年内に、景気が回復する。と力強くオバマは演説をした。今回、麻生首相を呼んだのは、タイミングとして、この演説にともに立ち会って、第二位の経済大国日本の力をもって、ともに立ち上がり不況と闘おうと言うつもりであったが、あと何ヶ月持つか分からない麻生首相を連れてきても、ネガティブイメージになりこそすれ、決して得策にはならないと、間際に判断したオバマ陣営は、1時間20分の会見だけでお茶を濁した形で、さっさと、お帰りいただいたということになる。(RE: http://www.cnn.com/2009/US/02/24/us.japan/index.html?eref=rss_latest)
この点、オバマは常にマスコミを いかにうまく操って乗り切るかということに神経を使っていることが 読み取れる。
だが、演説とその役者ぶり、それにスピーチの力とリーダーシップの取り方には敬意を払うが、本当に経済は回復するのだろうか?
人によって様々に 底はいつごろ来るのか・・・を、もっともらしく言ってくれるが、実際には、誰にも分からないはずだ。
だが、SP500のチャートを基本に話をするならば、今はすでに安値圏に入っていることが分かるが、まだ底は先になりそうだということが、見て取れる。(RE: http://icf.som.yale.edu/Confidence.Index/)
このページは、かなりリスペクトできるが、それにしても・・・だ。どんな経済理論にそって予測してみても、理論は破られるためにあるものなので、こればかりは 判断の材料のひとつとしか言えない。
経済は 人間が作るもので、その活動は、サルや犬やキジ、それにバラの花やカラタチの花、それに、立派な松の木にも、あるいはサルスベリの木にも、作ることはできるわけはなく、もちろん、大根にもしいたけにも関係ない。それらを売買するのは、あくまで人間様なのであって、それらには1円の値段もないし、100億円の値段もない。人間様が売買するときに、初めて身勝手な値段と言うものをつけて、経済と言う化け物が始まる。
昔、ロボットが人間のすべての仕事を引き受けて、人間は一切仕事に行く必要はなくなり、毎日ただ遊んで暮らしていけばいい時代が来るという話しを聞いたことがあった。今の時代になって、コンピューターが多くの人を(手書きで伝票を書いていた世代)クビにして、リストラという新語でその多くの人たちは、何か新しい手に職をつけるか、そのまま、首をくくって死んでしまうかという選択を迫られた。技術が進化して、人間が幸せになったのか、不幸になったのかは 分からないが、言えることは、人間の数が仕事に対してもっと少なくてもやっていける時代になったということだ。
それで、仕事のなくなった人たちは、給料が入らないので、消費力がにぶり、つまり ディスポーザブル インカムが無くなり、そのおかげで、経済危機がやがて、時間を経てやってきた。それが今の時代だと思う。
もちろん、つまらない頭をもった数字の好きな人間が、大きな架空取引であるデリバティブをやって大損をこいているとしても、それが、すべての原因で今の経済混乱が起こったとは、思いたくない。
というのも、それが原因の大半を占めていることは、私にも分かっているが、なぜMBAがもてはやされたこの過去20年間の経緯をもっとみんな 考えようとしないのだろうと思うと、とても馬鹿げている道化芝居を見ているようで、物事の本質が見えなくなってしまうからだ。
新卒の大学生は、コンピューターを使いこなせるのに対し、ウィンドウが起こしたコンピューター 革命のときに、旧式に大学を出ただけの人にとっては、この革命に乗り遅れることは、すなわち 社会の粗大ごみになることを意味していたから、あわてて大学に戻ったのが、MBAの流行と時を一致させているといえば、ピンと来るだろうか?
