Sydney Yajima


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運命

2010-02-26 00:11:51 | フリーメーソン
たまたま、運命がそうさせるということが、人生には何度もある。
これは、誰にとっても、同じことで、努力で何とかできるというものではない。

神の手が、運命にはかかわっていて、そのスパイスが自分の転機となる。

いずれにせよ、自分の得意技は、何か?
これを早く見つけた人は、大成するのだろう。

運命の中で、自分が何を見出し、そして、何をなすことが出来るのか?

紙一重の人生のなかで、最悪は、死ぬことだ。
リスクを張って、生きることも一つの方法だが、安全に生きていくのも別の生き方だ。それぞれに心地よいと思うところで、生きれば幸せで、いずれにせよ、無理はいけない。

アメリカは、プラスチック文化だったと以前、別のH.P.で 書いたことがある。
私は、プラスチック文化が発泡スチロールをたくさん含んで膨れ上がり、なんだかいろんなものが揃って豊かになった錯覚が、アメリカを狂わせたのだろうと思う。

紙は、紙。プラスチックはプラスチック。どちらでも、愛は買えない。

ギリシャの信用不安は、広がるだろう。なぜならEUの大立者のドイツが、許さないだろうからだ。そもそも、ギリシャは、ヨーロッパと中東の間だ。怠け者で、いい加減で、ぐうたらしていて、早期退職するギリシャを70歳近くまで一生懸命働くドイツ人たちから見れば、「なんで、アリがキリギリスの面倒をいつまでも見なけりゃならないんだ?」となる。
EUから、放り出されるとギリシャは、にっちもさっちも行かなくなり、あちこちに浮浪者と犯罪と暴動と、売春とそれにドラッグがはびこることになる。
誰もギリシャに観光にも行かなくなると、いよいよ終わりだ。

そんなことで、アメリカは、今日もダウが下げ止まらない。
当たり前だ。
アメリカはギリシャよりひどい州を、国内にいっぱい持っているんだから。
カリフォルニア・・・英語の通じない住民がたくさんいて、どうやって生産性をあげることができるのか?


おっちょこちょい

2009-12-17 13:00:35 | フリーメーソン
フリーメーソンになると、ブルーロッジに属することになるが、そこでは多くの試練が待ち受けている。まずは、徹底した記憶力へのチャレンジ。これは一生続くまるで、地獄のような試練だ。次に、来るのはリーダーとしての資質。それは歴代のリーダーが、様々な社会経験をもって、新人をいじめるシステムだ。さらに続いて来るのは、カリスマ性を持たせるために訓練。カリスマは生まれつき持っているものだが、人によって強弱がある。そこでその人の持つカリスマ性を最大限まで引き出してやることができるかどうかが、ここでの、訓練だろう。

そうやって 生き残る人間たちは、やがて社会でもその力を応用し、一流の人間となって構造を動かすことができるようになっていく。


エルサレム

2009-12-10 15:50:54 | フリーメーソン
エルサレムには、かつて神殿があった。このことは、旧約聖書に書いてあるとおりで、その神殿は完全につぶされ、わずか 嘆きの壁が残るのみである。
ユダヤ人たちは、そこを訪れ祈りをささげる。
その映像を見た人は多いだろう。
エルサレムはイスラム教にとってもキリスト教にとっても、聖地である。つまり世界の三大宗教がそれぞれ、自らの聖地としてのエルサレムを欲している。

頭では理解できるけれど、感情では理解できないことが世の中には ままある。
ここで言う、頭で理解することとは、三大宗教が仲良くこのエルサレムを割譲、お互いが、仲良く使うこと。感情では、自分たちの力で独占したいということだ。

そもそも、旧約聖書に書かれているように、 神は、ひとつで、しかもその神の正体は 嫉妬の神 である。
日本の宗教観は、漠然としていて八百萬もの神々がいても平気だが、旧約聖書を発端にした宗教観では、決してあってはならない感覚だ。これは、絶対に、あってはならないと、何度も繰り返し 聖書でありとあらゆる言葉で述べられている。述べられている言葉は、そのまま 何世代にも受け継がれ、信じられ、それは、絶対にそうなのだという確信となって人々に植え込まれている。

山ノ神、海の神、風の神、それに商売の神様に、芸能の神様、ついでに宝くじの神様までいる日本や日本人にとって、彼らの宗教観の重さが伝わることはないだろう。おそらく 理解しがたいほど、頑固に映るだろうと思う。

風土の違いが宗教観に及ぼす影響と言うものを考えると、砂漠の民から生まれた宗教観は、もっと 熱くそして、絶対にひとつだという感覚が そこにはある。

フリーメーソンは、もともと、旧約聖書を始まりとしており、絶対神を中心に世界観を説く。つまり、よりユダヤ教に近いかもしれないし、そこから派生した、イスラム教や、キリスト教には受け入れられやすい素地を持っているが、日本人のような、八百万の神々がいるところでは、混乱が生じるだけでなく、まずもって、フリーメーソンが根付く土台となるものがない。
それでも、わずかにフリーメーソンとなる日本人がいる。

日本人がフリーメーソンになろうと決意するに至るには、一体どんな流れになるのだろう?

