Sydney Yajima


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これが人間の国か?

2011-06-29 19:23:15 | 政治
もっとも、恐れていたことが起こった。
子供たちの内部被爆が、確認された。

それらの放射性物質は彼ら、彼女らの未来へ 多くの影響を与えることになるだろう。
それは、ガンであったり甲状腺異常であったり、あるいは遺伝子異常であったり白血病であったりする。
もし、自分の子供から放射線物質が発見されたら、親はどんな気持ちになるだろう。
おそらく、取り乱し あるいは、泣くか、それとも怒るか、あるいは、防いでやることのできなかった不甲斐なさで、自分を責めるか、のどれかであろう。

現在でも進行中の放射能汚染は、まだまだ とどまらないで広がりつつある。
そのなかで、すでに原発再開の動きが出ている。

人が苦しみ、悲しみ、嘆き 恐怖におののき、東京にも放射能は降り注いでいたにもかかわらず、今後 食物からも、多くの放射能物質が人々に取り込まれるにもかかわらず・・・

福島や佐賀県などという地方に原発を押し付けて、東京や大阪は、繁栄している。産業は繁栄している。
地方の人々は 放射能によって苦しみ 悲しみ 嘆き 恐怖におののき、それにもかかわらず、都会は、その犠牲のうえに、「まあ、しかたないんんじゃないの?」などとふかしている。そして、繁栄している。
刑務所に入った 囚人の堀江という人は、東京に原発を作るなどというのは、暴論だ。と言ったが、はたして、そうだろうか?
福島や佐賀 青森に原発を作って、その電気で渋谷や六本木に明々と 電気がともって その六本木ヒルの高層マンションで、毎日の生活を 楽しんでいた彼の行動は、一体 どういう論拠で正当化されるのだろう。
刑務所の中で、じっくりと 考えてくれればいいのだが・・・

人間に優しく、寛容で、そして 未来の子供たちに多くの自然を残してあげる、幸せにしてあげたい。
そんな、あたりまえで、素朴な願いは、彼にとっては 暴論に聞こえるのだろうか?

原子力発電が、なければ、人間は生きていけないわけではない。

人間は、パンだけで生きるものではない。だが、パンがなければ、生きられない。
汚染された環境は、我々のパンを奪ってしまう。

天変地異はまだまだこれから

2011-06-29 19:03:31 | 世界情勢
このところ、忙しかった。
フリーメーソンの会合に出回っており、色々な話を聞いていたりするうちに、様々なことが分かってきた。

端的に言えば、天変地異が始まっているのは、日本だけではなく また今回だけでもないということと、すでにエネルギー価格が高騰しており、石油ショックの波が強烈に新興国を襲いつつあるということと、さらには、食糧事情がこの秋以降、極端に悪くなる兆候が無視できなくなってきたということだ。

運命は、どこに住んでいるかでほぼ確定する。


棄民

2011-06-26 00:05:29 | 政治
菅首相が、原発再開の方針を出した。
福島では、今も大量の放射能に苦しんでいる人々がいるのに、である。

夏場、電力の消費が増える。
これを補うためには、火力発電を増やす必要があり、それは燃料高騰のため、電力会社は電気代をあげざるを得ない。それは産業に大きな支出を出させる結果となり、支出は、競争力を奪い、輸出産業は立ち行かなくなる。
それを恐れた産業団体は 原発の再開を要請することとなり、菅首相は容認したという流れだ。

日本の国債発行とその赤字を補填するためには、日本はラットレースのように、ただぐるぐると輪の中を危険を顧みずに走り続けなければならないらしい。
危険はどこにでもあるじゃないかという声もある。
火力発電でも危険はあるし、交通事故でも人は死ぬ。

なるほど、危険はどこにでもある。

危険だ危険だと言っていれば、トラックの運転さえできないだろう。と言う人もいる。

そうかもしれない。

だが、被爆の危険は、もっとも結果が悲惨で恐ろしいと日本人の多くが感じている。私も、そう 思う。

今、どうしようもなく原子力発電が必要ならば、それを、いつまで続けるのか。いつになれば、止めるのか の期限ぐらいは区切ってもいいんじゃないだろうか。
せめて、2040年までにいは、ゼロにしてほしいと願う。

