禅的哲学

禅的哲学は哲学であって禅ではない。禅的視座から哲学をしてみようという試みである。禅を真剣に極めんとする人には無用である。

永劫回帰と無常

2023-05-22 09:36:23 | 仏教
 永劫回帰(永遠回帰とも言う)というのはニーチェの考えだしたことである。彼はこの世界が有限であると考えていた。世界が有限であれば、その世界を構成している要素も有限であるはずである。要素が有限であればいかにそれが膨大なものであってもそれらの組み合わせのバリエーションは有限である。ところが時間は無限だから、世界は同じことの繰り返しにならざるを得ないというのである。つまり私は今までに、無限回生まれ無限回同じ人生を送り無限回死んでいる、ということなのである。

 宇宙が有限であるかどうか時間が無限であるかどうか、それはわれわれの経験が及ぶところではないので知ることは難しい。例えニーチェの考えるように、宇宙が有限で時間が無限であったとしても、エントロピー増大の法則を知っている人ならば決してニーチェの考えている通りにはならないと考える筈だ。現在の宇宙は物質やエネルギーが偏在しすぎているので定常状態にあるとは考えにくい。それともう一つ、私と全く同じ肉体を持ち、全く同じ考えを持ち、全く同じ生涯を送った、そういう人間をすべて同じ人物とみなせるかどうかは疑問である。もちろん他者から見れば、同一人物にしか見えないだろうが、重要なのはその人にとって自分自身であるかどうかである。この件については過去にも論じたことがあるので参照していただきたい。( ==>「自分自身を同一視(identify)出来るか?」)
 
 揚げ足取りはこのくらいにして、ニーチェの真意に沿って考えてみたい。彼の言いたかったことは仏教の無常観に通じるところがあるような気がするのである。同じことを繰り返すというのは無常とは相反するような気がするが、無目的的であるということにおいては通底している。「変化し続ける」と「繰り返す」という違いはあるが、ただ自然法則に従っているだけで行き着く先というものがない。つまり、彼岸もなければ救済もない、我々はつねに過渡的で偶然的な運命に翻弄される卑小な存在でしかありえない、というニヒリズムがそこにはある。そういう意味で永劫回帰と無常は同じなのである。

 楽しいだけの人生を送る人もたまにはいるかもしれないが、大抵の人の人生には多くの苦渋が満ちているものである。その同じ人生を永遠に繰り返す、想像するとめまいを起こしそうなアイデアである。ニーチェはそれら全てを肯定的に受け止めよと言う。ここまでは仏教の出発点とほぼ同じである。そしてこの辺から仏教とは少し違ってくるのだが、ニヒルな世界に意義を見出す動機となるものが「力への意志」であると、ニーチェは言うのである。力への意志とは、強さ、美しさ、賢さ、快さ、気高さ、というような自分の精神をより高揚させるものを肯定し、一切の妥協を許さずそれを希求し続けるそういう姿勢のことである。妥協を許すというのは力への意志の否定であり、ほどほどで満足するというのは、己よりも更に弱い者を見て相対的にルサンチマンを晴らして自分の生に意義を見出すという弱者の論理である、とニーチェは言うのである。 ニーチェの思想はつまるところ一切の自己否定をせず欲望全開というところに行きついてしまう。かなり危険なものであるが、自分自身に対して誠実であるという面において、昔から若者には一定の人気がある。しかし、それは本当に自分自身に対して誠実と言えるのだろうか? 神のいない世界がニヒルであるなら、生きる意味を自分の内側に求めたことは理解できる。しかし、「力への意志」と言揚げした時点ですでに少し肩に力が入り過ぎているように思えるのである。
 
 では、仏教徒はどのようにしてニヒリズムを克服したらよいのだろうか? 「一切皆空」がスローガンであるから、むしろ「世界はニヒルだ」と言っているようなものである。なんかちょっと難しい。この辺が仏教の理解されにくい点だと思うが、「一切皆空」というのは、この世界に対し余計な意味付けをしないという意味である。ただ虚心坦懐に世界を見つめるだけで、この世界に意味があるかどうかは自己の内なる自然が決めるということなのである。「あるがまま看よ」というのはそういう意味に他ならない。栂ノ尾の明恵上人がある時道端のスミレの花を見て感動し落涙したという故事がある。一輪の野のスミレがそこに咲いている、そこにどのような力が働いているかは分からないが、それは偉大な奇跡ではないかと明恵は言うのである。「柳は緑花は紅」とは何の変哲もない当たり前のことである。その当たり前のことが尊いと私たちの内なる自然が云う、と明恵は説くのである。

 明恵ほどの修行をしていないわれわれは涙を流すほどのことにはならないかもしれないが、彼の感動をある程度理解できる。野のスミレが美しい。私たちはそういう世界の中にいる。やはり、人生は生きるに値すると思う。


わが家に遊びに来るスズメ
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