ふと考えてみた。

神道は ひとつの天照大神から始まっている。実は、とてもユダヤ教に近い。
私は日本人のルーツには、ユダヤ人や、その文化がかかわっていると思う。日本の正倉院の宝物には琵琶があり、多くの飾り細工や螺鈿は、みな、中東から来ている。当時のペルシャからの交易には、間違いなく、ユダヤ人たちがシルクロードを通じてかかわっていた。それは、あちこちの歴史にも垣間見られるし、実際に中国の開封には、シナゴーグまである。その彼らが、日本まで来なかったと考えるほうが、来たと考えるよりも 不自然であるだけでなく、また、正倉院の宝物がそういう彼らからの交易で伝えられたのならば、より多くの証拠になるはずだ。

祇園という言葉が、シオンであると言われる説がある。トンでも話だと言う人がいるけれど、シオンを求める人、日本語読みで、シオニズム 英語ではZionism (ヘブライ語では: ציונות‎, Tsiyonut) となり、ジオンと読める。ジオンはローマ字表記でGIONともなり・・・それは 祇園 つまり ギオンはかなり英語読みかヘブライ読みに近い。平家物語の琵琶法師の抱えていた琵琶は、宝物殿の琵琶を模して作られたもので、その歌は「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」から始まるが、祇園精舎は、もしかすると、一般に言われるように、祇樹給孤独園 精舎(ぎじゅぎっこどくおん しょうじゃ、サンスクリット:Jetavana Anathapindadasya-arama)は、中インドのシュラーヴァスティー(舎衛城)にあった寺院で、釈迦が説法を行ったとされる場所・・・ではなく、シオン エルサレムにあったソロモン王の建てたテンプル・・・今の嘆きの壁が残る・・・ことを指しているのではないだろうか?とは、もちろん大胆な仮説である。

しかし、京都の祇園祭がユダヤ教のシオン祭と同じ時期に重なることや、その形や、描かれている絵、日本の神道とユダヤ教徒の不思議な類似点、などなど、偶然と片付けるには、あまりにも一致が多い。

私の祖先は、YAJIMAというが、実に、古臭いことを言えば、諏訪神社とのかかわりがあり近くに矢嶋村という村があり、モリヤ山というイスラエルと同じ名前の山まである。矢というのは、実に重要な意味を含んでおり、フリーメーソンである程度の階級に行くと別のオーダーがあり、そこでは、三本の矢とダビデの星がシンボルとなっている。また 家族にのみ伝えられる不思議な話もある。また矢嶋、八島、矢島、谷島、谷嶋など多くのヤジマ ファミリーがあり日本中に散らばっているが、それらはすべて、この地 諏訪から出てきているそうだ。
なぜ、私たちの祖先は、諏訪の地に来たのだろうか?誰に導かれ、諏訪に定着し、そして今、散り散りになっているのだろう?
ヤジマという名前は、そういう運命にあると 聞いたことがある。
あるとき、一箇所に集まり、そしてパッと散る。それを何度も繰り返す運命の名前なのだそうだ。では、一体何のために、そんな運命を背負っているのだろう?

今からおよそ2000年前の日本に、私たちのファミリーが、おそらく大陸から渡ってきて、血を残し 連綿と続いていることを考えると、ロマンを感じる。

12氏族の系譜などを、ロイヤル アーチの ある階級によって説かれるのを見たとき、思わず、胸がときめいたのは なんだったんだろう?
それは、不思議な自分の中に眠っていた何かが、弾けたような感覚ではなかったか?

しかし、私は日本人であることを誇りに思うのだ。それは、例えある日、自分の祖先が 本当に遠くから来たとしても、だ。一説によると人類は、20万年前に、アフリカで生まれ、6万年前にアフリカの気象変化とともに、世界へ散ったそうだ。

宇宙に真理があるとしたなら、それは、同じものだろう。
その真理は、洋の東西を問わず、時間の過去未来を問わず、男女の別も、また貧富も関係なく、宇宙から降り注いでいるもので、それが ユダヤ教になり、神道になり するのであったならば、十分にそれだけでも説明はつくだろう。

日本が源平合戦ののち、危機になったとき、琵琶法師たちはどこからともなく現れて、琵琶を持って日本中を回った。それは、何百年も続いた。なぜだったのか?
彼らは、日本人の深い心に、ひとりひとり、種を植え付けていった。それは、小さな種だったかもしれないけれど、確実に私たち一人ひとりの心の中に、芽生えている。それが無常観というものであったにせよ、だ。

イスラエルで多くの人が殺し合いをすることに、無常観を感じるのは、私たちがその植え付けられた種を大事に育てているからだ。また、第二次世界大戦で、負けて、そして、多くの日本人が 戦争が心から放棄したいと願っているのも、この小さな種が、無常の響きを奏でているからに違いない。
もし、あなたが、私とおなじ無常観を戦争に持っているならば、それは 私と同じあなたの血の中に眠っている言葉だとは 思えないだろうか。



来週はシャンペーン ブレックファースト

2009-12-06 04:03:49 | フリーメーソン
戦場の真ん中であっても、男は傷を負っていても、おどけることができる。小さな子供のころ、スリル満点のゲームをしていたころから、男は何歳になっても成長することはできない。

尖った肩につむじ風が巻きつくけれど、男は、スプーンでリズムを取って野営の慰めにする。女のいない戦場では、ブローマイトという精力減退薬を飲んで戦っていた。

11月11日

戦場に散っていった男たちに、敬意を払う。

オーストラリアでは アンザックにそういうことを行う。
日本のために死んでいった、兵士たちは、どうなっているんだろう?

戦争をしたくはない。ということと、戦争で死んだ兵士に敬意を払うことは別なんだ。

遠く戦場に行き、家族の写真を見ながら、それだけを支えに戦い、そして死んでいった人たちは、その頭蓋骨さえ放置されたままになっている。
捨てられ 忘れ去られた男たちが いる。

沖縄では多くの市民が死んだ。大阪では、戦争が終わる前の日に焼夷弾で空爆があった。オーブンのように街が燃えた。負けることが分かっている日本にアメリカは容赦なく空爆した。ボロボロになっている市民たちが逃げ惑い、死んだ。

戦後、アメリカ兵はチョコレートを配った。
子供たちは「GIVE ME]という言葉を覚えた。

いろいろなことが胸を去来する。
そして、戦争は嫌いだと思う。

だが、世界は確実に戦争の方向へすすんでいる。
日本が憲法を持っていて、そして戦争を一切しないといっても、世界が戦争をする。日本は最後まで蚊帳の外に居続ける事ができるだろうか?
否・・・

ならば、私たちは何をしなければならないのだろう?