自然再生エネルギーが、中心となり、火力、原子力がゼロになる世の中が、やってくることを、私は願う。
せめて・・・

あと30年で なんとか ならないものか・・・

小出先生

2011-06-25 00:32:45 | 政治
今回の原発事故は、とても悲惨で大変な事故だった。
しかし、小出先生という素晴らしい方が居られることを知り、私は 日本がとても好きになった。
日本に帰って、先生と一杯酌み交わしたいと願っている。

世の中で、大事なことは、お金や権力 などというものではなく、幸せであるということなのだという単純なことさえ、いつのまにか、虚飾の中で忘れてしまうことがある。

海の前に立つと、その向こう側に行きたくなり、山を見ると越えたくなる。
そんな単純な気持ちで、世の中に生きる.
まるで 、海の向こうに行くことや 山を越えるというこのように、お金や権力ばかりを追い求めている人ばかりだった。
海を越えればまた別の海があり、山を越えればまた別の山がある。
いつまでたっても、満足もできないし、満足できなければ幸せにもなれない。
バブルを経験して、それが弾けても まだ日本人はそれを続けた。

言うなれば・・・私もその馬鹿の一人である。
今から私の馬鹿な半生を追ってみる・・・

暑いから、エアコンをつける。
エアコン・・・クーラー・・・
考えてみれば、私の少年時代には、車にクーラーのついているのはやくざか、政治家か どこかの成金社長の車だけで、庶民はみんな窓を開けて走っていた。それでも、車のある家は別格で、ほとんどの人は、扇風機の回る電車で通勤しているのが普通だった。
それでも みんなそれが当たり前で、結構幸せだった。
だから、エアコンは幸せを呼び込んだりはしないのである。
エアコンがいかにつまらないものか・・・

家にエアコンが来たのは、私が小学生のときだったからいまから40年前のことだ。
それでも 近所ではエアコンのない家がほとんどで、エアコンの効いた部屋でキリンレモンを飲んでいると、友達がうらやましがった。
ヤジの家に行こう
と私の家は小学生時代 学校帰りの 女の子のたまり場になっていた。
女子に人気があると 勘違いしていたが、実はキリンレモンとエアコンだったという笑えない話がある。
家に帰ると、常に何人かのクラスの女子がいた私は、エアコンが当たり前の時代になると どんどんと人気が衰え、ついには誰も相手にされなくなる。
一応断っておくが、それがトラウマとなって、エアコンに反対するわけではない。

車にもエアコンがつくのが当たり前になり、車の免許を持つ頃には、女子を誘って、ドライブに行く。
もちろん、女の子は、車が目的であったり、その先で 待ち受けているご馳走や、あるいはちょっとした景色のいいところでの雰囲気のいい海岸で聴くサザンであったりするのだが、そのときも私は 自分にほれていると完全に勘違いしてしまったことが何度もあり、それらの女の子たちは すべて一人残らず 勘違いとともに 去りぬ。であった。
つまり、私の少年時代から、青年時代に至るまで、エアコンには多くの苦い思い出がある。
一応断っておくが、それがトラウマとなって、エアコンに反対するわけではない。

オーストラリアは、日本と違い、気候が乾燥しているので、エアコンがなくとも、さっぱりしている。
そのため、私はエアコンと完全におさらばした。
今はエアコンのない生活を快適に送っている。
妻もいるし、子供もいるし、私はそういう意味ではようやく様々なエアコンのトラウマから逃れることが出来た。
それでもエアコンは素晴らしいと思うときがある。夏の暑い夜は、やはり、つけてしまう弱い私がいるのである。
ああ、なんと弱いことか・・・
と思いながらも、気がつくと手がスイッチに向かう。ああ、なんと私はつまらない人間か・・・

私は小出先生には、到底 足元にも及ばない愚かな男ではあるが、しかし、その何分の一、何十分の一、いや何百分の一くらいか、あるいは何千分の一でもいいから、何かお役に立てないだろうかと願っているのである。それでも、エアコンは心のどこかで、好きなのだ。

