
7年前に仕事絡みで
ストレスが極限に達した時があった
There was a time when work related stress
-has reached its limit point around 7 years ago
雇った人を解雇すべきだったが
I should have dismissed an employee but
情に流されて解雇できず
I could not fire him because of emotionally related with him
その人がもたらした損害を被ることになった
So, I became to suffering some losses which was caused by him
彼を教育して使える者にするか
Whether train him by education to make himself productive
私の損だから関係を切るか
-or cut him off because he brings disadvantage to me
両極端な結果になる判断をしなければならなかった
I had to make a decision that would be an extreme result as above
だが、彼にも改善できる機会を与えたかったのもあり
However, I also wanted to give him opportunities to improve
また彼の年齢上、経験不足から起因した未熟さを
-moreover, his immatureness that came from unexperienced due to his age
彼だけの責任にしたくなかったのもあり
I did not want for him only to take his responsibility
新人を教育したい上司の気持ちと
-and I had feeling as a boss that willing to train a newcomer
利得を出せる人を雇わなければならない
経営者としての立場や
As my position of manager that I should hire an employee
-who can make advantage
彼を長年知ってきた個人的な関りもありで
-and also, personally I have known him for many years
どんな決断をしても
No matter what decision I make
一方は必ず苦痛になる状況になった
-one side, he or I will be suffered after all
私はどっちも選択できなかった
I could not choose his merit or mine
ただ時期を待つことになり
It became to just waiting for a timing
私の損害は増えていって
In a while, my deficit was increasing
私が生き残るためには
In order for me to survive
彼か私かを決断しなくてはならない状況に差し迫った
I was imminently faced on a desperate situation that
-should have decided whether he or I
だが、私はまだどっちも選択できなかったので
But still, I could not choose either yet
僧侶にどうすべきかを尋ね
Asked an advice to a priest what I should do
心理学の書籍を読み直し
Reviewed psychologic books
坐禅も行い
Had some sessions of Zen-meditation
経営経験が豊かな人にどう判断すべきかを聞いた
I asked some advices to a person who
-had richer management experiences about how to decide
それらのアドバイスを聞いていた時は
When I was listening to those tips and suggestions
何かができそうな感じはしたが
I felt like I could do something
いざやることになると
But when it becomes to do actually
何もなすことができず何も変えることができなかった
I could not decide anything and could not change anything
それらが極限になって
Those were reached to extreme
もう限界を感じて
I felt that it was my limit at all
何も考えることはできなくなった
I became unable to think anything
その時ふっと、そうだ『歩こう』と思った
At that time suddenly, I thought yes,『Do Walk』
『滝を見に行こう』と思った
『Go and see a waterfall』I thought
電車に乗りバスに乗り換えて
I took a train and transferred to a bus
滝のある山奥まで歩いた
I walked into a mountain back where there is a waterfall
滝を見ながら何時間も座った
I sat there for hours to watching the waterfall
帰る時、バスや電車に乗る気がしなかったので
When I get home, I didn’t feel like take a train or a bus
60キロの帰り道を歩こうと思った
I thought to walk along on my way back home about 37miles
車もあまり走らない山道を一人で歩いた
I walked alone on some mountain road where even cars driving a few
ただ一人で歩いた
Walked only alone
歩いていると足が痛くなったが
While I was walking my legs got hurt
その足の痛みで心の痛みが忘れられた
But the legs’ pain let me forget my mental pains
山道を歩く恐怖で
With the fear walking on a mountain road
悩みが小さくなり
The troublesome in my mind was getting smaller
足から腰まで上がってきた痛みで
With the pain that came up from my foot to lower back
心の中で叫んでいた声が静まっていた
The lousy shouting voices were getting quieter
肉体の痛みのありがたさを痛感した
I was deeply aware a gratitude of physical pain
心の痛みより肉体の痛みは我慢しやすかった
Physical pain was easier to tolerate than mental pain in my mind
その歩いたことにより
By the walking
以後の決断による心の苦痛を
Later pains which come from decisions I made
受け容れるようになり
I have become able to take in
思いっきり苦しむことにもなり
It also made me take suffering without hesitate
心の苦しみに真っ正面に立ち向かえるようになった
I became able to face on mental suffering on frontier
もし、私が坐禅だけを行い
If I did Zen-meditation only
苦悩を無くすことだけに集中していたら
If I tried to focus on eliminating anguish only
その苦悩は一時期静まったかもしれないが
-the anguish might have quieted for a while
根本的な弱さは解決できなったかもしれない
But my fundamental weakness might not could be solved
坐禅の行いによって
By doing Zen-meditation
心の苦悩は確かに沈めることはできるが
It certainly can make tranquil mental anguishes
今、ここで、確かな決断をすることには
力不足かもと思った出来事でもあった
But what I learned from the walking was
Zen-meditation was not enough to solve such as
Making a definite decision at a certain time
-on specific place where it caused
A:そのくらいの苦痛は一時的な通過現象に過ぎないので脅かしにもならないのでございます。
理想像ですね、正に
それらをリアルにリメイクすれば
孤独に寂しく
一人よがりに
面影暗く
引きずり歩む
でしょうかね?
