Sydney Yajima


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アメリカの金融政策について (1)

2009-06-02 00:23:22 | 世界情勢
アメリカの金融政策について (1)

アメリカの金融政策とは、金融緩和以外には、何も無いといっていい。つまり、利率を下げれるだけ下げて、輪転機をフル回転させて、市場に紙幣をばら撒くだけである。ものすごく、分かりやすい。
中国に寄った政策をしているオバマ民主党は、共産主義を標榜しているのでもなければ、毛沢東に心酔しているわけでもない。ただ、その輪転機にかけたドル紙幣を購入してくれるお客さんである中国に、媚を売っているだけである。
なぜなら、輪転機から無限に産出される紙幣を、ありがたがって買ってくれるところは、日本を除いては、今のところ中国しかないのである。また中国はすでに、購入を継続し続けなければならないというサイクルにはまってしまっている。(購入のトラップとも言う)

アメリカは、まだまだとても強い国で、新しいものはいつもアメリカからやってくると、多くの1990年代以前の日本人は、今でも思っている。実際、アメリカは戦後のジャズから始まって、高速道路、地下鉄、デパートに、ファッション、ヒッピー、ゴーゴー、学生闘争、映画、ロック、ハンバーガー、コーク、ラップにドラッグ、ポルノ、などなど、様々な良いもの、悪いものを日本に持ってきた。日本は、それらを何の節操も無くがむしゃらに食いついた。あるものは、地獄を味わい、あるものは天国を味わい、どちらにしても、運が悪かったのか良かったのかの違い以外は あまり変わりが無い。ただ、アメリカを信奉してそれを模倣し、アメリカそのものになったつもりで、ジーンズをはいてコカコーラを飲んだという以外には、何も深いものは無かった。それが、一言で言えば昭和という時代であったのであろう。アメリカのものであれば、何をしても格好良かったし、それが拳銃を撃って人殺しをする刑事映画であっても、あるいは、ワンナイト スタンドセックスをテーマにしたものであっても、アメリカ的でさえあれば、すべて、善だった。いや、それが善か悪かなど、どうでもよかったのだろう。
音楽の変遷をみれば、アメリカで流行していたものが、おおよそ2年程度で、日本で流行している。それは、世界の中央であるアメリカという文化の発祥地から、ありがたく頂いてくる流行の波を、昭和の日本人は、ただ、模倣した。まったく、無邪気に、ただそれを模倣した・・・

だが、昭和が平成になったころ、それは確実に変化が起きていった。
多くの日本人は気がつかなかったかもしれないが、ルーズソックスもガングロ、アニメ、任天堂ゲーム、プレーステーション、それらは、すべて良くも悪しくも、日本発の文化である。アメリカでもコスプレをする人口が増え続けていることを知っているだろうか?アメリカの子供たちが、日本製のゲームに夢中になっていることを、どれだけ多くの日本人が、知っているのだろうか?確実に、風向きが変わってきている。もはや、世界は、日本を中心に文化が回ってきているのである。シドニーの若者も、「うらはら」などという場所について熱心に聞きたがる。裏腹ではない裏原。原宿の裏通りのことである。若いころ、ぶらぶらと歩いたところが、いまは世界のファッションの憧れになっているのだ。

日本人の気がついていない変化はまだまだたくさんある。
アジアで言えば、こうだ。
中国人やベトナム、台湾、韓国、それに、マレーシア、インドネシア、フィリピンなどもふくめて、多くのアジアの若者たちは、日本人が思っているほど、第二次世界大戦のことなどを、考えたり、こだわってはいないということだ。それらはすでに、過去のことであり、彼らの知りたいことは、東郷元帥のことよりも、渋谷の歩き方や、秋葉原のロボット館のことで、もっといえば、日本発のアニメが大好きで、できればその主人公になってみたいし、それができる日本という国に、住んでみたいと思っているということなのである。

なぜ、日本の政治家たちは、こんなに古いんだろう?
と絶望的に嘆じるのは、私だけではないはずだ。

日本の、政治家たちは、まったく、昭和に生きていて、そして、その価値観・・・アメリカからなんでももらえるという・・・を持ち続けていて、しかも中国や韓国の年寄り(ここでは、第二次世界大戦の事を持ち出して大騒ぎする前時代的な生き残りをすべて含めて、年寄りと言うことにする。たとえ 彼、もしくは彼女の実年齢が若かろうと、70年近く経った昔のことを昨日あったことのように、抗議したりデモをする人たち)のことを、中国や韓国の現在の若者の大半のように考えている。中国や韓国にもたくさんの年寄りがいるけれど、すべてが そうじゃない。日本の今にあこがれている若者はたくさんいるのだ。

時間は、とても早くすすんでいる、その時間の先には、変化がある。

アメリカが一極支配していた時代は、すでに過去のもので、これからは、中国を中心に動く時代かもしれないし、インドが中心になるのかもしれない。だが、文化から言えば、日本はまだまだ、これからは、大きな位置を占めている。
なぜなら、文化は若者が支えて発展させていくものだし、良いものも、悪いものも含めて 自然に拡大していくものだからだ。

アメリカに模倣して、アメリカに追従して、そして、アメリカのようになりたいという時代は、終わったという選択肢も あってもいいのではないだろうか?

アメリカが、かつて華やかに輝いていた時代は 終わった。
私は、アメリカの経済の再生という課題には、とても悲観的だ。アメリカ人が、肥満して、働くことを嫌がり、高い給料を要求して、自分たちのできること以上のことを当然のように受け取っていた。これが文化というならば、随分 思い上がったもんだな・・・と。

だが、その気持ちのしこりが、なるほどと納得のいく形で取れたのが、今回のGMの破綻だった。むろん、喜ぶべきことではない。納得がいったのは、働かざるモノ 食うべからず のことわざが本当のことだと思っただけのことで、日本にとって良くなったわけではない。

サブプライムローン、デリバティブから始まった金融操作のツケがここにきて最悪のタイミングで、最悪の形で来ていることは、間違いないだろう。

この時代に生まれて、最高の国が最低の国へと落ちていく過程を見る証人になれたことを、ラッキーだと思うべきなのか、あるいは、その大きな渦の中でもがき苦しむことを アンラッキーだと思うべきなのかは、自分たちで決めることだ。

いずれにせよ、今回私の言いたいことは、ひとつだけだ。

アメリカにべったりし続けるのも 一つの選択肢だが、アメリカから距離を置くことも別の選択肢として、存在するのではないか?ということだ。ベン バーナンキーの金融政策の真似をすると、どうなるかは、今のアメリカが成功しているかどうかを見れば、よく分かる。