノ典ヲ挙ケ以テ肇国ノ精神ヲ昂揚セントスルハ朕深ク焉(こ)レヲ嘉尚ス
 今ヤ世局ノ激変ハ実ニ国運隆替(りゅうたい)ノ由リテ以テ判カルル所ナリ爾(なんじ)臣民其レ克(よ)ク嚮(さき)ニ降タシシ宣諭(せんゆ)ノ趣旨ヲ体シ我カ惟神(きしん)ノ大道ヲ中外ニ顕揚シ以テ人類ノ福祉ト万邦ノ協和トニ寄与スルアランコトヲ期セヨ

○紀元二千六百年頌歌 
 ♪遠(とほ)(すめろぎ)の かしこくも  はじめたまひし 大(おほ)大和(やまと)
  天(あま)つ日嗣(ひつぎ)の つぎつぎに  御代(みよ)しろしめす 尊(たふと)さよ
       仰(あふ)げば遠し 皇国の  紀元は 二千六百年~

翌日は同じ会場で、奉祝会が開かれている。君が代斉唱、高松宮殿下による「奉祝詞」奉読、天皇勅語の後、宮内庁楽部による舞楽「悠久」奏楽の中、祝宴が開かれ、祝宴が終了すると、全国から集められた3000人の子供たちが 國民奉祝歌「紀元二千六百年」 (「紀元二千六百年頌歌」とは別歌)を斉唱、最後に「天皇陛下万歳」で閉会している。

○奉祝國民歌「紀元二千六百年」
紀元2600年奉祝の公式曲は「紀元二千六百年頌歌」であるが、一般向けの奉祝歌は行進曲風の「紀元二千六百年」である。これは当時ラジオから毎日のように流れ、大流行している。詞も曲も公募によるもので、1万8000以上の応募作の中から選ばれた曲である。

○内閣奉祝會撰定/紀元二千六百年奉祝會・日本放送協會制定
      (増田好生 作詞/森義八郎 作曲)

 ♪金鵄(きんし)輝く日本の 榮(はえ)ある光身にうけて
   いまこそ祝へこの朝(あした) 紀元は二千六百年   
          あゝ 一億の胸はなる~
  

※我々が うっすら覚えてるのが この歌である。
そして歌詞にある金鵄(きんし)とは、古事記・日本書紀に出てくる“金色のトビ”のことで、神武天皇の東征に際し、敵の眼をくらませ勝利に導いたという伝説の鳥のことだそうな。

この国家的大祭典も、11月15日には「祝ひ終つた さあ働かう!」のポスターが貼られ、巷では、戦局の悪化とともにいちじるしいインフレに見舞われていた当時の世相を反映して、庶民の想いは、次の替え歌で如実に表れている。

   ♪「金鵄」上がって15銭  栄えある「光」30銭
     今こそ来たぜこの値上げ  紀元は二千六百年   
         あゝ 一億の民は泣く~ であった。
         

注:「金鵄」「光」は、当時のタバコの銘柄にもあった

この先、世の中は急速に暗い時代になって行くのである。

独断と偏見で綴る 昭和15年である。

つづく

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