しかし、いくらリアルが現実で事実だと言っても
甘ちょろい理想の見方が読むのに快い感じはしますね。
理想も毎日繰り返せば、理想じゃなく現実になっていくでしょうしね。
屁理屈書いてみましたが、
やはり良い面を見てもらえると
嬉しく、心も晴れますね。
Tの認印で
もう鬱にならずにらんらんとことが運べています。
ありがとうございます。
そんなに褒めて、認めてもらえれば
うきうきしていると
また毒舌でずり降ろされたりしますが
またTの気が向けば
(私が反省している時のみ)
誉、誉れ褒めまぐってくださるのでしょうから
嬉しくなったり
へこ垂れたり
雨降って地固めたーとTから言われましたが
叱咤後に反省の態度固めたーのが正しい表現でしょうね?
『善の根拠』アマゾン・ブックレヴューが述べられているので、レヴューを見たが、
『人間機械論』者のTちゃんにとっては、
機械をスムーズに動かす作用が善であり、機械故障を引き起こすのが悪である・・・
と決めて掛かっているから、
T駄馬にとっては「馬の耳に念仏」じゃった。
Kさん英訳本では、翻訳者としての前書きなり後書きで、
『そんなバカげた事を言う駄馬(=T)もいるが、この本には哲学者の深層探求が語られており駿馬の真髄が現れている…』とかと書いといてね。。。
懲激辛喰いは、懲罰的痔の災いを被るか??
(正)NetFlexでも同じ事が出来るかもしれない~~
追;TV Japan で何故、今、2016年版のDoctor-Xを再放送しているかと言えば、10月からだかに2017年版のDoctor-Xが始まる為の前座役らしいよね。
ゾクゾク!!
自我他我戦争は避けられぬ
社会の渦に巻き込まれ
『群れを嫌い、権力を嫌い、束縛を嫌い…』は夢物語
『闘いには負けません』と他我をメッタ撃ちしても
B麺は所詮「自分の自我」に負けたに過ぎぬ
どの人間も最後の『敗け』は決まっている
ならば、この世の勝ち負けは意味がない
グランビーの安息城に立てこもり
花一輪に飼いならされるも・・・
醜い闘いから抜け出すの道
『お前はお前で丁度良い』!!
ねえ、痔が蛇(た)が梨のおKちゃん。。。
『焦って汗って💦って😓って、イライライライラしてたのに、(今では)悠々自適に構えられる・・・アクセス数も気にならない』(意訳)
まさに祝賀にあたいする!!
やっと、
のし店や、庫裏の身や、放電現象や、ザリガニの仲間入りを果たし、おーそれ見られて魂同士の交流を果たし・・・
他人の評価の如くのアクセス数を気にする事のない自由の美の美(ノビノビ)の余裕かくしゃく記事が書ける様に成った。
人気鳥のくびきから解き放たれ、
白雲浮かぶ蒼天に、
ただ一羽、
自由に、そして崇高に、しかも優雅に飛翔する、
まさに鳳凰鳥に変身したノダ
・・・マジンガーK!!
