あの東日本大震災と、続く原発事故から、丸4年。
羽生選手がこのたび、日本赤十字社の東日本大震災・被災地復興関連の、広報に起用されたようです。
HPは、こちら ⇒ http://jrc-shinsai2011.jp/ (東日本大震災特設サイト)
羽生選手のメッセージ、インタビューも見られます。
寄付等の金銭支援については、この「日本赤十字社」に限らず、皆様お一人お一人が、
その団体は、そのお金を何にどのように使うのか、寄付金を実際にどのように使ってきたのか、など、
その組織の財務状況や収支報告等をきちんと調べ、寄付金の使用の仕方を確認・把握したうえで、納得してから行うべきだろうと、私は思っています。
あの大震災直後は、実際、沢山の支援が集まったはずなのに、それがきちんと行き渡っていないことや、倉庫に積み上げられたまま等、様々な問題も報道されました。
あなたの貴重なお金や物資、そしてそれに込めた思いは、どのようなルートで、誰に、何のために、託すのか。
それは「何をどのくらい」ということと同じくらい、非常に大事なことだと、2011年の経験からも、私は強く思います。
また、その報道や情報は、真実なのか―――― 矛盾点はないのか、もしあるとしたらなぜか。
単に鵜呑みにするのではなく、そう問いかけながら見ていくことも、時に大事かと思います。
私の両親はかつて、比較的有名な、ある支援組織団体に、長きに渡って寄付をしていたのですが、実際にその支援となる現場に行ってみて、詳細をみてきた結果、強い疑問を感じたらしく、帰ってきてから、その組織団体への支援を打ち切ったという、やや苦い過去があります。
全く同じものを見ても、全ての人が同じように感じ・考えるわけではないと思いますし、難しい問題ですが、
そういった判断をし、責任を負うのは、お一人お一人です。
そして、いつ次の大災害が発生するかわからない地理的状況にある、日本という国では、絶えず災害のための備えや対策が必要になります。
再び同じようなことがどこかで起きた時、どうすれば良いのか。
災害対策品や食糧、水、等の期限は、大丈夫かどうか。 交換が必要ではないかどうか。
ヤフー・ニュースの、「東日本大震災と福島第一原発事故から、4年」 という特設HPが、こちら。
→ http://news.yahoo.co.jp/closeup/sanrikuoki_earthquake
大災害時に必要な様々な知識等を集めた、ヤフーの「防災特集」 特設ページ
→ http://emg.yahoo.co.jp/sokuho/column/
2011年、私の生活は大きく変わってしまい、本当に精一杯の日々で、正直、フィギュアスケートを見るような気分になれる状態ではありませんでした。
だから、羽生選手が「続けても良いのか」と、当時真剣に悩んだという気持ちは、当然のものだと思うし、すごくよく解ります。
でも、そんな気分のただ中で、テレビをつけた時に見た羽生選手の姿は――― 私よりさらに大きな被害を受けていたはずの彼が、一人の高校生として、悩みながらも、物事に真剣に向き合おうとする、その真摯で誠実な姿は、他のどんなことよりも、なぜか私の胸を打ちました。
そして、私も頑張らねば、と 強く、無理なく、思えたのです。
悲惨な現実を沢山見てしまったであろう、繊細な感受性をもった羽生選手が、
その年のシーズンから披露してくれたその演技は、傷ついてなお、逆に驚くほどの力と輝きを放っており、
本当に心に訴え、胸に響いてきたり、あるいは楽しくなって、ワクワクさせてくれるような、素敵なものばかりで、
そのことにまた驚き、感動し、大きな希望を見出しました。
私はその前から、羽生選手のことを、フィギュアスケートの天才少年で、未来の金メダリストに絶対になる人だろうと思ってはいたのですが、
あの大震災からしばらくは、物流関係と医療、救急、消防・土木関係等の職業が、世の中で一番尊いかのようにさえ思えることがありました。
直接的に、何かを支援できる仕事だからです。
あれほどの緊急事態、未曾有の災害の時には、スポーツや芸術という分野は、何もなすすべがないかのようにも、思えてしまいます。
しかし、自分自身で立ち向かわなければならない数々の困難を前に立ちすくみかけていた時、私自身は、一見すると災害と全然関係がないように思えたフィギュアスケートから、驚くほど沢山の勇気と励ましと、希望を受け取ることが出来ました。
困難な状況を逆に感謝に変えて、もともとあったその凄い才能を、以前にも増して惜しみなく発揮している羽生選手を見ていると、本当に楽しくて仕方がなかった。
楽しい気持ちを忘れかけていたその時の私には、それは本当に、とても幸せに感じられた瞬間でした。
転んでも全然めげずに立ち上がって、渾身の演技を続けてみせる羽生選手をみていると、