この歌を聴いてみて欲しい。たった二分だけ黙祷をする意味を。http://www.youtube.com/watch?v=0KWoz1rEMgk

They fought and some died for their homeland.
They fought and some died, now it's our land.
Look at his little child; there's no fear in her eyes.
Could he not show respect for other dads who have died?

Take two minutes, would you mind?
It's a pittance of time,
For the boys and the girls who went over.
In peace may they rest, may we never
forget why they died.
It's a pittance of time.

God forgive me for wanting to strike him.
Give me strength so as not to be like him.
My heart pounds in my breast, fingers pressed to my lips,
My throat wants to bawl out, my tongue barely resists.

But two minutes I will bide.
It's a pittance of time,
For the boys and the girls who went over.
In peace may they rest.
May we never forget why they died.
It's a pittance of time.

Read the letters and poems of the heroes at home.
They have casualties, battles, and fears of their own.
There's a price to be paid if you go, if you stay.
Freedom's fought for and won in numerous ways.

Take two minutes, would you mind?
It's a pittance of time,
For the boys and the girls all over.
May we never forget, our young become vets.
At the end of the line,
It's a pittance of time.

It takes courage to fight in your own war.
It takes courage to fight someone else's war.
Our peacekeepers tell of their own living hell.
They bring hope to foreign lands that hate mongers can't kill.

Take two minutes, would you mind?
It's a pittance of time,
For the boys and the girls who go over.
In peacetime our best still don battle dress
And lay their lives on the line.
It's a pittance of time

In peace may they rest,
Lest we forg

歴史の発見

2009-11-24 22:33:25 | フリーメーソン
歴史は、とんでもないところから動く。
それは、狂人であったり、血の浮いた刀の錆であったりするが、それが歴史を動かしたことは、間違いない。

もうすぐ、歴史はまた別の扉を開けようとするのだ。

それは、意外と身近なところから始まる。

人が近づいてくるとき

2009-11-10 20:32:39 | フリーメーソン
もし、あなたに、よく知らない人がニコニコと近づいてきたら、あなたは警戒するだろう。それは、「この人には、何か魂胆があるにちがいない」と過去の自分の経験に照らし合わせ、(読みもしない新聞に契約させられてしまったことも含めて)いぶかるからである。

これは、ある年齢を生きてきた人なら、誰でも経験することだ。
しかし、馬鹿が、馬鹿丸出しで、自分の希望だけを優先して ニコニコと、近づいてきたら、あなたはどうするだろうか?
知恵のある人は、ずるく対応するかもしれない。彼を傷つけぬよう、なるべく穏便に追い返すことを考えるだろう。あるいはこの馬鹿をどうやって使うかを考えるかもしれない。馬鹿とはさみは使いようとは、よく言ったもんだ。

さて・・・、馬鹿は、自分が馬鹿だとはしらないので、{馬鹿が馬鹿だということを知ってしまった時点で馬鹿の意義もなくなる。なぜなら彼はもう馬鹿ではないからだ}当然、そのずるい対応に、喜んで乗ってしまう。その時点で、彼は、知恵のある人の手のひらに、裸で踊っているピエロになっているのだ。

裸のピエロは、音楽さえかけてやればいつでも喜んで踊る。
おもしろいくらいに。


時間と立ち位置

2009-11-10 17:03:38 | フリーメーソン
フリーメーソンに限らず、世の中の、いかなること、政治、会社、ありとあらゆる人間社会において、共通の掟がある。
それは、いきなり、あなたは 先生にはなれないということだ。

何かの組織に入ると、そのなかで、十年頑張って、その組織の一員としてみんなから認められ、やがて、その社会のなかで、信頼という目に見えないものだが、しっかりとそれは ある ものによって裏打ちされ、やがて、その組織の中心に入ることができる。

だが、何もかも一気にやってしまって、インスタントに自分がその中心になれるように馬鹿な努力をしてあちこちに顔を出して、おもちゃにされて 裏でみんなから笑われていることも気付かず、自分だけ SOMEBODYにでもなったような気になっている人がいる。
こういうひとを、豚的幸福主義者といい、実験とおもちゃとピエロ扱いで使い回しにされて最後には、適当にあしらわれ自家中毒を起こし、切れたたこのようにどこかへ飛んでいってしまう。

フリーメーソンでもこの手の人は、実にたくさんいる。その人たちはなぜか?最初の3年ぐらいは、熱心に活動をするが、どこかで息切れしてしまい、やがて、資金もなくなり、いくらやっても、実利がないと文句を言い始めて、あちこちから顰蹙を買い、「実利を求めてフリーメーソンをしているほど、君は貧乏なのか?」などとあからさまに言われて、やがて、「君は 安っぽい人間だね」と最低の評価を与えられた挙句、屑として扱われる人がいる。この人たちは、その後続かなくなり、どこかへ消えてしまう。もちろん、3年程度では、ブルーロッジで最高位を極めることも難しいので、中途半端な握手だけを覚えて、結局その意味も使うべき場所も、また、本来の自分の立ち居地も、分かっていないので、崩れてしまう。