(ってこと、忘れないでね・・・自己暗示・洗脳でもいいよ。。。思ったモノ勝ちだしね)
AT&T経由でTV Japan special subscription +Internet+some other basic free TV programs
を月額60$?位で契約しているけど、
Netflexでも同じ事はできるかもしてないと思います(但しTは大体がNetflexってなんのことだか分からない)。
TV Japan を直接Dish Network でsubscription する方法もあるようだし・・・
他にも日本のTV番組を見る方法が幾つかあったは在ったような…
もちろん興味があればの話だけど・・・、
日本語を忘れない勉強だとかこじつければ、まあ道元さんや黒●ちゃんも認可状出してくれますかもね。。。。永平寺の戒律破りにならなければねmmm
ゾクゾクするなら観てみたいですね。
ちょうど身嗜みが終わって、床掃除を始めるところです。
ただひたすら【花一輪に飼いならされて】
「群れを嫌い、権威を嫌い、束縛を嫌い・・・」
ただひとり我は立つ!!
【ただ花一輪に飼いならされて】、その中にある宇宙を見れば・・・我が心も光り輝く!!
慌てる乞食料理人はアクセスが少なく味が悪い!!
(注;他社様のブログ目的は此の思考論理内には含んでおりません・・・)。
では、庭の外でも眺めながらゆっくり待って、
次の料理はどんなんだろうとワクワクするも贅沢な気分ですね。
アッ…でもS激辛だけはちょっと勘弁してね、
Tは身も頭もSでもないしMでもないからね・・・
TのTはトコロテンのTだからね・・・ずるずる縁起の流れで「おのずから」押し出されるまで、
「みずから」はじっとして動かない・・・
こんな感じのTでゴワス!!
だから次の料理が出るまで、
まだ冬入りの兆しが見えない新緑がそのまま残っている緑風を身に一杯浴びて、
ちょっとヨダレたらし気味に寝ぼけまなこで、
毒説の味消し調味料を振り掛けているという処かな・・・
mmm「一句」出来そうな感じはするんだけど、
すぐテレビの「ドクターX]放送時間になるから
また後でね。。。
起きたのが12時過ぎでしたので
もうどっくに昼が過ぎて
もうランチの時間になりました。
今日中に投稿したいのですが
他の仕事もあるのでそれらを済ましてから
書き走る、速書きしないようにゆっくり書きますね。
以前なら、焦って焦ってイライラしてたのに
悠悠自適にやっとなれました。
窓から見える裏庭は
もう秋で葉っぱの色が変わってきましたね。
ここに引っ越してきてからの
初めての秋になるので
どう変わっていくのかが楽しみです。
Tの庭はどんな様子でしょう??
昨日パラペニョンをもりもり食べてから
エンジンがかかってしまい、深夜1時頃
韓国の激辛ラーメン『ブルダクポクム麺』その2単
2倍の辛さを食べて寝ました。
あの辛さは
食べている時も舌がマヒしてきて
鼻水や涙が流れて
食べた後は
何も考えることができない状態が30分くらい続きますね。
トランス状態になるのです。
1パック食べてもうしばらく休憩時期が必要だなと今は休み体制に入りました。
裏切りの無い辛さ
正真正銘の辛さ
そういう麺を作れる韓国人は
人の期待に裏切ることが無いんだと思いましたね。
不思議の国のアリスの1章の部分を
車とか家でとか
結構聞いた時がありました。
あの時は多量文章を早く聞き取るために速読技法で
自らを訓練したのでしたが
それが高じて人の話を速読するまで転じたのですね。
反省を極める必要があるのですね。はい!
