ぐらのにっき

主に趣味のことを好き勝手に書き綴っています。「指輪物語」とトールキンの著作に関してはネタバレの配慮を一切していません。

瀬田訳が日本の指輪ファンに与えた影響について

2004年10月14日 | 指輪物語&トールキン

今日の写真はマートン・カレッジの入り口の上の方?です。別口でオックスフォードに行った霊感の強い友達によると、このあたりはいやーな感じで写真撮れなかったそうです(汗)何も写ってない・・・ですよね?(汗)

以前から気になっていたのですが、瀬田貞二さんの訳はかなり個性的だと思うんですよね。やはり原書で読むのとイメージが違ってくるのだと思いますが、それによって瀬田訳で読む日本のファンが受ける「指輪物語」のイメージって変わってくるのでしょうか。
特に、サムの言葉遣いが独特ですよね。初読時から、「原書では一体どんな喋り方してるんだろう???」というのがとても疑問でした。
英語が堪能な方によれば、原書でもサムの喋り方には独特なものがあるのだそうです。と言っても、私などにはどの程度普通と違うのかはよくわかりませんが・・・
でも、やはり瀬田訳のサムの話し方は、かなり独特なんじゃないかなーと思います。
サムの話し方だけでなく、他の人物の言葉遣いも、地の文も(「ホビット」の流れでですます調なのは、明らかに原書のイメージと違うと思います)、かなり日本版独特の雰囲気があるのではないかと思います。
私は、その瀬田訳の、日本語の文章自体の暖かさがとても好きなのですが。日本のファンの多くがそうだと思います。そして、そんな瀬田訳で読んだ日本のファンにとっての「指輪物語」のイメージは、かなり瀬田訳のイメージに影響されているのではないかと思うのです。
PJ映画のサムのキャラクターが原作と違うことには私はかなり衝撃を受けたのですが、その後、欧米では意外にショーン・アスティンのように「サムは英雄」的な見方をする人が多いらしいということを知りました。
それで、もしかしたら日本のファンにとってサムが「朴訥」なイメージなのって、瀬田訳の影響なのかな、と思ったこともありました。そのあたりは今のところよくわからないのですが・・・。バクシアニメのサムは間抜けな感じが強調されてますしね。
私は海外サイトはほとんど見ないので、海外の原作ファンのPJ映画への批判、みたいなものを読む機会はほとんどないのですが、あまりそういう話題は聞かないような気がします。
そればかりか、FotRの時点の話ではありますが、TORnのトップページのアンケートで、「原作のイメージに一番近いキャストは」というのをやっていたとき、確かショーン・アスティンのサムがトップだったような記憶が。
あれを見た時にはとてもびっくりしたのですが、もしかして海外ではアスティンサムにそれほど違和感がないのだとしたら、日本の原作ファンに違和感を感じる人が多い(いや別に多くなかったりして(汗))のは瀬田訳のせいなのかも、とも思いました。
まあ、このあたりのサム観の違い???は、国民性の違いにもあるかもしれないなーとも思うのですが。
なんだかサムの話ばかりになってしまいましたが(汗)とにかく、瀬田訳が日本のファンに与えた影響は実は大きいのではないかな、と思ってしまうのです。
でも、もし瀬田訳の印象に影響されてしまっているのだとしても、それは原作を改変したとかではなく、いわば原作の中のどの要素に重点を置いて訳したか、ということですよね。(って翻訳の何たるかも知らずに書いてますが(汗))
もしそうだとしたら、あのような暖かさ、気高さ、を掬い取って伝えてくれたという点で、瀬田訳で読むことのできた日本のファンは実はとても恵まれているのかも、と思います。国によっては、かなりいい加減な訳だったりすることもあるそうですから・・・
コメント
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