禅的哲学

禅的哲学は哲学であって禅ではない。禅的視座から哲学をしてみようという試みである。禅を真剣に極めんとする人には無用である。

春の野草 その2 ウラシマソウ

2024-04-21 20:30:45 | 日記
 ウラシマソウという野草をご存じでしょうか? 約十年前ほど前だったと思います、逗子から三浦半島を横断して横須賀目指してハイキング中のことです。道端で5,6人の人が地面を眺めながらお話ししている場面に出くわしました。私が「どうかしましたか?」と声をかけると、その中の中心にいた人が「ウラシマソウですよ。」と答えてくれました。この花みたいなものから伸びているひげが釣り糸のように見えるので、浦島太郎になぞらえてウラシマソウと呼ばれているのだとも教えてくれました。 それから、黒紫色の花らしきものは仏炎苞と言ってミズバショウの白い部分に相当する、そしてその中に花びらがなくてオシベまたはめしべだけの小さな粒のような花が花軸の周りに沢山ついているのもミズバショウと同じである、とていねいに説明してくれたのです。  
 
 
 その時私はとても珍しいものを見せていただいてラッキーと思ったものです。ウラシマソウという名もなにかいわくありげだし、花としては不気味な色形の仏炎苞といい、その時以来ウラシマソウは神秘的な野草というふうに私の記憶に刻み込まれたのです。
それ以後の約十年ほどの間、ウラシマソウを見たのは二回だけです。上高地と矢倉岳でそれぞれ一度ずつ、それもその時はそれがウラシマソウだと気づきませんでした。それは秋になって葉っぱもなく実だけがむき出しになっていたからです。それがなんとも奇妙な実で鮮やかな赤と緑のトウモロコシのような少し不気味な形なのです。 


それがウラシマソウの実であることを知ったのは大分後のことです。いずれにしろそのことを知って、ウラシマソウは私にとってますます神秘的なものに思えてきました。
 
 ところが一週間ほど前に、私はウラシマソウを久し振りに見つけたのです。それも私の散歩コースである円海山の中で。この半世紀近くの間になん百回も通った道でです。それも今まで一度も目に入らなかったのに‥‥。この珍しい植物が自分のすぐ近くにいたということに驚きました。しかし、驚いたのはそれだけではありません。翌日も同じ道をたどりますと、あるわあるは何と30分ほどの間に優に100株以上も見つけてしまいました。どうやらウラシマソウは珍しいどころか、生育条件さえそろえばいくらでも生えてくる、繁殖力の強い植物のようです。今まで私がそれを見つけることができなかったのは、見なかったからではなく特徴をはっきりと覚えていなかったので、それをウラシマソウとは認識できなかっただけのことだったと知りました。今回の最初の発見は、たまたま仏炎苞が歩いている場所から見えやすい角度で映えていたので見つけることができたのです。 
 
 
 ウラシマソウの実がなるのは珍しいことらしいですが、これだけたくさんのウラシマソウがあれば、この秋には実がなっているところを見つけることができるかもしれません。 

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