哲学好きの人の間では、「意識」というものがよくテーマとなって議論される。特に最近では、「意識なるものは存在しない。」というような論調が多くなってきているようだ。。「意識」が存在すると言えるためには、なにをもって「意識」というかということが明らかにされねばならない。そのことについて考えてみたいと思う。
「哲学的ゾンビ」という言葉がある。意識のない人間という意味である。意識がないと言っても、外見からは分からない。話しかけられれば通常の人間と同じように受け答えする。人間としての機能は完全に持っているが、意識が欠けている人間という意味である。早い話が、全く人間と見かけが同じで、精巧なAⅠをそなえたアンドロイドを想像してもらえればよいだろう。
完全に人間としての振る舞いをするアンドロイドが実現したとしても、それには意識がないと一般には考えられている。アンドロイドは機械であり、AIはいくら精巧であっても、そこで起きている現象は機械的な現象に過ぎないと考えられているからである。それに引き換え、人間は意識を持ち、その意識の中らにはクォリアが展開されている、と考えられている。
クォリアというのは質感とも訳されるが、早い話あなたが見ているもの、嗅いでいる匂い、感じている痛み、それらの感覚そのもののことである。赤いバラのありありとした赤い色、カレーライスのおいしそうなにおい、恋人を待っている時のはやる気持ち、それらをすべてクォリアと呼ぶ。あなたの意識の中にあるものはすべてクォリアであるとされている。
「なぜ空は青いのか?」 この問いに科学者なら、「空気中のちりが特定の波長の光を散乱させ、それが目に入るから。」と答えるだろう。色はその波長の違いによるものと現在では知られている。つまり特定の波長の光が私たちの視神経を刺激すると、私たちには青い色が見えるということである。
では、その特定の波長の光が視神経を刺激するとなぜ青く見えるのか? 科学では、あなたの見ているこのありありとした「青」のクォリアは説明できない。あなたの脳内で起きていることは単なる電気的反応に過ぎないからである。これがいわゆる「意識のハードプロブレム」(英:Hard problem of consciousness)と呼ばれている問題である。
ここで意識の存在の問題に戻るが、あなたにはあって、アンドロイドにはないとされるもの、それを私たちは「意識」及び「クォリア」と呼んでいることが分かる。
しかし、ここに重要な問題がある。上の文中で私は「あなたの意識の中にあるものはすべてクォリアである。」と述べたが、実は私はあなたの意識を確認したことはないのである。
「あなたにあって、アンドロイドにはない。」というようなこともなんの根拠も無しに述べている。
( その2につづく )
清姫が大蛇となって渡ったと伝えられる日高川 (和歌山県御坊市)
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