昨日ふと思いたって、自分の指輪サイトのサントラ考察内の「『一行の離散』vs.『勇者サムワイズ』」を読み返してみました。
いやー、自分で書いたのに何書いたか結構忘れてるもんだなあ、と思ったのですが、そこに書かれていた内容に、自分で書いたものながら考えさせられてしまいました。
いや、自分の書いたものに感心したとかではなくて(笑)この当時は映画LotRに対してこういう気持ちだったんだなあ、ということが新鮮だったんですよね。
あれを書いたのは映画TTTを見終わった後で、SEEはまだ見ていなかった頃なんですが、TTTまでは私にはPJ映画はこんな風に見えていたんだなあと・・・
この「一行の離散」と「勇者サムワイズ」は、FotRとTTTのラストシーンの音楽がほぼ同じ構成になっていることについて、音楽と共に二つの映画の場面を対比して色々と書いたものなんですが、この中で、私は何度も「フロドがサムや仲間たちに支えられて進んで行く」ということを強調していました。
それはRotKでも確かにそうだったのですが・・・RotKを見終わった今となると、この「フロドが仲間たちに支えられている」=「友情と信頼」ということを前面に押し出した描かれ方が、映画を原作から離れさせてしまった一因だったのだ、と思うようになっていたのです。
今思うに、TTTまでは、「友情と信頼」は暗く重い描写の中で敢えて押さえ気味で描かれていたと思います。
特にTTTでは、私はRotKとの対比でわざとやっていたと信じているのですが、登場人物たちはそれぞれの戦いを懸命に戦っている姿が映し出され、遠く離れた他の仲間たちを思う場面は劇場版では出てきませんでした。最後にFotRラストの「一行の離散」と同じメロディが流れる中、分かれた仲間たちがそれぞれ戦う姿が映し出され、そして最後にガンダルフが「我らの希望は荒野を行く二人のホビットにかかっておる」という台詞で初めて全員の旅がつながるようになっていたと思います。
FotRのラストもTTTのラストも、どこか物悲しい音楽が相俟って、しみじみと感動したものでした。(まあTTTはサムの台詞とかいろいろ引っかかる点もあったのですが・・・)
RotKでは、それまで抑えられてきた「友情と信頼」が堰を切ったように前面に押し出されて描かれていて、それまでの2作の集大成としてそれで感動できる・・・はずだったのですが、あまりにも前面に出されすぎて、あまつさえちょっと安っぽくて分かり易い描写が多くなってしまったために、それまでの2作で高まっていた私の期待はちょっとハズされてしまったのでした。
PJはさかんに「RotKが一番描きたかった物語だ」と言ってましたから、それまでの抑えられた描写はRotKまで取っておいたのかな、RotKのああいう「友情と信頼」が本来PJが描きたかったものだったのかな、と思ってしまいます。
多くの原作ファンの方はTTTや、早い方はFotRから、もうそのあたりは看破していらしたようですが、ファン歴浅い私はRotKを見てようやくそのことに気がついたというわけです・・・
RotKのサントラを初めて聴いた時に感じた違和感、「なんだか明るすぎるような・・・」という印象も、映画本編を見た後となっては直感が当たっていたんだな、と思います。
好きですけどね、RotKのサントラも、もちろん。「黒門開く」なんて大好きだし、映画の灰色港に馴れた今では「灰色港」の音楽もとても好きですし。
でも、暗い中にじんわりと暖かさと希望を感じさせた、TTTやFotRのサントラも良かったよなあと、なんだか今となっては懐かしく思ってしまうのでした。
いやー、自分で書いたのに何書いたか結構忘れてるもんだなあ、と思ったのですが、そこに書かれていた内容に、自分で書いたものながら考えさせられてしまいました。
いや、自分の書いたものに感心したとかではなくて(笑)この当時は映画LotRに対してこういう気持ちだったんだなあ、ということが新鮮だったんですよね。
あれを書いたのは映画TTTを見終わった後で、SEEはまだ見ていなかった頃なんですが、TTTまでは私にはPJ映画はこんな風に見えていたんだなあと・・・
この「一行の離散」と「勇者サムワイズ」は、FotRとTTTのラストシーンの音楽がほぼ同じ構成になっていることについて、音楽と共に二つの映画の場面を対比して色々と書いたものなんですが、この中で、私は何度も「フロドがサムや仲間たちに支えられて進んで行く」ということを強調していました。
それはRotKでも確かにそうだったのですが・・・RotKを見終わった今となると、この「フロドが仲間たちに支えられている」=「友情と信頼」ということを前面に押し出した描かれ方が、映画を原作から離れさせてしまった一因だったのだ、と思うようになっていたのです。
今思うに、TTTまでは、「友情と信頼」は暗く重い描写の中で敢えて押さえ気味で描かれていたと思います。
特にTTTでは、私はRotKとの対比でわざとやっていたと信じているのですが、登場人物たちはそれぞれの戦いを懸命に戦っている姿が映し出され、遠く離れた他の仲間たちを思う場面は劇場版では出てきませんでした。最後にFotRラストの「一行の離散」と同じメロディが流れる中、分かれた仲間たちがそれぞれ戦う姿が映し出され、そして最後にガンダルフが「我らの希望は荒野を行く二人のホビットにかかっておる」という台詞で初めて全員の旅がつながるようになっていたと思います。
FotRのラストもTTTのラストも、どこか物悲しい音楽が相俟って、しみじみと感動したものでした。(まあTTTはサムの台詞とかいろいろ引っかかる点もあったのですが・・・)
RotKでは、それまで抑えられてきた「友情と信頼」が堰を切ったように前面に押し出されて描かれていて、それまでの2作の集大成としてそれで感動できる・・・はずだったのですが、あまりにも前面に出されすぎて、あまつさえちょっと安っぽくて分かり易い描写が多くなってしまったために、それまでの2作で高まっていた私の期待はちょっとハズされてしまったのでした。
PJはさかんに「RotKが一番描きたかった物語だ」と言ってましたから、それまでの抑えられた描写はRotKまで取っておいたのかな、RotKのああいう「友情と信頼」が本来PJが描きたかったものだったのかな、と思ってしまいます。
多くの原作ファンの方はTTTや、早い方はFotRから、もうそのあたりは看破していらしたようですが、ファン歴浅い私はRotKを見てようやくそのことに気がついたというわけです・・・
RotKのサントラを初めて聴いた時に感じた違和感、「なんだか明るすぎるような・・・」という印象も、映画本編を見た後となっては直感が当たっていたんだな、と思います。
好きですけどね、RotKのサントラも、もちろん。「黒門開く」なんて大好きだし、映画の灰色港に馴れた今では「灰色港」の音楽もとても好きですし。
でも、暗い中にじんわりと暖かさと希望を感じさせた、TTTやFotRのサントラも良かったよなあと、なんだか今となっては懐かしく思ってしまうのでした。