どうすればいいのか?
答えは簡単明瞭・・・

消せば いいのです。





なぜ原発をやめるべきなのか

2011-06-23 12:21:05 | 政治
今回の福島第一原子力発電所の事故について考察する。
始めにメルトダウンが起こったとき、それは一部溶解の怖れと報道された。
そして、冷却水が止まったという時点でなにをしたのかというと、ポンプ車を持ってきた。それがドイツ製である。
つぎに フランスアメリカに放射能除去をお願いした。
つまり、ここでも、白人の国にお願いして助けてもらわなければならなかった。
恐らく、日本製では対処できなかったのだろう。
日本には、ポンプで水を送る技術も、放射能を除去する技術もなく、54基の原発を、アメリカから購入してきただけなのである。

今後も原発を再開するという。

技術もないのに。


そして、「安全です」という。


技術もないのに。

安心です とも言う。

技術もないのに。


この娘たちを モルモットにするつもりか

2011-06-22 21:20:06 | 政治
彼女たちは もう十分に苦しんでいるはずだ。
それなのに、東電は彼女たちに個人被爆線量計を持たせた
これを近畿大学に送ると、近畿大学ではおそらく この被験者たちが どのくらいの放射能を浴びたかを記録するのであろう。
そしてこれから 数年後に彼女たちや その子供たちの染色体に異常が発見されると それは貴重なデータとなる。
アメリカやヨーロッパなどからは垂涎ものの 生きた人間のデータだ。

彼女たちの データは様々な検査に使われるだろう。
一生、彼女たちについてまわるはずである。
彼女たちは 被爆手帳を持たされるだろう。
どんな病気になっても、彼女たちの被爆手帳には詳しく記録されるはずで、そのために様々な 治療 という名の下で、実験 が行われるであろう。
それは、ガンの治療 甲状腺異常の治療 遺伝子異常の治療 など多岐に渡る。
本当に、彼女たちの健康を気遣うならば、彼女たちや、その家族を移住させることである。被爆線量計を持たせて、実験することではない。

私は、日本が好きだったが、しかし、こんなことを思いついて自国民を実験している人間がいるのも 確かだと知った今、単純に日本が好きだなどとは 言えなくなってしまった。
東電が一体どういうつもりで、こんなことをしているのか、もっと知りたいところだ。
アメリカの取引先から、依頼されたのではないだろうか?
ならば、それは、アメリカが放射能の治験者を、欲しがっているということだ。
彼女たちに アメリカで最高の治療をしてあげる と甘い言葉で誘って 将来、様々な実験をする可能性もある。
あるいはそれを 日本の様々な大学がやることも考えられる。





少し変だな 

2011-06-21 18:57:00 | 政治
確かに 菅首相は 良くないのだろう。
これだけ 多くの人が彼に反対しているのだから、良いわけがない。
と、しても・・・

一体、じゃあ、誰ならばいいのか?

小沢一郎?
それとも、他の誰か?

どう思う?
いい加減にして欲しいと 思うんだ。

チャート

2011-06-20 19:30:44 | Weblog

これが日本航空の株価の下落だが5年


これが、東電の下落。
かなり類似はしていることは、誰もが認めるだろう。
しかしながら・・・
日本航空の2010年1月と 東電の2011年1月後は、明らかに違う。
つまり東電は、ここでぎりぎり持ちこたえているのである。
これならば、乗り切れば反発する可能性が高い。

問題はしかし、乗り切れるかどうか である。

毎日新聞では このような記事があった。それだけのリスク・・・つまり のちのち 多くの人々から大きな批判を受けることを覚悟の上で、ダム建設を先送りしている。1000億円が惜しいからであり、また、株価の下落がこれ以下になると セリング クライマックスが起こり、東電はなくなってしまうからである。
東電は、株主総会まで ありとあらゆる事実を 隠し通すつもりだ。


日 時:平成23年6月28日(火曜日)午前10時
場 所:東京都港区芝公園四丁目8番1号
    ザ・プリンス パークタワー東京 地下2階 ボールルーム

すでに メルトダウンし、それが毎日地下を溶けて流れ出している今現在も、東電は隠し通す。

株主も、馬鹿ではないから、分かっているはずだ。

6月28日は 日本の未来にとって、試金石になるだろう。




反社会的行動

2011-06-19 09:52:34 | Weblog
例えば、原発反対のデモというものがある。
デモ、というと、どこか 反社会的な行動に見られがちで、それは例えば広がると学生闘争というものにつながるようにみられる。
しかし、原発のデモに関して言えば、歩いている人は、老人であり、若者であり、おかあちゃんであり、普通の一般の 過激とは程遠い人たちである。
どう考えても、反社会的ということばは あてはまらないだろう。