コンピューターは素晴らしい機械だ。こうして、シドニーにいる私が考えて書いていることも、明日には東京のあなたが読むことができるのも、まったくコンピューターのおかげだ。便利で、効率よくしかも、多大な効果をともなって、時代を駆け巡っている。キーボードさえあれば そこから、様々な情報だけでなく、魂までも打ち込めることができる。たとえ、それがプラスチックでできていたとしても・・・だ。
だが、時代のスピードの加速は、それによって、人間が運ぶ郵便(E メールに対しこちらでは スネイル メールと呼ばれる)が、アメリカのスタンダードをそのまま世界中に持ち込んだ。これがグローバル化だ。
グローバルというのはようするに、アメリカ化のことをオブラートに包んで、飲みやすくした薬のような言葉で、経理も経営も、また経済も、ありとあらゆるスタンダードをMBAという媒体で、社会や、会社、事業、ときには、政治や法律にまで刷り込んでいったのが過去の20年間だ。ここで、どこの誰が悪いとか、原罪はどこにあるという話をしても仕方がない。ただ、それはそういうものだと思って先を読まなければ、次には進めない。9・11を誰が起こしたのか?といくら口角に泡を飛ばしてみても、何も結論が出ないのと同じである。
もう一度繰り返す。
要は そういうものなのである。
で、何が言いたいのかと言うと、例えば、人間は恋をするが、そのときに、様々にプレゼントを買ったり、レストランを予約したりと、多く経済活動を伴うが、ロボットにはそういうことを期待しても無理だということだ。ロボットは “パンを焼くことはできるかもしれないが、パンを食べることはできない。”ということなんだ。日本の一番 大きな問題は、技術の進歩を追い求めてきたけれど、そのために教育費用がかさみ、子供を作る親が減った。独身貴族で結婚をしない人も増えた。仕事に生きがいを見出したか、あるいは毎日が刺激的で楽しい、それとも 子供などわずらわしいと思うのか、ともかく人間が、どんどんと減ってき始めているわけだ。
人間が減ると言うのは、経済にとっては、デリバティブの失敗よりも、MBAよりも、あるいは9・11や、リストラなどよりも、株主総会や、配当が無配になることよりも、もっともっと深刻であるべき課題のはずだ。なのに、まったく、無策の政府がいる。
火事のあるときには、子供ができやすいということで、江戸にはどんどん火事が起こった。これが、文化で、その勢いが江戸の経済を支えていたという江戸に学ぶことはできないだろうか?乱暴な理論かもしれないが、もっと もっと、毎日でも冬でも、いろんなところで花火大会をやってもいいだろうと思うのだ。
子供が育てられない親から、子供がほしくてもできない大人に、里子制度をもっと簡略化できないものだろうか?あるいは、政府が親になるから、子供を安心して生みなさいと、どうして言ってあげられないのか?胎児する人がずっと減ると思う。無責任に子供を生むのは、倫理にもとると言う人がもしいたとするなら、無責任に子供を生むなと言うことも同じくらい倫理に問題がないだろうか?それに、今の政府は人のことをとやかく言えるほど しっかりした倫理観を持っている人の集まりだったことが、あったろうか?
子供が3人以上いる親は。将来社会へ3人も税金を支払ってくれる人間を送り出すのだから、今大変なこの親たちに、もっと政府は現金を渡してあげたらどうだろうか?
そう、あからさまに子供がたくさんいたら、その分キャッシュをあげますというのが、いい。子供を作ったら、キャッシュがもらえる。これは、分かりやすい。
そして、もっと、人口を増やして、子供の声がキャーキャー言う社会を作ればいい。学校を一杯にして、給食も大忙しになり、大学も、進学のための予備校も、ドクターも病院も、みんな大忙しになる。
子供がたくさんいたら、人口の逆ピラミッド化が解決されると思う。そうすれば、完璧とは言わないが もっと、ドラム缶型で1億人の人口がまんべんなく年代ごとにきちんと振り分けられるように、調整できる方法に近いものにはならないものだろうか?成功すれば、老齢年金の問題も減るし、税金の取り方ももっと、公平になってくる。将来の社会不安も解消されて、世の中はもっと明るく、住みやすくなるはずだ。
経済は100年の計画を立てないと、国単位では、いずれ破綻する。今のアメリカはやはり、今年から来年くらいの範囲でしか、ものを言っていない。だけれど、日本の今の政治よりは、先に見込みがある。少なくとも、人口問題は、まだずっとマシだ。
それにしても・・・こういうことは、考えられないだろうか?
もし、あなたがどこかの国を 弱体化して侵略しようと遠い深謀をめぐらせたとしたら、最初に何をするだろう?
子供が生まれないようにすれば、その国は滅びると思わないだろうか?もし、環境ホルモンをいじり、子供ができにくくしたなら、戦争をしなくてもその国は滅びる。
ホルモンと言うものが、専門家ではないからどういう仕組みと働きで人間の遺伝子を狂わせるのかは、私には分からないが、それがもし、様々な食品を通して行うことが可能であり、実際に行われていて、知らないうちに 見えない病に冒されていることがあるとしたら、と考えると妙な説得力で、あらゆる角度から思い当たることがある。男性の女性化、女性の男性化。これなどは、今のテレビドラマと私が子供のころのテレビドラマと比較してみれば、一目瞭然で、昔は、男が髪の毛を伸ばすだけで、社会問題になっていた。今の時代は、女が髪を伸ばすと話題になったりする。いや、それどころか、この前は、テレビで男用のブラジャーが紹介されていた。
古い人間かもしれないが、ブラジャーをする男性が、父親になるという像はちょっと、描きにくい。私は古い人間なのかもしれない。
この点、オバマは常にマスコミを いかにうまく操って乗り切るかということに神経を使っていることが 読み取れる。
だが、演説とその役者ぶり、それにスピーチの力とリーダーシップの取り方には敬意を払うが、本当に経済は回復するのだろうか?
