いろんな人と議論する中で、「この世界はブラフマンの夢である」というようなことを言う人がいた。一人だけではなく、二度同じ趣旨のことを聞いたので、そのような通説が流通しているのだろう。しかし、それが夢であるというなら、その夢を見ているのは間違いなく私である。この世界がブラフマンの夢であるなら、ブラフマンとは私のことでなければならない。
そのうちの一人が言うには、ブラフマンはわれわれを超越した存在で、その夢の中の登場人物さえも意志を持つのだと言う。だとしたら、夢の中の登場人物に過ぎない我々が、どうしてその超越者について知ることができるのだろうか。そもそも、それを「夢」という言葉で表現すべきではない。「ブラフマンは世界を創造している」というべきだろう。
「この世界はブラフマンの夢である」とはロマンチックな表現だが、哲学とは無縁だと思う。「夢」という言葉のつかい方が間違っているだけのような気がする。
そのうちの一人が言うには、ブラフマンはわれわれを超越した存在で、その夢の中の登場人物さえも意志を持つのだと言う。だとしたら、夢の中の登場人物に過ぎない我々が、どうしてその超越者について知ることができるのだろうか。そもそも、それを「夢」という言葉で表現すべきではない。「ブラフマンは世界を創造している」というべきだろう。
「この世界はブラフマンの夢である」とはロマンチックな表現だが、哲学とは無縁だと思う。「夢」という言葉のつかい方が間違っているだけのような気がする。