元『週刊東洋経済』編集長。静岡県出身。横浜市立大学商学部卒。経済学博士。1961年4月、東洋経済新報社編集局入社。週刊東洋経済編集長、取締役編集局長、主幹を経て退社。東海大学教養学部教授、教養学部長を歴任して独立。
ユン政権の支持率は30%まで低下
勘定よりも「感情」優先の韓国政治
韓国 25% 57.0% 24.64%
日本 20% 69.5% 9.93%
ドイツ 19% 62.9% 8.75%
米国 11% 77.6% 6.32%
(※いずれも2021年統計 OECD調べ)
社会人になるにあたって、応募や面接、エントリーシート対策に就活指南本やマイナビをはじめとする就職サイトなどの「就活メディア」を使わなかった人はほとんどいないだろう。
だが明治以来存在する就活メディアが歴史的にどんな変遷を辿り、どんなメッセージを発してきたのか、その歴史を知る人は少ない。
数々の就活本を総ざらいして分析した『就活メディアは何を伝えてきたのか』(青弓社)を著した山口浩・駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部教授に、企業側が知っておきたい、就活メディアの歴史からの示唆について訊いた。
――国会図書館収蔵のおそらく最古の就活指南本が1916年刊の井上泰岳『実業青年成業の要諦』だそうですが、ここでは学校教育と学歴エリートが批判されています。
そして1930年代からは「学生が一流企業ばかり志望する」といった産業界からの不満が噴出してくる。今と変わらないですね。
山口 基本的には就活メディア、就活本ではおおむね当初からずっと同じことを言い続けています。
「就職」ということばが広く使われるようになったのは、明治維新で従来の身分制度がなくなった後のことです。もともとは国家運営を担うエリートに対して使うことが多かったのですが、公務員以外にも徐々に民間企業にも広がっていった。就活メディアの歴史も概ねそれ以降です。民間企業の就職状況は、時代や経済の影響によって変わり、それに合わせて就活メディアで発信される情報も変化する面もあるのですが、好景気の時はどんな仕事がいいのかなど「外」に関心が向き、不景気のときはいかにして職を得るかという「内」に関心が向くというパターンがあるんですね。
ただ、井上の本が書かれた明治時代の経営者は、大学を出ていない人も多く、実務家として成功した人間が大学を出た若者を採用すると「たいしたことがない」と感じ、学歴を批判したくなる気持ちはわからなくもありません。ところが最近になると、経営者が自分は東大を出ているのに批判をしていたりする。あれは単に「俺はすごいけど下の世代はダメ」と言いたいだけのような気がします。しかも、歴史を追っていくと、今若者批判をしている年長世代は常にさらに上の世代からダメ出しされているんですね。しかし、その世代からも優秀な経営者は出てきた。結局、優秀な人から見れば大半の平均的な人たちは「仕事ができないやつ」に見える、知識や経験の浅い若い人ならなおさらそう見えるというだけの話ではないでしょうか。
――1968年には「面接が重視されるようになった」と就職雑誌に書かれ、その頃から企業がリーダー経験を重視していることから学生が「サークルの部長」だと面接で語ることが嘆かれていたそうですが、これも今に続く光景ですね。
山口 企業が「学問ができるだけではダメだ」と言うので、学生は課外活動での成果やバイタリティに対する評価をアピールしなければならない。これも昔から変わらないわけです。だから、学生のふるまいもそうなりますよね。実際には、企業は学歴を採用フィルターとして活用しており、そのふるい分けを前提として、「勉強だけ」に加えて他にも活動をしつつ卒業できた人を求めるわけですが。
――山口先生は就活メディアの論調として変わらない点として、若者批判に加えて、企業の様々な「矛盾」も時代を経ても変わらないところとして挙げていますよね。即戦力を求めるが新卒一括採用はやめず、英語力は求めるが英語圏での採用はせず、多様な人材がほしいと言いながら学歴フィルターは使う、「学生が勉強しない」と言いつつ採用時期を早期化・長期化して勉強時間を奪う、自律的に行動できる学生を求めるが協調性が低そうだと採用しない、「やりたい仕事を考えろ」と言うけれどもメンバーシップ雇用だからやりたい仕事に就ける保証はない……等々。
山口 ビジネス界側が自分たちのことは棚上げしがちというのは間違いありません。「英語力が必要だ」と言うなら、英語で面接をすると決めてしまえば、学生もそれに備えるわけです。もしそれでできないのなら自分たちが英語を勉強する、あるいは学ぶ機会を会社で設けるべきです。自分たちができもしないのに、なぜ新入社員に期待するのか。