人間は、どんなビジネス、どんな勉強、どんな技に打ち込んでいたとしても、そしてそれがどんな組織の中であったとしても、立ち位置は、あくまで、個としての自分が最初であり、次には、個の周りにもっとも近い家族。そして、家族とともに、仕事とかビジネス、学業が三つ目に来て、4つ目に、フリーメーソンなどが来る。このどれかの順番が狂っても、いけないし、それをしては、自分の立ち位置がなくなることは、そのすべての中において、死を意味する。

したがって、急がば回れという当たり前のことだが、じっくりと時間をかけて自分の立ち位置を常に確認しながら、すすむことが、正しい。それにはまず始めの10年という時間の生き方。そして、その後の10年、やがて成熟を迎えるその次の10年という順番になるはずだ。

人は死ぬ。しかし、自分で自分を殺してしまっては、なんにもならない。

難しいお付き合い

2009-10-25 00:42:10 | フリーメーソン
パレスチナ人の 知り合いがいる。しかし、彼にすべての心を明かしてお付き合いすることはできない。
なぜなら、彼は、とてもイスラエルが嫌いであり、それに、ユダヤ人に対してうらみを持っているからである。そして、私にはユダヤ人の友人が多い。
彼は、二言目には、「ジオニストのせいだ」と言う。
ジオニストとは日本ではシオニストと呼ばれているだろうが、つまり、聖地回復・・・エルサレムのことを指している。

パレスチナ人と話すと、大抵「俺たちに一体、何ができる?」と言って苦い顔をする。

彼らは、現在の亡国の民なのである。

小田実の話で、「君たち、どう思う?3000年住んでいて、ある日、誰かがドアをノックして”ここは俺たちが先祖代々神様から約束された土地だ。出て行け”と、銃で脅されて家を放り出されたら?」
というのがあった。パレスチナ問題をもっと掘り下げたら、様々な矛盾と宗教観と、さらには、その先の、国と民族へのいじめとか、あるいは、嫉妬、
亡国の民の投げやりな気持ちと惨めな思いなど いろんなことがあるはずだが・・・

ところで、この知り合いであるパレスチナのおっちゃんは いまだに日本人と中国人の違いが分からない。どうしても、彼の頭ではそれ以上のことが理解できないでイル。違うと説明すると、うんうん、違う違うと言うけれど、すぐに、その違いが分からなくなる。

日本の空港で、どうやったら公衆電話が使えるか、道行く人に聞いても、日本人はみんな無視した。といまでも憤る。公衆電話の使い方を知らない人が居ること事態、日本人にとっては意外な話で、それが、パレスチナ人だとはもちろん分からないだろうけれど、成田空港だったそうだから、多分、東京の都会の人たちが一番多かっただろうし、大体東京の人は道を聞いても教えてくれない。日本人同士でも東京の人は、そんなふうに、冷たいのだから、ましてパレスチナ人が電話の使い方を聞いても 教えるはずがない。


もちろん、彼はフリーメーソンを嫌っている。ヨルダン出身のパレスチナ人の彼は、よくヨルダンの話を懐かしそうに話す。立派な国王が居て・・・と言う。しかし、ヨルダンのフセイン国王も、フリーメーソンだったのだから、彼が嫌うと言うのも、ジオニストというカテゴリーの中での話しなのだろうから、分かるような、分からないような。ともかく、彼にどう話をしても、多分理解できないと思うので、何も言わないで、そっとしておく。人によって 話して分かる人と、わけの分からないことを、分からないまま平気で言い切るひとがいることぐらいは、ボンクラの僕でも分かる。朝鮮日報の東洋のユダヤ人などと書く記者も、同じカテゴリーの人だろう。こういうタイプの人は 実害がない限り放置するに限る。

ところで、パレスチナ人の多くは、今はヨルダンに住んでいる。
彼曰く、中東のアラブ系住民は、イスラエルのユダヤ人を殺しても飽き足りないほど 憎んでいるのだそうだ。

戦後 死体がごろごろしているとか、刑務所での喧嘩の話、若いころにした犯罪の話など、彼の話は、本当か嘘八百か、分からないが、まあ、いくつかは本当で、他のほとんどの話は多分どこからか聞いてきた話なんだろう。

この人に関して 言える事は、まっすぐな正確で、かっとなりやすく、あまり頭は良くない。、こういうタイプの日本人、そういえば、結構いると思う。人種に関係なく、いるんだよな。 刑務所への特急券を持っている奴って。

二次元思考の人には理解できないこと

2009-10-16 01:18:16 | フリーメーソン
フリーメーソンというのは、そもそも脈々と受け継がれてきた文化であろう。文化というものは、文明と異なり、すぐには理解しにくい。
例えば、ビジネスのなかで、一番理解しやすいものといえば、モノの売買である。
それはGIVE AND TAKEの二次元の世界で、お金という代償を支払えば、その価値があると思われる品物を手に入れることができるというものだ。
ものすごく 分かりやすく、多くの人は だいたい この次元で生きている。だから、何か新しいものを見たとき、それを、「好き」か「嫌い」の二つに分類するだけで、それ以上は進まない。あるいはすすむ必要もないと 考える。
しかし、人間は二次元で割り切れるほど単純な世界には住んではいないことをもっと深く、様々な角度から考えてみてはどうだろう。

文明は、そもそも人間の様々な文化のうえに成り立っている。例えば日本に、勤勉と言う文化がなければ、プレイステーションもトヨタもアニメーションも生まれる土壌ではなかったはずだ。

人間を飼いならす方法として、(断っておくべきだろうと思うので付け加えるが フリーメーソンがあなたを飼いならしているのではない)一番有効な方法は、彼が単純思考で生きてくれるということである。
一般に、言える事は、教養をつむと、人間は様々な 枝葉にまで渡る細かい思考が、知識の増量とともに起こるので、思考回路は複雑になり、だんだんと二次元思考はできなくなってしまう。
しかもやっかいなことに、ある程度の知識がなければ、その思考回路の複雑な中から生まれてくる冗談のセンスや、揶揄なども理解できないために、二次元思考の人間にとっては、「わけの分からないことで、喜んでる人たち」という認識で終わってしまうのはとても残念なことだ。

