
人間関係は何の力によって導かれるのだろう
How human relationships be led by a force?
ある人に会い
Meeting someone
生きている実感を
体の全細胞で感じられることもあれば
It makes actual feeling that being alive
-through all body cells
ある人に会い
Meeting someone
生きている苦しみ、その息苦しさで
窒息しそうな感じを受けたりする
It also makes receiving feeling like suffocated
-as a suffered one who on hard to breathing
生きていてよかったと思わせる人に会うと
When meet someone who makes feel live alive is good
自分一人の自我は
-an ego of oneself is
この世の自我類の部分にすぎないことを
-merely be a part of Ego kinds in this world
認識できる力が伝わる
-a recognizable force will be transmitted
生きることの苦しみを伝える人に会うと
When meet someone who conveys agony of live a life
その苦しみを否定するか
Deny the suffering or
その生きづらさに同調するかの
Do sympathy with the difficulty of living
暗黙の要求を受けてしまう
It has given such requests in implicit
この世に生を受け
Received a life in this world
寿命を与えられ
Given a lifetime
生きることになった以上
As well as became to live
命を生きることが人間の仕事であろう
Live the life would be a human being’s task
その中で生じる苦しみは
A suffering produced during live a life
どんなに辛くても
No matter how it is hard
死ぬよりは楽なはずだ
It should be easier than dying
生きることに目覚めた人は
Someone who awakened to live
生きていながら死んでいく人に
-to people who are going to die while living
死を分離させていく力を持たせる
-the one can give a power to the dying people which
-can separate death from life
生から死を分離できると
If can separate death from a death
生に可動領域が広がっていく
-the movable territory to live can be expanded
生きている間に
While live a life
死の意識を生から分離させれば
If can separate cognition of death from life
生の部分が広がる
Then the life part can be widened
死は必ずくるものだから
Because of a death comes definitely
影のように光が斜めに射している時のみ現れる
It appears like shadow which light shines obliquely only
光りが真上に射している時は
When the light shines directly above
死の影は視覚的に現れない
The shadow of death does not visibly appear
坐禅の行い方―坐る
How to perform Zazen-the sitting
坐っていると
While sitting
死は真っ下に置かれ
Death is placed at right bottom
生は真っすぐに伸びる
Life stretches straight
死から真っすぐに伸びる生を視覚化することにより
By visualizing life which is stretched straight from death
生きることを明かすことができる
Life can be revealed
生きることを明かすことにより
By revealing to be lived
死ぬことの根拠
Fundamental basis of death is
その力を減らすことができる
-be reduced its force on life
坐禅の無動の行為は
The immovable performing on doing Zazen
無動によって
By its immobility
生を可動させる力の変換になるだろう
It will be a transformation of life force that make life dynamic
何処までも強気で打たれ強いKさんには脱帽です。
誰が何を言っても、一向「気にしない」の達人と言う事がKさんの在り様だからでしょうか・・・
誰が何を言っても、逆に相手を組み伏せる腕力があるので、初めて出来る離れ業みたいな感じですかね(=全てが力勝負、剛速球型!!)。
それでもコメを入れる事によって、Kさんの視野が広がると言うならば、
読者サイドとしてはKさんの記事を、
はなから無視する(=見離す)のではなくて、その時その時の記事内容に対応して、誠実にコメを入れるのも「まあ~悪くは無いかな~!!」
そんな感じですかね(=無視するほど価値が無い訳ではない・・・)。
黒●ちゃんから充分な信頼を勝ち得て・・・、
他者介入は許さないけど、
Kさん自身で遣る翻訳なら、
自分(=黒●ちゃん)の書き物の全ての翻訳業務を託してもよい・・・
というお墨付きを獲得できたことは、
人間関係の力学上の勝利ナリ・・・と世間的には言いますね・・・頑張って下さい。
それを乗り切る為には、「力は正義なり」という思考法で相手を組み伏せざるを得なかった。
当時の坐禅目的が「強い自分、相手に負けない自分」としての戦闘員養成のためのモノにならざるを得なかった。
これはこれで、如何ともしようの無い「心の自衛隊」発動で、何ともやむを得ないものだ。
防御された心のメカニズムとしては、
自信も必要だし、うぬぼれも無くてはならぬ。
他者から傲慢に思われてもしょうがない・・・さもなくば相手を打ち負かせられない。
これがKさんの本質である様に、外目からは見える、・・・Tの当て推量だけど・・・。
ボクシングのジムに通ってみたり、
年取ってのバレーに挑戦とか、
精神高揚至上主義とか・・・
みな同じ流れの出来事にみえる。
それによって(自信)²が育成される。
でもなぜ道元禅??
