禅的哲学

禅的哲学は哲学であって禅ではない。禅的視座から哲学をしてみようという試みである。禅を真剣に極めんとする人には無用である。

むもん法話集より

2018-08-15 16:10:06 | 雑感

故山田無文老師は日本臨済宗を代表する名僧にして講話の名手でありました。生前は日本中をまわって講話をされました。私も二度ほど実際に聴いたことがあります。本日は「むもん法話集」の中の話を一つ取り上げたいと思います。 

一時期「日本のヘレン・ケラー」と言われた中村久子さんのお話です。老師がこの話をされますと、大の男でも泣いてしまうほど感動してしまいます。

彼女は3歳の時にかかった凍傷がもとで 特発性脱疽となり、両手両足を失います。手は肘まで、脚は膝くらいまでしかなくなってしまったのです。貧しい畳屋の娘に生まれますが早くに父親が亡くなり、母親は同じく貧しい畳屋に後沿いに行きます。久子さんとしては当然肩身の狭い境遇であります。継父には「家にはいらん子がおる。穀つぶしがおる。」とよく言われたそうです。体裁が悪いということで、人目に触れぬように屋根裏へあげて放っておかれたこともあったようです。 

その頃の日本はまだ貧しく福祉もなかなか行き届きません。学齢期になっても彼女を引き受けてくれる学校はなかったのです。家で義兄や義姉のお下がりの本で勉強し、鉛筆や筆を口にくわえて字を書く練習をしました。 

久子さんのお母さんはすごく厳しい人だったようです。自分なきあとの娘の行く末を慮ってか娘には何でも自分でやらせようとしたようです。人間の努力というものはすごいもので、裁縫や縫物、掃除と身の回りのことは大抵できるようになりました。でも指のない彼女になかなかできなかったのが火をつけることです。細かい作業は口でやっていたのですが、マッチ棒を口にくわえて擦ると息ができません。息を吐くと火が消えるし、吸うと火を吸いこみます。すこし顔を動かしただけですぐ顔に火がかかります。

お母さんは「自分の炬燵の火くらい自分で入れなさい。」と言います。娘は「お母さん、これだけはできません、堪忍して下さい。」と言いましたが、「できんことはありません、幾月かかってもよいから、できるまでやりなさい。」と返されます。

工夫に工夫を重ね何千回も失敗しながら、とうとう自分でマッチを擦りその火を七輪の紙くずにつけ、火を起こしてたどんに火をつけて、それを肘までの手にはさみ、炬燵に入れるまでにやり遂げたそうです。 

臨済宗では公案といういわゆるお題を師家から与えられます、大概はわけのわからん内容のものです。公案をもらったら、今度はそれを「工夫」すると言います。実は、久子さんが「炬燵に火を入れる」という課題に取り組むその「工夫」は公案に対するものと全く同じなのです。「指を使わずに炬燵に火を入れよ」という絶対不可能性、それは公案の構造そのものであります。不可能であろうと何であろうと、それを突破せねばならないのが公案であります。何千回も無心にマッチを擦ろうと試みる、禅者がこの話に格別の共感を覚えるのはこういう所にあります。いたいけな少女が最難関の公案に挑みかつそれをやり遂げる、禅の大家である無文老師が彼女にこの上ない尊敬の念を注ぐ理由であります。

彼女のお母さんもまたすごい人であります。大概の人はここまで心を鬼にはできません。自分の手で炬燵に火を入れてやった方がはるかに自分は楽です。「どうせあんたには無理だわよ」というような親や教育者の態度がどれだけ子供の可能性を摘んでいるかもしれません。考えさせられる話であります。 

彼女は19歳の時に見世物小屋に身売りされます。「ダルマ娘」という触れ込みで、不自由な手で裁縫し、口に筆をくわえて字や絵を描くところを見せるのです。「ダルマ娘」という呼称には嘲笑と蔑みが含まれています、彼女とてこのんで選んだ道ではありませんがそれ以外に自活の道はありませんでした。 

やがてある雑誌に投稿した手記によって、彼女の存在が広く知られるところとなり、方々から講演の依頼が来るようになります。それをきっかけに彼女は嫌だった見世物から足を洗い、全国で講演をして回るようになります。しかし、この講演生活はどうも彼女の性にあわなかったようです。今まで地を這いずるようにして真剣に生きてきた彼女にとって、他人様より高い所に立って話をする自分の中に湧きあがる傲慢さに我慢ならなかったと言います。彼女は悩みやがて歎異抄に出会いそして親鸞に傾倒して行きます。 

≪ 与えられた境遇より他に、如何とも出来ぬ私でした。それより他に致し方のない自分なのでした。自己をはっきりと見せて下さった。そして、自分の行くべき道を法の光に照らして下さった親鸞様。爾来(じらい)、私の崇拝の的は人間親鸞様であります。業(ごう)のある間、何十年でも見世物芸人でいいではないか。やめろと、仏様がおっしゃるときが来たら、やめさせてもらえばよい。来なかったら業の尽きるまで芸人でいよう。こうした決心がついたら、煮えたぎっていた坩堝(るつぼ)は坩堝(るつぼ)のまま坩堝(るつぼ)でなくなりました。≫ (自伝『無形の手と足』より)

「坩堝は坩堝のまま坩堝でなくなりました。」

 世の中にはすごい人がいるのもであります。

コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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ありがとうございました。 (〈ゴマメのばーば〉)
2018-08-15 21:29:57
こんばんは。
「坩堝は坩堝のまま坩堝でなくなりました。」
すごい言葉だと、感じ入りました。
ありがとうございました。
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re:ありがとうございました。 (御坊哲)
2018-08-16 08:04:33
「坩堝は坩堝のまま坩堝でなくなりました。」というのは、まさに道を究めた方の言葉ではないかと思います。親鸞と中村さんの純粋さが時空を超えて響き合ったということではないでしょうか。

しかしながら、中村さんに対してあまりに過酷な苦難を強いた我々の社会の無理解と貧しさを考えると手放しに賞賛できる話ではないということも忘れたくないものです。
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