私は昨日、マッコーリー バンクの ビル モスという元、チーフと食事をした。
彼は年収 100ミリオンを得ていたが、筋肉のおとろえていく病気を抱えて苦しんでいる。
私の食事しているテーブルには、ダニエル グリーンというボクシングの選手もいた。
今回の ディナーの趣旨は、 筋肉の衰えていく病気への、寄金集め である。
ディナーの内容は チョコレート。
ということで、チョコレート ソースの海老がオントレー
メインにはチョコレート ソルト???で焼き上げた フィレステーキ
それにチョコレートでコーティングした チーズケーキがデザートであったわけだが、どうも、最近この手の食事が苦手になってきた。年だろう。今まで 散々こんなものばかり 食べてきたから、飽きたのかもしれぬ。
最近は、うどんが食べたくなったり、お茶漬けが食べたくなったり、朝ごはんは ベーコンやらハムエッグなどよりも、丸干しにお味噌汁のほうが ありがたい。
かつては、ワインを飲んで、それにあわせた食事などにこだわりを持つことで、通ぶっていたところもある 非常に嫌味な人間であったが、最近はどうも、それが 馬鹿らしくなってきた。
ともかく、私は、3.11以降 猛烈に反省したのである。
もっと、地面に近いところで、本当に大切なものは何かを考えたいと思うようになったし、自然との関わり合いや、キザだと思ってあまり言わなかった 愛などについても 思いをはせるようになった。

金儲けが うまい人はたくさんいるけれど、幸せな人は少ないことに、気がついたからなのかもしれない。


 

いつから こうなったのか

2011-06-17 00:05:46 | Weblog
日本の大学でも同じだと思うが、(不幸にしてか、幸いにしてか 私の大学生活はオーストラリアであったため、日本の大学の勉強は知らない)大学は、大抵、将来企業に入るとき、役に立つことを教えてくれるところだ。
役に立つこと というのは、企業にとって役に立つということである。
それらは、効率であったり、効果であったり、業績評価であったり会計評価であったり、あるいは、改善システムであったりする。
ここには、一切 人間の情 というものがなく、したがって、いわゆる油っ気のまったくない、ドライな数字の世界である。
企業は、そういう人が入ってきてくれて、実績を上げてくれることを望む。
間違ってはいない。どんな 企業であっても、常に投資に見合ったリターンを望む。
入社した社員は、自分の手柄をたてようと、様々なアピールをする。
それが、資格を取ることである場合もあるだろうし、実績評価までに数字を上げておくということかもしれない。
ともかく、そこでようやく その人本来の欲が、良い意味でも悪い意味でも発揮されることになり、その人は、会社の中で何人かの部下を得るようになる。そうなると、「おい」と部下にいえるようになり、日本の悪い風習であるセンパイとコウハイ という私の大嫌いなシステムが活用される。
私はこういうものが好きではない。もちろん、年長の者を敬うことは、大事だと思うが、一年年上で、威張っている運動部のセンパイというものを、散々見てきた(今でもそうなのかどうかは、知らない)時代の人間としては、うんざりさせられるのである。
ともかく、大学閥ができたり、先輩 後輩のシステムがあったり、と初めてこの辺から 油臭さが出てくるが、これも、人間らしさとはちょっと違う。
人間らしさとは、もっと、人に優しくあるべきで、差別化をすることとは、違うはずだ。
日本は、人に優しい風土があるはずだが、しかし、高度成長期にそれらをどこかに置いてこなければならなかった。
置いてきて、それで何をしたのかというと、批判である。それも日本的にかなりじめじめと陰湿で粘着力のある批判を、常にしてきた。
相手は、薬剤会社であるときもあるし、レストラン、特定の政治家、あるいは企業、芸能人 誰でもいい。ともかく、目に付く人間を、マスコミが書きたて、わざと目つきの悪い写真を載せて、批判してきた。
それも、必要ではなかったとは言わない。だが、批判しているとき、肝心なことをうっかりしていることがあるのではないだろうか。
例えば、今の場合、東電を批判し、あるいは、菅内閣を批判する。
しかし、肝心なこと。
おそらく、龍馬が生きていれば、「ここが、肝じゃ」と言うであろう事。を忘れている。