社会の荒波を生き抜く為の冷然たる事実ではある。
まあグランビーでその垢(=荷)を降ろして行く時に【魂同士の交信】なるものが人の思考方式をどう変えるかどうか・・・は面白い命題だ。
Kさんの環境ではKさんが「力(ちから)」の行使者としてやり抜く事を求められていた。
他方Tは、
米国流儀ではない希少性を発揮して【お客様は神様だ!!】というやり方で、
下僕的滅私奉公でアメリカでのサバイバルを果たすという戦略を取らざるを得なかった。
それなら自分がアメリカで絶対に生き残れるという確信があったからだ(=希少価値)。
それが自分のハンディキャップを補填できる唯一の遣り方である事を知っていたからだ。
言いたいことも言わないで、ジッと耐え忍んでの人生であったともいえる。
言いたい放題の事を言い放ってスッキリしているKさんはTの代理戦争を遣っているともいえる。
せいぜい、Tの代わりに頑張ってください!!
社会力学は常に働いているのだから。。。
打たれ弱いですよ、実は....
へこたれますけど、
気が強いのではなく
否定的な意見や反発を食らって
思いっきりへこたれて
気分を害されて
影響されまぐって
その後の果てに
そういってくれた時間や思いやりに
感謝する気が芽生えたら
やっとコメントをするーことにしているから
外側からみると
打たれ強いように見えるだろうと思います。
このように思いっきりへこたれるようになれたのも
Yes と言ってくれるTやEがいるから
言いたい放題できると思います。
私の存在を完璧に否定するような
ひどいコメントをもらったことは無いので
まだ、甘ちょろい段階にいるかも知れませんね。
本当に悪魔的なコメントなら
ブログを書く自体嫌になるような
気分に突き落とすでしょうね。
ただ、人が言い気持ちでいること自体気に食わないだろうから
人が読んで気分が悪くなるようなコメントを書いて
正義感に浸るような部類の人が
人の気持ちを掻きむしるためだけに
否定的なコメントを残すでしょうね。
もしそのような人がいて
私のブログが気に食わなく
私の気分をかき乱したいなら
私は受け入れる覚悟はできています。
それが打たれ強く見えるかも知れませんが
自分の考えがネット上に流れる以上
確実に反発や反感を買うことになると
川が流れると
岩にぶつかって流れが変わるように
必ず出くわす性質であるでしょうから
避けられない流れなら
受けて砕けることにしたほうが
自然の摂理に背向かない道理かもと思っている訳です。
これから時間を掛けて
年月をかけて
究明していきたいです。
順次に即応されるように
そう軽くはない事柄でもありますので....
昔の時代の、日本で共産党を信奉する若者たちは、
自分の精神的弱さ(=打たれ弱さ)を隠す(=カバーする)ために論理武装(=論理闘争)をする・・・と揶揄されてましたね。
意外と理論家は心の弱さを隠す(補う)為に理論家になる傾向は在るらしいのかな、たぶん。。。
まあ黒●ちゃんがそ~だとは言わないけれど(反語)・・・。
考えて見ると出家前の釈迦なんかも打たれ弱かったのでこの世がいやになって出家したという事にもなりそうですかね・・・
そして、ある意味、強がってみせるのは、弱さの現れと言う事はありそうですね。
「空威張り」は弱い男の遣る事で
「家の前の白犬」とかとも言うんじゃないかと思ったけど???
Tの場合は自分が打たれ弱い事を知っているので、
落ち込む前に、すべての可能性を想定内に収めて置いて、心の準備済にしておくから、かなり即効性の早い立ち直りが出来る・・・という形を取りますね。
想定外だとパ二クルから、万一、想定外になったら、それは運命として受け入れる。
マーフィーの法則が起きてしまったから、仕方が無いと潔く受け入れる・・・みたいな感じですかね。
日本での激動の日にちを送ってきて
それらをどう扱うかーをかなり迷った。
それらを順序縦で事細かく述べるには
自己中心的な側面の表れに成りかねないし
それらを自分の中だけに潜めておくだけでも
何かすべきことをしていないー感じにもなったので
ならば、その中で最も重要な
核心な要素だけを取り出し
それらの事実を
私の見方から書こうと思うようになった。
そう思うと書けるようになったのであった。
この文章の中での
特定な表現については
当事者と関わった人でしか分かることのできない指示語がある。
その指示語を書き表すことによって
私の見方を定めることにつながり
関わった人のプライバシーをカバーすることになるだろうと推測できる。
私という一個の自我
あなたという一個の自我
それらの個体にいちいち留まるのでは
この世は短すぎる。
それらは私にとって
ただの踏み石に過ぎない。
自分の自我も
他人の自我も
この世に存在する砂粒の一つにすぎない。
この態度を傲慢と位置つける者がいるなら
それでも、構わないと言えよう。
私という一個の自我が何をしようと
あなたの自我らに取っては
何の意味も成さないだろうから
それで結構なことだと位置を決めておく。
だが、そのような位置の中でも
ある個体の自我が
私の自我の如く
等しい重さになり
伝わってくる場合もある。
今回はその私の体重とほぼ等しい自我の重さを文で伝えておきたいーその気持ちの表れを文章にしてみたかった。