もう一点、矛盾を生み出す背景としては、経営者が学生に求める「将来さらに企業を大きくする人材」と、採用担当や管理職が求める「現場を回す人材」の要件がズレているのかなと。たとえば経営陣が大きく会社を変革してくれる「型破り」な人を求めているとしましょう。しかし型破りな人は「組織に波風を立てる」わけで、役員面接に行く前に現場で働いている人たちにはリスクを感じられて落とされているのかもしれない。
ついでに言えば、しばしば企業経営者が「優秀な人材が来ない。最近の学生はだめだ」と嘆く声が聞かれますが、どの世代にも優秀な人はいます。優秀な学生はいて、どこかの会社に就職して活躍しているわけです。良い人が来ないと嘆く前に、自分たちの会社はそうした優秀な学生を惹きつけるほど面白い仕事を提供しているか、待遇は充分か、と問うてみるべきではないでしょうか。
――「キャリア教育が不十分だからだ」等々、教育に批判の矛先が向くことも多いですが、大学教育批判も就活メディアの変わらない論調として挙げられていました。
山口 そもそも、産業界や政界が高等教育に期待するものが大きすぎるように思います。日本社会を動かしており、問題を生み出し、また解決すべきは自分たち年長世代のはずですよね。それなのに、どういうわけか自らを省みず、大学入試をはじめ教育制度をあげつらっていじりたがる。「大学を変えれば世の中が変わる」という発想は、教育界や若者に責任転嫁して溜飲を下げているようにもみえます。教育を変えよと叫ぶ前に、自分たちの会社や業界を変えるべきです。
――就活本ではよく「他責思考」、自分でなんとかしようという自律心の欠如が批判されているわけですが、産業界による若者批判、教育批判は他責そのものです。
山口 学生たちは一生懸命やっていますよ。今の学生は企業の部長、経営者の年代の人たちが通っていた当時よりもはるかに大学で勉強していますし、それに加えて資格の勉強や「ガクチカ」で語れるような活動にも励んでいます。充分だとまではいいませんが、少なくともかつていわれたような「レジャーランド」ではありません。
むしろ勉強しておらず、もっとする必要があるのは平均的なビジネスパースン、なかでも企業内で権限を持っている中高年層です。
――日本の社会人の大学院進学率は先進国で最低、企業の従業員に対する教育訓練費は1991年には月1670円だったのが2021年には670円に減少と、大人が学ばず、企業が教育にお金をかけない国になっている点も著書で指摘されていました。
山口 読書量にしても、統計を見ると子どもや若者と比べて大人のほうが本を読んでいません。学ばないからスキルや知識、経験あるいは大学院等で培ったネットワークを活かした転職などの機会も生まれず、「しがみつき」が大量発生して中高年人材の流動性が低いままになってしまう。そういう人たちこそ勉強をして経済効率を上げ、自分の価値を高めてより条件のよい職場に動く流れを加速させてほしいと思います。
――今後、就活メディアはどうあるべきでしょうか。
山口 学生と企業の「両側」の間に立つ存在であることの責任の重さを認識してほしいですね。マイナビやリクナビなどの就職サイトは採用する企業側から、就活本の場合は学生側から売上の大半が発生するわけですが、それでも片方に寄りすぎると本来の役割を失います。リクナビが学生の内定辞退に関するデータを当人たちの同意なく複数の企業に流出させていた事件は典型的な利益相反ですね。
就活では、就職する側と採用する側が互いを「信用できるのか」と値踏みします。明治維新のあと「就職」が生まれた当初は、その信用を担保するために縁故採用、人からの紹介が活用されていた。その後縁故に頼らず学歴や人柄を重視するようになり、就活が自己責任化していくにつれ、就職メディアによる情報提供やマッチングに頼る部分が次第に増えていったのです。今では圧倒的な影響力を持っているのが、1990年代以降に台頭してきたリクナビやマイナビなどですね。
ところがメディアが間に入ったことで双方のやりとりが容易になり、情報の流通量が爆発的に増え、学生・企業双方の手間が増大しました。エントリーシートは当初「学歴不問」にして多様な人材に対して就職の入口を広げるためにソニーが始めたものでしたが、各社が採り入れて一般化すると、人事がパンクするほど学生からの応募が殺到するようになり、人材としての質(信用)を担保するために、結局、学歴フィルターが必要になった。「コネや学歴でなく実力だ」という理念で生まれたしくみも、結局実態がついてこなかったわけです。しかしそれが明らかになったあとも、新卒採用/就活のしくみは大きく変わっていません。就活メディアはそうした現状を前提として、学生、企業双方のニーズに応えつつ、不満や不安を埋めるかたちで発展してきたといえます。