この国を どうしたいのか。

それを、しっかりと考えないまま、ただ効率とものづくりだけに走ると 同じ間違いをしてしまう。
ものづくり が悪いとは言わない。しかし、同時に ひとづくり もしなければ、片手落ちになってしまう。

日本が、ただの ものづくりの工場か、職人町になるだけで、いいのだろうか。
そのために、「効率の良い」と言われる原子力発電所を 54基も作って、来たのである。
それで、良かったのだろうか。

フクシマという多大な犠牲を、私たちは目の当たりにしている。
これを、ただ、うやむやにしてしまってはいけない。

一番大切なことは、私たち自身がきちんと 答えを出すことだ。

この国を どうしたいのか。

世界は日本を 賞賛している

2011-06-15 02:15:56 | Weblog
菅内閣の復興への取り組みが 遅いと批判を受けている。
もちろん、彼の取り組みは もっと 良い方向に向くべきだとは思う。
しかし、日本の復興が遅いという人は、世界にはいない。

世界は日本の復興の早さに 驚いている。

産業界、原子力村、それに利権、官僚などさまざまな人間の欲が、私たちの目を曇らしているが、世界の人は、見ている。
もしかしたら、我々日本人自身よりも、日本のことを見ているのかもしれない。

それは岡目八目で、かえって、外から見ると はっきり見えるのかもしれない。

日本は、すでに復活への足取りを力強く進めている。
素晴らしい国、日本。

胸を張って 歩こう。

6・11

2011-06-12 13:37:40 | Weblog
100万人の声。

私は 涙が出て止まらん。
ここに集まる人々は、ふつうの市民だ。
おじいちゃん おかあさん こどもたち・・・

いくら マスコミが 原子力発電を 煽ろうと、 いくら官僚や政治家が利権を守ろうとしようとも、ここにいる 勇気ある人々は、NOと、言う。

今、ほんとうに感動したければ、歩き出せばよい。
ただそれだけで、よい

ホモ・サピエンス

2011-06-11 15:06:52 | Weblog
こうして 書いている私も、読んでくれている あなたも 等しく ホモ・サピエンスに属する。
その 同じホモ・サピエンスとして、考えてもらいたい。

私もあなたも、欲しいものはたくさんある。
例えば、それは お金かもしれない。
あるいは、快適なオフィスで、清潔な環境に明るい照明 見下ろせる都会と国際的な取引 数億円を数秒で動かすスリル感かもしれない。
あるいは、地位や名誉かもしれないし、もしかしたら 学術的な成功かもしれない。
子供に素晴らしい教育をつけさせることや、あるいは、幸福を求めて、宗教を信じることが正しいと考えているところかもしれない。
それぞれの環境で、さまざまな考え方が生まれていて、それらは同じではない。
だが、それがどれほどクレイジーな発想だったにせよ、基本は ホモ・サピエンスであるというところから、ものを考えてみたい。

そう、あなたも私も ホモ・サピエンス なのである。そして ホモ・サピエンスとは 「知恵のある人」と言う意味でもある。
その意味で、御互い その知恵を出して考えてみたい。

もちろん、今の状況・・・とてつもない量の放射能と向かい合っている・・・について 考えてみたいのである。

私たちは、人類 (ホモ・サピエンスたち)の 変態に向き合っているかもしれない。
なぜならば、放射能は、遺伝子の情報を狂わせるからである。
あるいは、人類の滅亡という方向に行っているかもしれない。

その考え方から、さらに もうひとつ次の考えを進めていく。

次に私が問いたいことは、プルトニウムは兵器か?という疑問だ。
ウラニウムで原子力発電を行うと プルトニウムという副産物が出来る。これを再利用するプルサーマルというものが、ある。
これらの施設は、兵器ではないか?という疑問だ。

