台風が去ったあとは朝晩が急に涼しくというか、朝は20℃を切るようになって、少し前とは10℃も差があるので寒いくらいです。

9月2日の記事お月様の光と影を読んでの反響が何人かの方からありました。私のブログは食べ歩き記事を楽しみに見てくださる方も多いのですが、たまにはヒーリング講座のカテゴリーでそちら系統のことも書いていこうと思います。
前回の記事に書いた「どちらかの立場から反対側を受け入れるのではなく、両方の立場を超えたどちらでもない位置から、両方同時に受け取ることで、”全体”という視点、ワンネスの位置」というのは日本語の意味としてはわかっても、これをほんとうに理解する、ということはじつに難しいのです。
人間は頭の思考で考えて記憶するのですが、それは脳の中に知識が増えるだけで、それだけでは、その人は変わらないのです。たくさんのスピリチュアル系の本を読んでも変われません。ほんとうに理解した、ということはイコール変容を意味します。つまり、変容が伴っていなければ、理解した、とは言えないということです。
「いいお話でした。ありがとうございました」
というのは、まったくその人は変わってないということです。
まずは知識として記憶することはいいのですが、自分のこととして受け止めた場合、それに伴う体験が起きます。
そして自分自身の体験によって
「あっそうか!!」
と気づき、腹に落ちる・・・
という状態になって初めて、その人の中で変容が起こり、知識がその人のものになって使うことができるようになります。
「光と影のどちらが、いい、でも、わるい、でもない」という日本語は誰でも理解できますが、実際に自分の生活の現実になった場合、目の前に「影」がやってくるとどうしますか?
たいていの人が即座に否定すると思います(笑)
ご存知と思いますが、ことわざに「好事、魔、多し」というのがあります。
良い事には、じゃまが入りやすい、という意味ですが、たとえば仕事などで非常にうまくいっている状況、特にとんでもなく良い状態であればあるほど突然、それをひっくりかえしかねないほどのトラブルが発生する、ということです。
これは時系列的にみると、良いことがあってその後、悪いことが起きた、というように見えますが、本当の位置から見ると、じつは「同時」なんですよ。
本当の位置から言えば、良い、も、悪い、もないのですが、説明の便宜上良い悪いを使いますけど、すごく良い、を作ると同時に同じだけ、すごく悪い、が発生しているのです。
「好事」と「魔」とは同時に一枚の紙の「表」と「裏」のように存在している、ということです。
ですから、「魔」を否定して「好事」ばかりやろうとしてもそうはいかない、ということです。
両方、受け入れるしかないのです。
「好事」が体験したいから「魔」がやってきたのですよ。
「魔」がいらない、と拒絶すれば「好事」も無い、のです。
このことを本当に理解できれば、どちらも「あっそうなんですか~」ということです。
「魔」をなんとかしようとしている、あなた。
なんとかしようともがけばもがくほど深みにはまります。
物事の状況が動くのはタイミングがあります。
まずは今の状況を嫌わないで「ジッと見る」どうこうしようとしないで受け入れる。
そしてタイミングを「待つ」ということだと思います。