「あ、そうだ。 転んでもへばっても、ただ単に、立ち上がればいいだけじゃない」と、気が付いて、心から晴れやかな笑顔になれました。
ちょっとした失敗を繰り返しても、カラッとした表情で、失敗の原因を冷静に自分で分析しながら、全然めげずに前を向いている羽生選手のインタビューを聞いていると、希望しか感じられなくなり、笑ってしまうほどでした。
魂のこもった美しい演技からは、なんともいえない感動や喜びをいつも感じられました。
だから、私から見ると羽生選手は、成功した時や会心の出来だった時はもちろんのこと、演技で転んでも、あるいは失敗しても失速してもなお、逆に大いに励まされる存在であり、楽しみな存在でもあり、そういうところにこそ、本当の強さが光って見えてくる、本当に稀に見るほどに有難い、凄い選手でした。
お金や物資、食糧、直接的な支援は、もちろん必要で重要です。
でも、たとえ間接的な励ましや支援であっても、そういった、励まされて「内から湧き出る力」というものは、
時に、ただのお金が生み出す、何倍もの価値と力に変わるのではないかと、私は羽生選手を見ながら、強く思わされてきました。
そんな羽生選手へのお礼と応援の意味を込めつつ、羽生選手の演技を見ることで、同じように感動したり、励まされるであろう、羽生ファン、潜在的なファン層や、未来のファン層のためにも、このブログを書いてきたつもりです。
一人一人が、内から出る力に支えられて、その能力や良さ、才能を最高に活かせるようになる時――― それがどのような「花」であっても、その人なりの美しい「花」を咲かせていくことができるなら、そういった「花」が集まった景色は、どんなにか素敵なものでしょう。
辛い試練はむしろ、キレイに花を咲かすための、栄養たっぷりの肥やしや水だったと思える日が来たら、どんなに幸せでしょう。
どうか、そんな羽生選手が、心からの笑顔で、喜びにあふれて、希望をもちながら、未来へ向かって自分の花を咲かせ続けていけますように…
震災に絡んで、羽生選手が心を込めて演技してきた、二つの演技を、ここに載せたいと思います。
一つ目は、「花になれ」。
最高おススメでも紹介してありますが、この回の羽生選手は、非常に丁寧に演じていて、優しさと希望に溢れています。
そして躍動感が素晴らしい。 (パリの散歩道のアンコールつきです。)
「僕たちも花になれる」――― ラストに響くこの言葉が、強く印象に残る演技です。
そしてもう一つは、「花は咲く」 です。
この演技は実際には2つしかまだ披露されていないく、どちらも既に紹介済みですので、今回は、二つの演技を、並列してある動画をご紹介してみます。
並べると、表現の細かい違い、やっていることやタイミングの違いに、気が付けると思います。
あるいは、両方の演技から、総合的に何かを受け取ってみるのも、また楽しいかもしれません。
羽生選手は、その時その時の思いを真っ直ぐに込めながら滑っているようで、決まった範囲内で自由度を謳歌しつつ、
全身全霊で、表したいものを躊躇なく伝えてきます。
誰よりもまず、羽生選手自身が、自分らしい花でいられますように・・・
そして、無理なく、心置きなく、大輪の花を咲かせられますように・・・!!
健康と安全を、お祈りしています。
言葉を失いました。
今日、職場で黙祷を捧げながら、いろんな事を思いました。羽生選手のことも。
管理人さまの深い思いにも触れ、何度も何度もリピートして見てきた大好きな2つの「お花」にまた胸打たれ涙が出てきました。
ありがとうございました。
いつも励ましの言葉を、どうもありがとうございます。
この文章は書きながら、本当に色々なことを思い出してしまいました。 どこまで書くか、悩んだり。
東日本大震災は、私はもちろん、多くの友人たちの人生も変えていきました。言葉にはできずとも、今もどれほどの人が心の内で苦しんでいるか、計り知れません。
私が羽生選手の演技や、その姿勢から受けたあらゆる励ましや感動や数多くの気づきは、あまりにも多すぎて、とても言葉で表せるほどではありません。
「涙が止まらなくなることもあった」と、正直に語ってくれた羽生選手に、どれほど逆に救われたかわかりません。
流した涙の多さが、優しさにつながるなら、流さないで済む人生よりも、何倍も良かったのだと、羽生選手を見ていると、心から思うようになりました。
この二つの演技を見ると、羽生選手が本当はどれほど陰で泣いたのか、それが逆に見えてくる気がするのです。
この演技の良さがわかる状態に置かれていたこと、
何を言おうとしているのか、何を伝えようとしているのか、それが本当に解る状態でいられたことは、私にはこの上ない幸いだったと思え、感謝できるようになりました。
本当にどうもありがとうございました。