二次元思考を求めるのは、社会が多くの単純作業を嬉々として行う人間を必要としているためだと思う。司馬遼太郎先生によると、人間の飼いならしということになるが、古くは宗教であり、韓国では儒教であったりする。
先輩をうやまうという思想は、日本では当然の常識だが、アメリカではそういう飼いならし方をはじめからしていないので、その常識はそのままでは通じない。

最新のマネージメントの方法は、フラットでオーガニックということが、言われている。かつては徹底した管理が、生産性を上げると考えられてきたが、今は北欧の文化を受け入れて、より 各ワーカーが、マネージメントと同様の知識、戦略性と会社への理解をもつことが求められていて、それが良いということになっている。
実際にそういうマネージメント手法を取り入れて成功している企業は少なくない。だが、これなどは、文化の土壌について、もっと詳しく検討してみなければ、すぐに導入することは難しいともされている。それほど 文化というものは、根が深い。

人を見ると、「利用できるか できないか」だけの二次元思考で考える人や、「得か損か」、あるいは、「GIVE & TAKE」の人も、同じで、こういう人たちはこの考えから抜け出すことができない限り、一生 マネージメントに管理を求め、その下で生きることに安心を得る(もちろん 虚構の安心には違いないにしても)。そして、世界に連綿と歴史のなかで息づいてきたフリーメーソンなどに出会うと、例によって「好き」か「嫌い」で割り切り、そしてその二次元しか見れない単純な思考だけに、大きな独断と偏見で、意見を言う。意見を言うけれど、全く 幼稚な意見にしかならない独断と偏見の賜物は、笑ってしまうほど 無責任な上に卑怯である。

この人たちが、フリーメーソンのことを云々する資格がないとは しかし、私は決して言わない。誰にでも、どんなことにでも、首を突っ込んでものを言う権利はある。

しかし、人はもう少し謙虚になってもいいのではないかと思うことはある。

もし、自分が愚かであることを悟った人は、もう愚かではないということを、理解できるならば・・・

フリーメーソンのミーティング

2009-10-15 03:04:38 | フリーメーソン
フリーメーソンの ミーティングは今も、世界のどこかで休むことなく、行われている。
ミーティングは通常、第一階級からはじまり、第二階級、そして 第三階級へと続く。その日の予定によって、第一階級だけの日もあるし、第三階級まで行くときもある。また、一年に一度は、インストレーションが行われ、新たにポジションが変わるので、そのときは、第三階級以上のところまで、上がる。これは、ここに残ることができるのは、一度はチェアーに座った人間でなければならないので、人数は大分減ってしまう。

ミーティングは、その中心となる人物、ウォーシュフル マスターによって、仕切られる。ロッジの部屋は、多少国によって違いはあるが、ほぼ似たようなものである。(そのうちに、写真を取ってアップしよう)

フリーメーソンの教義には、多くの事象が入っているが、これは、書けない。なぜ書けないのかという質問には、答えない。理由は、書けない、話してはならない、そしてどこにも一切どんな形でも残してはならない。そういう、してはならないことは、してはならないということなのだとしか言いようがない。この、ものすごく単純だが強力な決まりが、フリーメーソンの兄弟の仲を決定的につなげる役目を果たしている。

こんな 団体は他にはないだろう。

どんな 団体にもノームがある。例えば阪神タイガースのファンが、縞模様の服を着たがるように、日本の選手がピンチになると、「にっぽん!!!にっぽん!!!」と応援するオリンピックの観客席にも ノームがある。お互い何の結びつきもなく、名前も知らない同士であっても、これだけの共同作業ができるノームが、スポーツという媒体を通してできあがる。
もちろん、フリーメーソンにもノームがあり、それらは 言語、握手、行動、 様々に現れている。フリーメーソンの人間にとって、その言語、握手、行動は、分かるのだが、入ったばかりのメンバーであったり、あるいは、熱心ではないメンバーにとっても、一般の人と同様にわかりにくいものであろう。 

分かり始めると、いろんな面白いことが理解できるようになる。例えば英語でBBC放送を聞いていても、英語の理解が、変わってくる。放送している人間のほうも、仮にその原稿を書いた本人がメーソンの人間であったなら、絶対にその独特な言い回しを、ついつい随所に使ってしまうものだからだ。

ところで、この英語が厄介者で、一般に通じる英語ではないことが多く、したがって、ネィティブであっても、理解できなかったり、あるいは、発音できなかったりする。まして、日本人が、それを暗記し、理解し、しかもネィティブの人間に対して教義を教え聞かせるなどという段階に来るまでに、一体どのくらいの苦労があったのか、想像してみてはいかがだろう?