〇・・・直感的ストレート単語を投げ返す
どころで
Funnyと書くのと
面白いと書くのでは
幾分伝わる感じが違う感じがします。
Funnyは軽くでキャジュアルで上下関係に引っかからず、相手をあざ笑いしないで言える面があるようですが
面白いというと
興味があるとも捉えるし
関心があるとも捉えられるので
その面では
Tのコメは
オモシロファニーですかね。
『(じっくりした面談なしに)多量の言葉情報を即座に処理する為に、
斜め読みする・速読する・じっくり考えない・言葉の表面だけしか見ない・無頓着に読む・直感的にしか判断しない・相手の真意をくみ取ろうとしない・・・
要するに雑な読み方しか出来なくなってしまう。
これが脳機能を劣化させる・・・
さらに書き手が、
自分も同様に粗雑に、瞬間的直感を頼って、
ただストレートに書き殴る、相手の気持ちには無頓着にただ単語を投げ捨てるような書き方をすれば、
それが如何に正義に溢れて居ようと、正鵠を(せいこく)をきたそうと、真理の言葉であろうと・・・、
ただ単に雑に織られた織物の如くで、目の粗いザルの如くで、ただ単に粗雑さだけが相手に伝わる。
自分の善意が相手に伝わる事など決してない。
これは明らかにブーメラン現象だ。相手のバカと自分のバカが馬鹿の二乗反応を起こしたに過ぎないといえる。』
本当に1文字違わない、そっくり学ぶべき精道な教えだと痛感しています。
これも私があおのような経験しなかったら
ふーうん、そうっか、なるほどねー
ちらっと粗目で読んで
ぽい捨てされたでしょうね。
愚かで危ない、だがこの凹みやへこたれの時期が過ぎると
賞味期限も切れて
そういえば、辛いことがあったと書いたら
Tが説辣に指摘してくれたんだけど
あれは何を差していただろう、まあ~いいか!とならないように勘に銘じておきます。
嫌!勘でなく胆にです。
胆焼き焼き!!
まあまあでもね!!
Kさん自身が、他人の文章・コメの類を
斜め読み、速読、ざっと読みして、深く考慮する事も無く、
直感的ストレート単語を投げつける訳だから
それもまた【Take Advantage】って言う事で、
結局だれでもお互い様だよね。
mmm、やっぱりネット通信法は人間を馬鹿にしてくようだね・・・
Kさんの凹みコメをざっと歯科、一階、斜め黄泉歯科しなかったから、正当な文章(=文脈)評価に欠けていた可能性が充分・・・有る。
だから、それが上から目線の「Take Advantage」という意味だ、ごめんごめん。。。
だか言わなきゃ伝わらない・・・。
だが自分の事を他者から言われたら自分は癪に障り、
自分は他者を足蹴りして自分の手を他者に挙げる!!
・・・と過って、Kさんは自分視点で自分の事を言った時がある・・・自分の英訳にケチをつけるな、先ず自分自身で(自分の間違いを)気付きたいのだと・・・。
自分が自分で自覚しなければ自分が自分で学べないから、自分が自分で自分の進歩を自分で実感できなくなる・・・とかで、
自分が自分でした間違いを、他者が自分を指摘したら自分は怒り狂うと・・・mmmちょっと自分(自己)撞着的ではあるが・・・
でも、それが人間だ、自分と言う属性を備えた人間だ!!!・・・。
ならば、他者に自分の正義感を押し売りして、他者に自分の思考(嗜好)を忠言をする事は無意味だ・・・、単に憎悪を生み出すのみだ・・・
・・・困った、困った・・・困った自分的人間ちゃん!!
自分用注;
自分的には数えくたびれたけど、
自分はThe【自分】と言う単語を37回?使えたかな、たぶん!!(=そしてこれは【素数】の奇跡なのだ!!)・・・
自分は自分と言う単語を何故だか単に使ってみたかった自分が此処にいるのだ、ノダノダ!!・・・自分の直感で・・・フゥ~お疲れ様!!
(じっくりした面談なしに)多量の言葉情報を即座に処理する為に、
斜め読みする・速読する・じっくり考えない・言葉の表面だけしか見ない・無頓着に読む・直感的にしか判断しない・相手の真意をくみ取ろうとしない・・・
要するに雑な読み方しか出来なくなってしまう。
これが脳機能を劣化させる・・・
さらに書き手が、
自分も同様に粗雑に、瞬間的直感を頼って、
ただストレートに書き殴る、相手の気持ちには無頓着にただ単語を投げ捨てるような書き方をすれば、
それが如何に正義に溢れて居ようと、正鵠を(せいこく)をきたそうと、真理の言葉であろうと・・・、
ただ単に雑に織られた織物の如くで、目の粗いザルの如くで、ただ単に粗雑さだけが相手に伝わる。
自分の善意が相手に伝わる事など決してない。
これは明らかにブーメラン現象だ。相手のバカと自分のバカが馬鹿の二乗反応を起こしたに過ぎないといえる。
・・・魂同士の交信なんてとても出来ない・・・ようだよ(=直感的直球球乱投の落とし穴!!)。
ひょっとしてお体様はヒリヒリしたいマゾ様で
オツム様が極美的フランケンシュタイン風サド様で
M様+S様=0ポイント様という見事なバランスをとっている???
