禅的哲学

禅的哲学は哲学であって禅ではない。禅的視座から哲学をしてみようという試みである。禅を真剣に極めんとする人には無用である。

ひまな人だけ読んでください

2020-04-13 10:32:03 | どうでもいいこと
  NHKを見ていると、渋谷の街の中継がよく出てきます。それで昨日は「渋谷109」が映っていたんですが、その時なぜか唐突に、この『109』って「とう・きゅぅ(東急)」のことだと気がついたんです。これって意外と気がついていない人が多いのではないでしょうか? この(自称ですが)勘の鋭い私が何十年間も気がつかなかったくらいですからね。えっ、そんなの常識ですって、ああ、そうですか。 


 上の写真は、長野県松本市の中心街にある橋のたもとにある信号なんですけどね、どうしてこんな写真を載せたかと言うとですね、私は半世紀前に松本に住んでいたんです。それも5年間も。大学生だったんですけどね。普通は4年のところつい5年かかってしまいました。ま、それはどうでもいいんですが、つい最近までこの橋の名前は「ちとせばし」だとばかり思っていたんです。それがこの前、この標識を見て間違っていたことに気がついてしまったのです。半世紀も間違ったままでした。私は勘は鋭いんですけどね、ちょっと迂闊なんです。
 
 話は変わりますが、最近東京新聞に面白いコントが載っていたのでご紹介します。先日、コロナで自粛ブームの中、安倍昭恵夫人が芸能人と“桜を見る会”を開いたと言うので批判されておりました。その時の安倍首相の弁解が、
 
  「妻は花は見ましたが、花見はしておりません。」
 
これ、なかなか面白いですね。首相主催の「桜を見る会」を巡り、安倍さんが追及されてた折に、「幅広く募ったが、募集はしていない」と言いましたが、そのもじりですね。なかなか応用範囲が広いと思います。皆さんも工夫してみて下さい。
 
 政府のコロナ対応を見ていると、なんかうんざりして頭が働きません。つい、しょうもないことを書いてしまいました。
コメント (3)
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