映画の原作を読んでみようシリーズ読書です(汗)
映画を観た時には、原作があるなんて全く知らなくて、エンドロールを観てびっくりしました(笑)
しかも、作者が藤田宜永と知ってびっくり。なんかイメージ違うなあと・・・いや藤田宜永の作品一つも読んだことなかったですが(汗)
きっと、設定だけ借りて全然違う話なんだろうなあ・・・というのを確認したくなって読んでみました。
読み始めて、初めのうちは意外に原作どおりだったとわかってびっくりでした。「亡き王女のためのパヴァーヌ」を聞いてたら自転車のおばさんが・・・とか、コスプレパーティーとか、原作にもあったなんてびっくりでした。
まあ、原作とはちょっと違う味わいになってましたけどね。福原の妻の浮気相手がもしかして自分かも・・・という件も、映画の方がコミカルなテンションになってて面白かったです。
そういえば、映画では井の頭公園のあと、なぜか南下していたようなのですが(府中の飛行場とか行ってたし)、原作では善福寺公園→井草八幡宮→西荻窪→荻窪→東高円寺と、モロに私の行動範囲を歩いていたんですね。
福原と奥さんの思い出の神社が井草八幡宮だったとは。映画で映らなくてガッカリ・・・。
でも、あのあたりは割りと高級住宅街で、映画のひなびた雰囲気を求めようとしたら確かに違うんですよね。
そして、話が進むにつれてだんだんと映画が原作から離れて行ったのがわかりました。
東京歩きにしても、原作では猥雑な東京のありのままの姿を見て行く感じですが、映画ではノスタルジックな東京を抜き出してましたね。
原作では後半、主人公文哉のストリッパー美鈴への思いが中心になって行きますが、映画では美鈴の話がそもそも出てこないし、そのあたりからかなり話が変わって来ます。
原作では美鈴への思いが核になっていて、文哉が初めて幸せだと感じたのは美鈴との出会いによって、ということになっていますが、映画では美鈴を出さずに、擬似家族を得るというシチュエーションで文哉の孤独を表現していたんですね。
真紀子さんも原作にも出てきてましたが、擬似家族にはならなかったし、文哉たちが泊まったのも真紀子の持ってる雑居ビルだったりして、やはり映画の後半はかなりオリジナルでしたね。
映画を見ていて、原作から離れだしたあたりから面白くなって来たんだな・・・と確認しました(汗)
文哉のキャラクターは、原作を読んでいると地味な感じで、あまりビジュアル的なキャラクターが浮かんでこないんですが、映画のオダギリジョーさんのイメージで、と思うとなるほど、という感じ。ちょっと違うと言えば違うけれど、上手いキャスティングかなと思いました。
映画では文哉のモノローグが少なめなので、前半は文哉の心境を補足できた感じでした。
福原も、映画も怪しいオヤジではあるんですが、映画の方が妻を殺した悲哀を感じますね。
ラストの「意外な事実」は、確かにその方が腑に落ちるんですが、なんか夢から醒めさせられてしまうような感じで、なんかやだなーと。まあそれを狙ってるんでしょうけど・・・
解説で、藤田宜永氏の母親との確執のことが書いてありましたが、原作のラストを読んで、確執の深さを感じました。いくつになっても、親が亡くなっても、許せないことはあるんだよな、と。
色々と感じるところもありましたが、やっぱりこの人の作品は性に合わないな、というのはよくわかりました(汗)
でも、東京を歩くという発想は面白かったし、そういうところが三木監督の目に止まったのでしょうね。
原作を読んだことで、映画の良さをより感じるようになりました。上手くアレンジしてるよなあと。機会があったらまた見たいですね。
映画を観た時には、原作があるなんて全く知らなくて、エンドロールを観てびっくりしました(笑)
しかも、作者が藤田宜永と知ってびっくり。なんかイメージ違うなあと・・・いや藤田宜永の作品一つも読んだことなかったですが(汗)
きっと、設定だけ借りて全然違う話なんだろうなあ・・・というのを確認したくなって読んでみました。
読み始めて、初めのうちは意外に原作どおりだったとわかってびっくりでした。「亡き王女のためのパヴァーヌ」を聞いてたら自転車のおばさんが・・・とか、コスプレパーティーとか、原作にもあったなんてびっくりでした。
まあ、原作とはちょっと違う味わいになってましたけどね。福原の妻の浮気相手がもしかして自分かも・・・という件も、映画の方がコミカルなテンションになってて面白かったです。
そういえば、映画では井の頭公園のあと、なぜか南下していたようなのですが(府中の飛行場とか行ってたし)、原作では善福寺公園→井草八幡宮→西荻窪→荻窪→東高円寺と、モロに私の行動範囲を歩いていたんですね。
福原と奥さんの思い出の神社が井草八幡宮だったとは。映画で映らなくてガッカリ・・・。
でも、あのあたりは割りと高級住宅街で、映画のひなびた雰囲気を求めようとしたら確かに違うんですよね。
そして、話が進むにつれてだんだんと映画が原作から離れて行ったのがわかりました。
東京歩きにしても、原作では猥雑な東京のありのままの姿を見て行く感じですが、映画ではノスタルジックな東京を抜き出してましたね。
原作では後半、主人公文哉のストリッパー美鈴への思いが中心になって行きますが、映画では美鈴の話がそもそも出てこないし、そのあたりからかなり話が変わって来ます。
原作では美鈴への思いが核になっていて、文哉が初めて幸せだと感じたのは美鈴との出会いによって、ということになっていますが、映画では美鈴を出さずに、擬似家族を得るというシチュエーションで文哉の孤独を表現していたんですね。
真紀子さんも原作にも出てきてましたが、擬似家族にはならなかったし、文哉たちが泊まったのも真紀子の持ってる雑居ビルだったりして、やはり映画の後半はかなりオリジナルでしたね。
映画を見ていて、原作から離れだしたあたりから面白くなって来たんだな・・・と確認しました(汗)
文哉のキャラクターは、原作を読んでいると地味な感じで、あまりビジュアル的なキャラクターが浮かんでこないんですが、映画のオダギリジョーさんのイメージで、と思うとなるほど、という感じ。ちょっと違うと言えば違うけれど、上手いキャスティングかなと思いました。
映画では文哉のモノローグが少なめなので、前半は文哉の心境を補足できた感じでした。
福原も、映画も怪しいオヤジではあるんですが、映画の方が妻を殺した悲哀を感じますね。
ラストの「意外な事実」は、確かにその方が腑に落ちるんですが、なんか夢から醒めさせられてしまうような感じで、なんかやだなーと。まあそれを狙ってるんでしょうけど・・・
解説で、藤田宜永氏の母親との確執のことが書いてありましたが、原作のラストを読んで、確執の深さを感じました。いくつになっても、親が亡くなっても、許せないことはあるんだよな、と。
色々と感じるところもありましたが、やっぱりこの人の作品は性に合わないな、というのはよくわかりました(汗)
でも、東京を歩くという発想は面白かったし、そういうところが三木監督の目に止まったのでしょうね。
原作を読んだことで、映画の良さをより感じるようになりました。上手くアレンジしてるよなあと。機会があったらまた見たいですね。