人によって様々に 底はいつごろ来るのか・・・を、もっともらしく言ってくれるが、実際には、誰にも分からないはずだ。
だが、SP500のチャートを基本に話をするならば、今はすでに安値圏に入っていることが分かるが、まだ底は先になりそうだということが、見て取れる。(RE: http://icf.som.yale.edu/Confidence.Index/)
このページは、かなりリスペクトできるが、それにしても・・・だ。どんな経済理論にそって予測してみても、理論は破られるためにあるものなので、こればかりは 判断の材料のひとつとしか言えない。
経済は 人間が作るもので、その活動は、サルや犬やキジ、それにバラの花やカラタチの花、それに、立派な松の木にも、あるいはサルスベリの木にも、作ることはできるわけはなく、もちろん、大根にもしいたけにも関係ない。それらを売買するのは、あくまで人間様なのであって、それらには1円の値段もないし、100億円の値段もない。人間様が売買するときに、初めて身勝手な値段と言うものをつけて、経済と言う化け物が始まる。
昔、ロボットが人間のすべての仕事を引き受けて、人間は一切仕事に行く必要はなくなり、毎日ただ遊んで暮らしていけばいい時代が来るという話しを聞いたことがあった。今の時代になって、コンピューターが多くの人を(手書きで伝票を書いていた世代)クビにして、リストラという新語でその多くの人たちは、何か新しい手に職をつけるか、そのまま、首をくくって死んでしまうかという選択を迫られた。技術が進化して、人間が幸せになったのか、不幸になったのかは 分からないが、言えることは、人間の数が仕事に対してもっと少なくてもやっていける時代になったということだ。
それで、仕事のなくなった人たちは、給料が入らないので、消費力がにぶり、つまり ディスポーザブル インカムが無くなり、そのおかげで、経済危機がやがて、時間を経てやってきた。それが今の時代だと思う。
もちろん、つまらない頭をもった数字の好きな人間が、大きな架空取引であるデリバティブをやって大損をこいているとしても、それが、すべての原因で今の経済混乱が起こったとは、思いたくない。
というのも、それが原因の大半を占めていることは、私にも分かっているが、なぜMBAがもてはやされたこの過去20年間の経緯をもっとみんな 考えようとしないのだろうと思うと、とても馬鹿げている道化芝居を見ているようで、物事の本質が見えなくなってしまうからだ。
新卒の大学生は、コンピューターを使いこなせるのに対し、ウィンドウが起こしたコンピューター 革命のときに、旧式に大学を出ただけの人にとっては、この革命に乗り遅れることは、すなわち 社会の粗大ごみになることを意味していたから、あわてて大学に戻ったのが、MBAの流行と時を一致させているといえば、ピンと来るだろうか?
