制度というものは一度定着すると、それがさも伝統的でもあるかのような正当性を帯びて見えてくるものらしい。夫婦同姓を守ろうとする人たちにしてみれば、日本古来の伝統と文化を守っているつもりなのだろう。しかし、夫婦同姓の制度はどうみても日本の伝統文化ではない。源頼朝の正室は誰でも知っているが、源政子ではなく北条政子である。明治4年に新しい戸籍法が施行されるまでは、明治31年(1898年)に夫婦同姓が義務化されるまでは、女性が夫の姓を名乗ることはなかったのである。
しかし一度戸籍法が定着すると、もともと日本の社会が夫婦同姓であったかのような錯覚に陥るのである。細川忠興の正室は明智光秀の娘の玉(たま)であったが、決して細川玉と呼ばれたことはないはずである。あえて呼ぶなら、明智玉である。彼女はキリシタンで「ガラシャ」という洗礼名を受けていたので、明治以降に「細川ガラシャ夫人」と呼ばれるようになってしまった。これは一種の歴史の歪曲であろう。このように制度が定着すると、ものの見方にまで先入見を与えてしまうのである。
現在先進国の中で、夫婦別姓を認めていないのは日本だけである。選択的夫婦別姓は「家族単位の社会制度の崩壊を招く可能性がある」 と固く信じている人々が一定数いるらしい。最近では、男女共同参画大臣である丸川珠代氏が、選択的夫婦別姓制度に反対する自民党議員有志の文書に署名していたことが、大きな話題となっている。女性の社会進出を支援する立場の丸川大臣が選択的夫婦別姓に反対するのか? それもご自分が公的には通称として旧姓の「丸川」を名乗っているのに。夫婦同姓が家族単位の社会制度に資するという信念を持つのなら、公的にも戸籍上の姓を名乗るべきだと思う。今回のご自分の立場と矛盾した行為は、おそらく選挙時の支持基盤である日本会議の方針に迎合してのことだろうが、その程度の見識しかないのであれば、さっさと大臣も国会議員もお辞めになればよい。
選択的夫婦別姓制度は頭に「選択」と冠しているように、別姓を強制するものではない。夫婦同姓が好いという人は同姓を選んでよいのである。この制度を導入したからと言って困る人はいない。なのに、他の人にも同姓を強制したいという心根はどこから来るのか、それはどこかカルトに通じるものがあると私は感じるのである。「夫婦同姓制度が家族単位の社会制度の崩壊を防ぐ」というのは、根拠のないカルトの教理に似ている。おそらくそんな教理はなくともなんの不都合もないのである。潜在意識はその教理が空疎であることをすでに感じているからこそ、自分以外の他人もそれを信じていなくてはならない。それでカルトにおいては、とりわけ脱会するものに対して厳しい態度で臨むのである。それは、他人が夫婦別姓を選ぶことに無関心ではいられないという心情に通じるものがあると、私は思う。