世界のどこにいっても、その日から兄弟として受け入れられ、しかも、インテリジェントな人間と、様々なコネクションがあっという間に出来上がるというソサエティーがあったとしたら、それに 入れることのできる程度の知能がある人間にとっては、おそらく、躊躇することもなかったに違いない。



フリーメーソンとユダヤ人

2009-10-11 05:39:02 | フリーメーソン
フリーメーソンは、どんな宗教、どんな人種であろうとも、構わない。そこで多くのユダヤ人たちも入っている。教義には多く旧約聖書をもとにしたものがあり、また旧約聖書に書かれていないものも含めると、やはり歴史を感じる。ユダヤ人たちは自分たちのホームのようだと言う。

今のメーソンはイギリス系とフランス系に分かれて当時から交流を絶つということをしてきた経緯があるにもかかわらず、アメリカの自由の女神はフランス系から送られたりアメリカの州によっては、別々のメーソンが乱立していたり、また、新しく別のオーダーを作ったりと、アメリカらしく様々な発明がなされているが、オーストラリアに関して言えば、かなりイギリス的で、しかも保守的で、昔ながらの組織図になっている。
アメリカから、多くの兄弟がオーストラリアにやってくるようになった。最近アメリカの治安が悪くなってきたから、逃げ出しているアメリカの金持ちがシドニーなどにやってくるためだ。オーストラリアはアメリカと仲がいいわけではなく、必要で仕方ないから仲良くしているだけで、本音を言えば多くのオーストラリア人はアメリカ人を好きではない。

アメリカを好きではない国は、実は 意外と多い。イスラム諸国は、みんなアメリカを嫌っているし、ヨーロッパも同じだ。アジアもアメリカを好きではないという国が多い。
日本人ほどアメリカ好きな国は、多分他にあまりないだろう。

フリーメーソンだって、そのくらい 様々に分かれているのだから、よく言われる「ひとつの目的をもって、彼らが世界制覇を企んでいる」という話がいかに出鱈目かということを、知っていて欲しいと思う。

フリーメーソンになることと、フリーメーソンであり続けること、そしてよりよき人間になることに 矛盾はない。人が矛盾を感じるとき、それは大抵自分自身が よりよき人間になるという単純なことを理解していないときに起こる。

男性しかなれないフリーメーソンだが、それに女性がなぜ加われないのか?という疑問は、なぜ 女性しか子供を生むことができないのか?という疑問を持つことに等しいと言う意見もある。男女の権利は平等だが 同じものではない。これは 生物の根源的な科学的見地に立って考えても、生殖機能の明確な違いを理解していれば(言われるまでもなくみんな理解しているが)断じて、違うものなのである。そこで、日本では同性愛や、性同一障害についての議論が始まるかもしれない。
議論はいくらでも複雑になっていく可能性もあるが、根本的にはみんな一致できる範囲で話すことが大事なので、ここでは単に、男女という区別がありそれによって、入れる場所と入れない場所が分かれるという理解でいいと思う。それがトイレであったり、大衆浴場であったりすることと、フリーメーソンであったり、あるいは相撲の土俵であったりすることと、同じように考えてはいけないだろうか?

フリーメーソンに限らず、人間は一定のことを何度も反復練習し、暗記教育することによって、かなり脳の力をつけることができる。その力は、例えば筋肉トレーニングに似ており、反復練習によって体ができてくることと、同じようなものだ。同じようなものというのは、違いがあるからで、それは外見からは非常に判断しにくいということである。ただし、たいていの場合、目を見れば違いがわかることが多い。目には力があり、そこには、その人の器量が映る。

フリーメーソンの多くの人に共通することといえば、その目力がとても強いと言うことかもしれない。目力は、多くの宗教にも共通して尊敬される対象である。また武士道などでも、あるいは 日常の生活の中でも、目は口ほどにものを言う。と言われているほどだ。

人間のコミュニケーションは言葉によるものは全体の25%ほどであとの75%はゼスチャーなどのほかのものによるとディーガンのマネージメント リーダーシップに書いてあった。確かに、そのとおりかもしれない。ここで、セルフ エスティームまで話を広げるつもりはないけれど、そういう形に残らない力によって、人と人がコミュニケーションをしていることが、確実ならば、自分を磨くということは、単にうわべだけの取り繕った姿や、人に気に入られるような気取った話し方より、深くひとつのことを繰り返し学ぶことが、より近道なのかもしれない。

多くの方法がある。それは大学で物理学を研究することかもしれないし、将棋を極めることかもしれない。空手をマスターすることだって、同じだ。それぞれに到達すれば底光りする人間が出来上がるはずで、フリーメーソンの教義であるリチュアルを何度も読んで、その意味を考え、そして何かを悟ることができれば、それは、それで値打ちのあることではないか?と思うのである。

そういうことを何度も繰りかえしている・・・つまり道を歩きながらリチュアルを何度もぶつぶつと口の中で言っていると、変な顔をされるから気をつけよう。







フリーメーソンと催眠術

2009-10-09 02:34:05 | フリーメーソン
なぜか、フリーメーソンはおどろおどろしく語られる。オカルト好きの人や、あるいは金融を陰謀論で見る人にとっては、そのメーソンに連なる名前を見て、驚き、やがて、フリーメーソンが世界征服するという発想になる。
古くには、ロシアのユダヤ人長老によるプロトコールなどというまことによくできた本を引っ張り出し、あるいは赤い盾などの本に影響を受けている人も多いだろう。

フリーメーソンを悪しく言う人や、その人のいずれ破綻していく様子は、大体共通している。フリーメーソンに入れなかった人が、彼がなぜ入れなかったのかを真剣に考えず、ただフリーメーソンが自分を受け入れなかった腹いせに、様々なことを調べて(その中にはおおくのでたらめを含むが)それから インターネットにいろんないい加減な情報を流す人や、あるいは、はじめから、フリーメーソンが嫌いだとまず先入観を持って 自分の意見を述べる人、それに、ただ怖いものだと思う人など、さまざまな人によって、一つのグループが出来上がる。そのグループは、大抵 あまり強い絆でお互いが結ばれているというほどのものではないために、自然消滅し、またどこかで自然発生する。

