「9条を守れ」というような主張をしたら、ある若い人から「あんたお花畑か?」と言われた。どうやら、お花畑でおとぎ話を語っている現実離れした爺さんというような意味らしい。台頭する中国の脅威に対して、無防備でいることは非現実的だというのである。
しかし、九条の成立した状況を思い返してもらいたい。日本が第二次世界大戦で完膚なきまでに打ちのめされた、その生々しい記憶があってこそ、不戦の誓いを立てたのである。いかなる戦争も愚劣であるという現実を思い知らされた。九条はおとぎ話とはかけ離れた最も現実的な判断だったのだ。
私にはむしろ、北朝鮮がミサイル実験をしただけで、Jアラートなどという訳のわからないものを発して大騒ぎする、そんな「戦争ごっこ」のほうがよほど非現実的に見える。口先だけ危機意識をあおっても、とても真剣にやっていることとは思えない。見ていてなんだか恥ずかしいような気がしてくる。
危機を煽り立てる方はいつでも手を変え品を変え適当なことを言ってくる。
私が子供の頃は「ハリネズミ防衛論」というようなことがよく言われた。ハリネズミは普段は人や動物に積極的に危害を与える存在ではないが、肉食獣などに襲われると身体を丸めて体表にある「針」を広げ自分の身を守る。強くはないが手を出すと痛い。攻められれば、相手も多少のダメージを受ける程度の、最小限度の軍備を備えようという考えである。それがいつのまにか、明らかな憲法違反である航空母艦まで持とうという話になっている。
1970年代後半からはソ連による北方の脅威ということがよく言われたのを記憶している。「1987年には、ソ連が北海道に進行してくる。」というようなうわさも流れた。しかし、「一体何のために?」というような研究が真剣にされた様子はない。結局、そのような脅威はソ連崩壊とともにうやむやになってしまった。
しかし、危機のネタというものは尽きるということはない。1990年代から急速に尖閣諸島問題を中心に中国の脅威というものがクローズアップされるようになった。しかし、私見を言わせてもらえば、中国に武力で対抗しようというのはナンセンスである。そういう発想では、いずれ強大化する中国のプレゼンスに圧倒されて、無力感を味わうことになってしまうだろう。
日本一国では中国に対抗できないから、日米安保にすがろうということなのだろうが、中国の国力がアメリカのそれを凌駕するのは時間の問題である。トランプは「日本が他国に攻められたら、アメリカは第三次世界大戦も辞さない。」と言っているが、そんな言葉を当てにしてはならない。アメリカは強大な中国と本格的な戦争をする意志はない、と考えるのが「現実的」である。
日米安保はそもそも日本を防衛するためのものではない。アメリカの世界戦略のために日本に米軍基地を確保しておく、というアメリカ側の要請によるものだということを忘れてはならない。お人よしの日本は、アメリカ様に日本に居ていただくために、毎年2千億円もの「思いやり予算」を支出している。こんなムダ金使うくらいなら、例えば、その金を中国からの留学生受け入れのための費用に使えばどうだろう。2千億もあれば優に5万人位は受け入れらる。その中には中国政界の有力者の子弟もかなりいるはずで、それが有事の際の人質にもなる。手厚くもてなせば中国の指導者に親日家が多くなるだろう、それが何よりの安全保障になる。
コスタリカも平和憲法を持っていることが知られているが、こちらの方は日本と違って本当に軍隊がない。周辺諸国もコスタリカが軍備を持っていないことの価値を知っており、それを尊重している。周辺諸国の理解なしには平和憲法は維持できない。日本の残念なところはそのための外交努力をしてこなかったということである。周辺諸国にとって、日本が軍備を持っていない方が安心なはずだ。そのことに対する理解を深める努力はもっとするべきである。
現実はどうだろうか。本来なら友好国であるはずの韓国軍から偵察機にレーザー照射でロックオンされる始末である。「なめられてたまるか」と言う前に、近隣諸国に日本の友と言える国がないという深刻な事実に目覚めるべきである。同じ敗戦国であるドイツはその点涙ぐましい努力を続けてきたと言える。今では、フランスをはじめとする近隣諸国との確固たる友好関係を築いている。もって範とすべしである。
とにかく我々は戦争放棄を決意して、それを国是としたのだ。それを守り抜く努力を一度もしないで、アメリカの尻馬に乗ってばかりいる。そんな国を誰が信用するだろうか。
6月28日 梅雨の晴れ間に富士山が見えた。
確かにそういうことが言える面はあると思います。
しかし憲法改正は、民主主義のなんたるかをもっと徹底した上で、かつ国民の側からそのような機運が盛り上がる、そのような状態で行われるべきものと考えます。
ありがとうございます。
情報提供を有難うございます。