コンピューターは素晴らしい機械だ。こうして、シドニーにいる私が考えて書いていることも、明日には東京のあなたが読むことができるのも、まったくコンピューターのおかげだ。便利で、効率よくしかも、多大な効果をともなって、時代を駆け巡っている。キーボードさえあれば そこから、様々な情報だけでなく、魂までも打ち込めることができる。たとえ、それがプラスチックでできていたとしても・・・だ。
だが、時代のスピードの加速は、それによって、人間が運ぶ郵便(E メールに対しこちらでは スネイル メールと呼ばれる)が、アメリカのスタンダードをそのまま世界中に持ち込んだ。これがグローバル化だ。
グローバルというのはようするに、アメリカ化のことをオブラートに包んで、飲みやすくした薬のような言葉で、経理も経営も、また経済も、ありとあらゆるスタンダードをMBAという媒体で、社会や、会社、事業、ときには、政治や法律にまで刷り込んでいったのが過去の20年間だ。ここで、どこの誰が悪いとか、原罪はどこにあるという話をしても仕方がない。ただ、それはそういうものだと思って先を読まなければ、次には進めない。9・11を誰が起こしたのか?といくら口角に泡を飛ばしてみても、何も結論が出ないのと同じである。
もう一度繰り返す。
要は そういうものなのである。
で、何が言いたいのかと言うと、例えば、人間は恋をするが、そのときに、様々にプレゼントを買ったり、レストランを予約したりと、多く経済活動を伴うが、ロボットにはそういうことを期待しても無理だということだ。ロボットは “パンを焼くことはできるかもしれないが、パンを食べることはできない。”ということなんだ。日本の一番 大きな問題は、技術の進歩を追い求めてきたけれど、そのために教育費用がかさみ、子供を作る親が減った。独身貴族で結婚をしない人も増えた。仕事に生きがいを見出したか、あるいは毎日が刺激的で楽しい、それとも 子供などわずらわしいと思うのか、ともかく人間が、どんどんと減ってき始めているわけだ。
人間が減ると言うのは、経済にとっては、デリバティブの失敗よりも、MBAよりも、あるいは9・11や、リストラなどよりも、株主総会や、配当が無配になることよりも、もっともっと深刻であるべき課題のはずだ。なのに、まったく、無策の政府がいる。
火事のあるときには、子供ができやすいということで、江戸にはどんどん火事が起こった。これが、文化で、その勢いが江戸の経済を支えていたという江戸に学ぶことはできないだろうか?乱暴な理論かもしれないが、もっと もっと、毎日でも冬でも、いろんなところで花火大会をやってもいいだろうと思うのだ。
子供が育てられない親から、子供がほしくてもできない大人に、里子制度をもっと簡略化できないものだろうか?あるいは、政府が親になるから、子供を安心して生みなさいと、どうして言ってあげられないのか?胎児する人がずっと減ると思う。無責任に子供を生むのは、倫理にもとると言う人がもしいたとするなら、無責任に子供を生むなと言うことも同じくらい倫理に問題がないだろうか?それに、今の政府は人のことをとやかく言えるほど しっかりした倫理観を持っている人の集まりだったことが、あったろうか?
子供が3人以上いる親は。将来社会へ3人も税金を支払ってくれる人間を送り出すのだから、今大変なこの親たちに、もっと政府は現金を渡してあげたらどうだろうか?
そう、あからさまに子供がたくさんいたら、その分キャッシュをあげますというのが、いい。子供を作ったら、キャッシュがもらえる。これは、分かりやすい。
そして、もっと、人口を増やして、子供の声がキャーキャー言う社会を作ればいい。学校を一杯にして、給食も大忙しになり、大学も、進学のための予備校も、ドクターも病院も、みんな大忙しになる。
子供がたくさんいたら、人口の逆ピラミッド化が解決されると思う。そうすれば、完璧とは言わないが もっと、ドラム缶型で1億人の人口がまんべんなく年代ごとにきちんと振り分けられるように、調整できる方法に近いものにはならないものだろうか?成功すれば、老齢年金の問題も減るし、税金の取り方ももっと、公平になってくる。将来の社会不安も解消されて、世の中はもっと明るく、住みやすくなるはずだ。
経済は100年の計画を立てないと、国単位では、いずれ破綻する。今のアメリカはやはり、今年から来年くらいの範囲でしか、ものを言っていない。だけれど、日本の今の政治よりは、先に見込みがある。少なくとも、人口問題は、まだずっとマシだ。
それにしても・・・こういうことは、考えられないだろうか?
もし、あなたがどこかの国を 弱体化して侵略しようと遠い深謀をめぐらせたとしたら、最初に何をするだろう?
子供が生まれないようにすれば、その国は滅びると思わないだろうか?もし、環境ホルモンをいじり、子供ができにくくしたなら、戦争をしなくてもその国は滅びる。
ホルモンと言うものが、専門家ではないからどういう仕組みと働きで人間の遺伝子を狂わせるのかは、私には分からないが、それがもし、様々な食品を通して行うことが可能であり、実際に行われていて、知らないうちに 見えない病に冒されていることがあるとしたら、と考えると妙な説得力で、あらゆる角度から思い当たることがある。男性の女性化、女性の男性化。これなどは、今のテレビドラマと私が子供のころのテレビドラマと比較してみれば、一目瞭然で、昔は、男が髪の毛を伸ばすだけで、社会問題になっていた。今の時代は、女が髪を伸ばすと話題になったりする。いや、それどころか、この前は、テレビで男用のブラジャーが紹介されていた。
古い人間かもしれないが、ブラジャーをする男性が、父親になるという像はちょっと、描きにくい。私は古い人間なのかもしれない。