フリーメーソンに入会することは、あまり簡単ではない。特に、紹介者のいない人の場合や、過去に犯罪歴のある人は、まず 無理だ。フリーメーソンの人がどこにいるのか、分からない。これでは、多くの人にとって まず最初の一歩から、進むことは出来ないだろう。さらに、そのメーソンの人2人から紹介を受けるためには、その人とメーソンの会員が、ある一定期間以上お互いを良く知っていることが求められる。さらに、その人の身元素性をきちんと、調べられうそが発覚するとはねられる。ロッジ(ロッジという)で、全員に白い石と黒い石が手渡され、その上で、そのすべての石が白でなければその人は、そのロッジの会員になれない。また、過去に一度断られた人は、まず 二度目の挑戦はできない。

入会すると、今度はイニシエーションが行われる。それはとても厳格な儀式だが、詳しくは誰にも教えてはならない。なぜなら、ここからが秘密のドアの向こう側になるからである。

日本にもそういうロッジはある。
例えば東京ロッジは、東京タワーのすぐ近くで執り行われており、ブルーロッジとスコッティシュ ライト (スコッティシュ ライト はローズ クワーとも呼ばれ どちらかというとキリスト教の影響が大きい)のテンプルがある。世界からの訪問者や、日本人の交流が良く行われている。

そこで、交友が行われていると、「ほら陰謀じゃないか」となるのだろう。世界中に多くのメソニックロッジがあると、世界制覇をしようとしているとなるだろうし、また、多くの重要な地位にメンバーがいると、やっぱり となる。

ここでちょっと考えてみて欲しい。
フリーメーソンは確かに、インテリが多い。中に入るためには、なんだかんだ言っても、ある程度の社会的地位が、必要になる。フリーメーソンになったから、社会的地位が上がったのではなく、もともとある程度の地位のある人が入ってくるのだから、当然、中での会話はある程度以上の知識とそれを理解できる知能が必要になってくるだろう。それに、性格が穏やかな人が多い。それは、社会的地位や教養とも関係があるかもしれないが、やはり、乱暴な人や、無法者が、入りにくいようなシステムになっていることに起因するだろう。もちろん、インテリの集団が世界中から集まりお互いを認知できる特別な仕掛けがあるということは、それに、付随して多くの人にとっては陰謀を企てているという結論になるのも もしかすると、責めることは出来ないかもしれない。だが、交友=陰謀 という単純思考が私にはどちららというと、あまりにも幼稚な発想に思える。社会的地位が必要な団体は他にもたくさんある。ロータリークラブも、ライオンズクラブも、東京倶楽部も、それぞれに敬意を払うべき人がたくさん会員になっていて、また、財産家や、あるいは社会的地位という意味においても、フリーメーソンと変わらないのである。だが、なぜか、そういうクラブにはあまり人は陰謀などの声を上げない。なぜ フリーメーソンだけが、そういう誹謗を受けるのだろうか?

それは、おそらく古くから連綿と続く儀式によるものだろう。そして、多くのメーソンの形式などが、国会議事堂であったり、裁判所であったり、様々なところで用いられていたり、あるいは、アメリカの都市は町そのものが形を現していたりするために、その隠然とした力を感じて、誹謗することになるのかもしれない。

考察を続ける前に、一体、メーソンの持つ力・・・例えばオカルト好きな人にとって、いわゆる霊力だとか、スピリチュアルな力が、あるのかどうか?ということも、考えてみる必要があるのかもしれない。

もし、仮に人間が存在すること事態が、霊とかスピリチュアルな力と密接な関連があるのだとしたら、その間にはやはり、言葉が介在するのではないだろうか?

多くの霊能者とそれを信じる信者との間に交わされるものも、言葉であり、また、宗教の根源になるものも、それは 言葉である。

科学的に立証することができる範囲のもので言えば、おそらく、古来から伝わる催眠術がもっとも、言葉を使った誘導術であると言えるであろう。

ならば、フリーメーソンはそういう催眠術の類をやるのか?
この答えは、NO である。フリーメーソンは催眠術などやらない。
ただ、中には厳格で古くから伝わる リチュアルと呼ばれるものが存在し、会員たちはそれをはじめから最後まで暗記することに精力を注ぐ。英文で書かれている場合が多く、暗記には根気とかなりの忍耐力とさらには、知能が必要になる。英語は古い言葉で、また分かりにくく書かれていてしかも、すべてが表示されているわけではないという厄介な代物だ。だからリチュアルの本を見たとしても、いったいなんと書いてあるのか、分かる人はいないだろう。

これから、時々、フリーメーソンについてこうして書いてみようと思う。より誤解が広がるか、あるいは誤解が解けるのかは、無論、私の予想の範囲ではない。ただ、何も書かないで、本当のことを知りたいと思う人や本来そういう 世間で広まっているいい加減な話や情報に惑わされていなければ、いいのに・・・と思うしだいである。また、もしかしたら、今頃、その人自身が メーソンになっているのだとしたなら・・・と考えると、それはその人の一つの人生の選択や機会がなくなったことになるのではないだろうか?とも 考えた次第である。





フリーメーソン

2009-10-03 02:31:41 | フリーメーソン
世界について語るとき、どうしても避けては通れない団体がある。
それは、フリーメーソン。

フリーメーソンの内部って、一体どんな人たちなんだろう?
本当にオカルト的なことや、もしかしたら、陰謀などを張り巡らせているのか?