兵器の定義は、戦争において使用する全ての車両、航空機、船舶、設備等の事を指し、敵となった目標を殺傷、破壊するためや、敵の攻撃から防御するための機械装置である。兵器は用途別に細かく分類され、その種類は膨大な数に上る。

つまりプルトニウムを作る施設や設備は、この定義にそっていえば、兵器なのである。
それ自体は、武器ではないが、しかし、兵器なのである。なぜなら、プルトニウムは、人を殺傷することができるし破壊することができるからである。目的としているかどうかでは、議論が分かれるかもしれないが、仮にプルトニウムを持つと、それはほぼ未来永劫と言っていいほど 長期にわたって持ち続けることになるので、いずれ政権が変わり 人が移ろいそれらを武器として使用する目的と変わるかどうかについての 将来への責任は、今の人間にとっては持ちようもないことだ。
だから、今の目的が、武器ではないとしても、議論の俎上に 「兵器でははない、あくまで 平和利用だ」 などという世迷いごとを、乗せることをしてはいけない。今、現在の気持ちはこうだから・・・というだけでは、無責任すぎるからである。

私は何が言いたいのか?
と ここまで読んで理解してくださった方には、思われるかもしれないが、もう少し 先を読んで欲しい。

つまり、プルトニウムが兵器である ということを 私は言いたかったのである。
そして、それは、言うまでもないことだが、核兵器である。

ということは、つまり日本の国是である 非核三原則 「核兵器をもたず、つくらず、もちこませず」に明らかに反していることになる。
これは、裁判にすることができるのだろうか。
答えは NO である。
国是には法的拘束力が ないか、著しく 弱いからである。

しかし、繰り返しになるが、非核三原則に反していることは、明らかだ。
法的拘束力はないが、それにしても、日本の方針には合わないものであることは、はっきりしている。

にも、かかわらず。
またもや、原子力発電所を再び動かそうというマスコミの煽りや、電気が足りなくなるという脅しがあることは、完全に日本国民をなめている。
この勢力に属する人間は 日本人ではない。
少し やわらかく言い直そう。
私は、原子力発電所を推進しようとしている人間たちを、日本人だとは認めたくはないと、言いなおしてみようと思う。

彼らは、日本に巣くう虫のような者共で、我々日本人は大いに迷惑しているのである。

彼らは、日本人のような顔をし、日本のパスポートをもち、日本の国籍さえ持っていて、自分たちを日本人だと言い張るであろうが、決して彼らは 日本人ではない。
なぜなら彼らは、日本人を愛していないからである。
さらに言えば、彼らは人間(ホモ・サピエンス)でさえない。
恐ろしい 恐ろしい核兵器を作って それを金の力で押し付けて、フクシマを不毛の土地にしたり、あるいはこれから日本中のありとあらゆる地域を 彼らの持つ54基の兵器で 破壊しつくし 人々を放射能で 殺し尽くそうと企んでいるからである。

私たちの中に、もし原子力発電所に賛成しようと言う人間がいたら、彼を人間(ホモ サピエンス)だと認めてはならない。
なぜなら、彼らは私たちの種を破壊しようとしているからである。

彼らを、力によって変えることは、しかし できないであろう。
彼らは、今、お金や地位という かりそめの世界の魔力によって、人間もどきに なってしまっているかもしれないが、 本来は 泣きもし、笑いもする 私たちと同じ人間だったのである。ただ、狂ってしまっただけだ。
だから、彼らのソフトをスクリーニングし ウイルスを除去すればいいのだ。
そうすれば、彼らを人間に戻してやることが出来る。
ちょうど、アル中の人間や 薬物中毒者のようなものだと 思えばいい。
あるいは エクソシストの悪魔祓いのような 想像でも まあ、いいかもしれない。
コンピューターのウイルスバスターのほうが、もっとも近い発想かもしれない。

彼らを、きれいにしてあげる必要がある。
小学生の頃、彼らの誰一人として、核兵器を持ちたいなどとは 言っていなかったはずだ。
彼らをもう一度、その頃のピュアな状態に 戻してあげれば、きっと 彼らもやってきた間違いを後悔し、そしてその優秀な頭脳を使って、良い未来を作るためにしっかり働き出すことになるだろう。

悪魔たちに奪われた ホモサピエンスを取り戻そう