いずれにせよ企業の「こいつは信用できるのか」、学生の「この会社、大丈夫か」を、誰かがどうにかつながなければいけないわけです。それを双方からの信頼のもと、その時々の新しい技術でつないできたのが就活メディアです。メディア自体もそれを使う企業側も、その本来の役割と責任の重さを認識して誠実に振る舞っていただきたい。学生に近い立場にいる大学教員としてはそう思っています。
韓国に尹錫悦大統領が就任以降、冷え切っていた日韓関係に変化の兆しがある。今年3月には12年ぶりとなる韓国大統領の単独来日で日韓首脳会談も実現した。これまで「韓国に対し日本は泰然自若として静観すべき」などと一貫して提言していた経営コンサルタントの大前研一氏は、新しい日韓関係を築くために何が必要だと考えているのか。両国の関係を改善させるための「3つの条件」について、大前氏が解説する。
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戦後最悪とも言われてきた日韓関係が正常化に向けて大きく動き出した。
最大の懸案となっていた元徴用工問題の「政治決着」に伴い、韓国の尹錫悦大統領が3月16日に訪日して岸田文雄首相と会談し、両国首脳が頻繁に訪問し合う「シャトル外交」を再開することになったのである。
これまで私は本連載で、韓国に対し日本は泰然自若として静観すべき、と一貫して提言してきた。たとえば、朴槿恵政権の時は「国全体として韓国の態度が根本的に変わらない限り、放っておけばよい」、文在寅政権の時は「日本は無視し続け、文大統領退任までの“末路”を静かに見守るのが、日本にとっての現実解」といった具合である。
私は経営コンサルタントの仕事や講演などで韓国を200回以上訪れて全財閥の経営者と交流し、大学の教壇にも立ってきたが、日韓間の懸案事項は基本的に韓国側の問題だと思う。
もともと韓国には「恨の文化」がある。これは支配者(王権)が目まぐるしく変わり、中国やモンゴル、日本などの異民族に侵略・征服されてきた韓国独特の感情的なしこりや痛恨、悲哀、無常観を意味する朝鮮語の概念だが、戦後はその矛先を日本だけに向け、学校で徹底的な反日教育を続けている。尹大統領以前の歴代大統領は「3.1節」(独立運動記念日)に、必ず日本批判を行なっていた。
しかし、その一方で、実は韓国人の多くは本音では自国が嫌いで日本が好きである。たとえば、韓国の財界人は私と会食して酔っぱらうと、みんな必ず「わが国のほうが悪いんですよ」と自虐史観を語り始める。また、新型コロナウイルス禍が収束した昨年9月以降の国別インバウンド(訪日外国人旅行)客数は韓国がトップであり、親日的な韓国人が多いことは明らかだ。
それでも、今回の日韓首脳会談で歴史問題が本質的に解決したわけではなく、政権が交代すれば再び関係が冷え込む可能性もある。
では、これから日本は韓国との関係をどのように改善していくべきなのか? 大きく3つの条件がある。
1つ目は、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)問題だ。同教会は教義の1つとして、教祖・文鮮明の恨を晴らすのは「日本を韓国の植民地にすること」「天皇を自分(文鮮明)にひれ伏させること」としている。そういう反日的で邪悪で危険な宗教団体を放置していることについて日本政府は抗議し、韓国政府は同教会を厳重に統制しなければならない。
2つ目は、前述した反日教育の転換だ。日本の三悪人として、朝鮮出兵の豊臣秀吉、征韓論の西郷隆盛、韓国併合の伊藤博文を特別に取り上げ、伊藤を暗殺した安重根を英雄として教えている。また、日本統治時代に関しても、その「罪」だけを教えている。
だが、客観的に見れば統治時代の「功」もあったはずであり、さらに「漢江の奇跡」と呼ばれる朴正熙政権以降の高度経済成長に、日本政府の無償資金協力や日本企業の技術協力が貢献したことは事実だ。それらについてもバランス良く教えてもらわねばならない。
3つ目は竹島(韓国名・独島)問題である。日本政府は「竹島は、歴史的事実に照らしても、かつ国際法上も明らかに日本固有の領土」と主張しているが、警備隊員を常駐させて実効支配しているのは韓国だ。1952年に韓国が竹島を占拠した時、日本は武力で対抗しなかった。しかし、世界の領土問題は実効支配したほうの勝ちであり、領土紛争が話し合いで解決した例は極めて稀である。武力で取り返さないなら、もうこの問題は棚上げして、日本は竹島を外交上の争点にすべきではないと思う。
以上3条件をクリアした上で日本は韓国との関係をゼロベースで見直し、次のフェーズに進むべきである。
【プロフィール】
大前研一(おおまえ・けんいち)/1943年生まれ。マッキンゼー・アンド・カンパニー日本支社長、本社ディレクター等を経て、1994年退社。現在、ビジネス・ブレークスルー代表取締役会長、ビジネス・ブレークスルー大学学長などを務める。最新刊『第4の波』(小学館)など著書多数。
※週刊ポスト2023年4月21日号