などなど、多くの日本人たちは、おそらくあまり馴染みのないフリーメーソンに対して、おどろおどろしいイメージを持っているだろう。

それらのイメージのいくつかは虚構で、そしていくつかは実像かもしれない。

しかし、どの虚構にしても実像にしても、すべてのもの・・・そうほとんどすべてといっていい・・・は、フリーメーソンの内部の人によって書かれたものではなく、外部の人間によって、想像といくらかの調査と、虚構によって成り立っている。

本来の姿とはかけ離れたものも少なくないだろう。
本が売れさえすれば それでいい。
そう考える人にとって、実際のフリーメーソンよりも、より過激な内容のほうが、売れるからである。そして多くの映画も そういう人たちによって作られた。



では、フリーメーソンである人は 実際 どんな風に感じているのだろうか?
よく、彼らは「私たちは秘密結社ではない、秘密を持った社会なんだ」と言う。つまり、団体の場所も、そしてミーティングの時間もすべて公開されているので、秘密結社ではない。だが、その中にはお互いが大切にしている秘密があるので、そのことに関しては、対外に漏れないようにしているという 意味なのである。

だから、外部からそれを誤解されるのではないか?

しかし、それをもらすことは決してできない。たとえ 誤解されようとも、殺されたとしても 名誉と誇りにかけて、秘密は決して口外しない。
毎日 その中で生きているうちに、生活に違いが出てくる。
どこか 家庭、社会生活、交友関係、などなど細部にわたってフリーメーソンの会員でない人との違いが出てくるわけだ。言葉の端々に、どうしても内部で使う言葉の符牒が、混じることで、お互いが通常の会話をしていても、いっぺんに通じ合えたりする。10人集まったとして、その中で誰と誰がメーソンであるかは、お互いがすぐに分かるようになっている。また特別な握手や、様々な仕草は言葉がなくとも多くの表現力を持っている。

歴史的には、1700年ごろイギリスで始まったことになっているが、実際はもっと古く、例えば1100年ごろの フリーメーソンのマークであるコンパスと直角定規が墓に彫られているものに、出くわす。イスラエルやヨルダン、パレスチナなど、様々なところに、その歴史をたどることができ、しかも、西洋建築のほとんどは、彼らがどこかでかかわっていることがわかる。メーソンは石工のことで、城塞を作る重要な仕事の後、城の秘密を漏らされることを恐れた王様がその職人たちを殺したり、あるいは、きちんとした給与を支払わなかったこともあり、メーソンのネットワークで互いが助け合えるように、なっていた時代もあった。当時は、ギルドと呼ばれ、その時代は、より労働組合のような性格が強かったであろう。やがて、政治家や弁護士や会計士、それに資産家や実業家が加わるようになり、今のようになってきたのだと思われる。しかし、その教義は深く多くの知識人たちの素養と好奇心を満足させるのに十分な力があり、世界に広まる。

メーソンにはいくつかの別々の内部団体がある。

それぞれに、また階級と秘密がありすべてを一生の間で学ぶことは、まず不可能だと言われている。

基本になる、ブルーロッジだけでも、すべてを完璧にマスターできるようになるためには、どんなに天才的な頭脳と時間を傾けても 10年はかかるだろうといわれている。

通常は父から子へ、子から孫へと受け継がれる。

かつて、父は自分がメーソンであることを決して子供には知らせなかった。毎月、ある時期になると、父が小さなアタッシュケースを持って正装で 出かけていく。そのアタッシュケースの中身は決して見せてはくれない。

ある日、学校で友達が、「フリーメーソンって、いうのがあるんだ」という話をしているのを聞く。まるで御伽噺か、都市伝説のようで、オカルト的でもあり、悪魔の儀式のような話か、魔法使いの話、あるいは、世界を動かすような政治家の話や、まるで、話題がぎっしり詰まった宝石箱のようだ。少年たちは目を輝かせて本を読んだり、グーグルでサーチしたりしながら、様々な情報を集める。

家に帰り、ふと、父を見る。
父が、フリーメーソンではないか?とある日少年は 疑いをかける。


子供は、とても不思議な気持ちである日 父に内緒で、そのアタッシュケースを覗いてみる。
ドキドキしながらケースを開けると そのなかには・・・

父がフリーメーソンであることを 知ってしまった少年は 複雑な気持ちにとらわれる。自分の父が 普通の人ではないということを、感じ、そしてそれまで父を見ていた目が、違うものになる。

フリーメーソンの大人って、こんな人なんだ と客観的に父を見ている自分に驚く。そして、父が出かけていくたびに、それは、一体 何のために、そしてそこでは何が行われているんだろうか?好奇心はますますつのるが、もう友人たちと軽々しくそういう話題はできない自分に気がつく。

そして父にも直接 聞く勇気もなく、ただ 鬱々としながら、少年はやがて青年になっていくのだろう。

そういう興奮と、そして 不思議なわだかまりを抱えた少年がやがて18歳になり、父に連れて行かれる。「どうだ?このドアの向こう側へ おまえは入りたいと願うかね?」

少年は長年持っていた 畏怖と好奇心の板ばさみになり、一瞬 分からなくなる。だが、やがて、利発な少年の頭脳は ついに、好奇心の虜となって、そのドアの向こうに入らなければ気がすまなくなる。

ドアはノックされる。

少年は、初めての体験、驚き、そして感動を、第一階級で味わう。

こういうことが連綿と繰り返されてきた。そして それは文化としてすべてのヨーロッパの町、アメリカの町、オーストラリアの町、そして日本の町にも・・・世界中のありとあらゆる町を作り上げ繁栄させる。
フリーメーソンが入る町は 繁栄していき、拒否する国は、いつも 滅びていく。
その様々な教義は、多くの真実を含んでいるからだろう。
それらが、やがて多くの人々を 巻き込んで繁栄を築き上げていくための 基礎を提供するからなのだろう。

宗教の隔たりもなく、お互いが愛せあえる社会。
まるで ジョンレノンの イマジンのような社会こそ、本当に理想の社会なんだろう。戦争もなくお互いが愛せあえる社会を作ることは、しかし、戦争を生むこともあるというのを、目の当たりにすると、人間とはなんと愚かなものではないだろうか?とため息が出る。