これがKの自衛隊サマ方程式なのかもね…ヒヒヒ!!
Tは辛いモノ大にがて。白黒より灰色がすき。
Tはマグロの刺身が大好きで、ワサビをちょこっとつけて、何キレも食べたい(=【通】のたしなみだぜ!!)。
うちの地雷(台湾人)は「私も刺身は大好きだ」と見栄をはって、その食べ方は・・・
刺身一切れ取って、刺身と同量以上のワサビをその上に盛り上げて、ガクッと喰らって「ア~ア旨かったァ」とのたまわって、刺身好きを証明して見せる。
けっして二切れ目には手をださない。
Kも地雷も特異点世界に存在している異星人みたいだね・・・二人ともTの近く(知覚)に接近するを禁じる・・・フフフ!!
昨日ガススタンドに併設されているコンビニに寄ったら
Hotdogのトッピングがフリーだったから
好きなパラペニョンをもりもり付けて
アイスコーヒー(サイズフリーで99セント)Lサイズを買ったのです。
家で食べたらそれが
裏切りの無い辛さだったので
(胃が燃えつく)
今日またあの店によりました。
レジの女性は昨日と同じ人でしたが、
"そう、昨日これを確かに見た、覚えている”と
私の盛り付けを見ながら言ってました。
昨日より大胆にパラペニョンを盛って
家で食べて
胃がひりひりして
満足+満足してました。
確かTは辛いもの苦手ですよね?
勝手に「言葉」が一人歩きをする
言葉尻を捉えて、独善と憎悪が生れる』
正にTの先見の明の如く
模ネット上の知人に酷いことを言われました。
良かれといったことが相手には迷惑だったようで
きっぱりと公式的に断るようなことを
公に書かれました。
恐らく、言われる人がどんな気持ちになるか
分からないか、分かってもどうでもいいとしているから
断絶のことばを公に書けるでしょうね。
彼も自分自身を私のありがた迷惑から
守りたかったでしょうけど
言われた私は
背中からナイフで突然刺された感じでしたね。
2チャンネルのようなネットでは
自分を隠して言いたい放題言えるようですが、
恐らくその知人も2チャンネルで
気軽に書く、ような感じだったのではないかと思ったりしました。
純粋な後悔を味わった経験ですが
暫くネット上で表面的しか知らない人とは
あまり話さない方が身のためだと思い知らされました。
因みにそのネットはブログ関係ではないです。
昨夜はやっとそのへっこんだ気持ちから回復できたので
平常の気持ちにやっと戻れました。
へこたれている時は
自分のブログさえ読む気になれないですね。
理不尽には鬼と化す
幼児期体験モチベーション
負けた体験涙して
忍耐心がつちかった
つらかったがつちかった
幸も不幸も喜びも
悲しみさえも乗り越えた
そんなお前で丁度良い
地獄へいって閻魔様の舌抜き役となるのでも
極楽へ行って黒●仏教英訳に励むのも
お前にとって丁度良い
歩いたお前の人生は
悪くも無ければ良くも無い
お前はお前で丁度良い
さあ、目標たてた今だから
まっしぐらするお前には
悪戦苦闘が丁度よい
お前はお前で丁度良い
お前はお前で丁度良い
お前はお前で丁度良い・・
Tの上記のリーメイクRemake詩は
論理性もありながら
根拠もあって
観察者視点が人情に溢れて
説得力で人を自信へ導く力強い感じがしますね。
才能豊かな感性があふれています。
〇・・・要はハッキリした白か黒かの表現法が人の関心を買う(良くても悪くても)・・・という事らしい(=クリアーな敵味方の識別・・・Kさんの勝ちかな??)
何故村上春樹が欧米で人気があるかと言えば、
彼の思考法は欧米風で、
彼は欧米思考を日本語で書いているからだ・・・
という評価があったよね。
他方、芥川龍之介が欧米で隠れた人気を博しているのは、芥川が東洋趣味(=異国情緒)を漂わせているからだという評価からだね。
自分たちと同じくするのも丁度良い
自分たちと正反対も丁度良い
要は何らかの表現法が人の心を・・・という事らしい(=同意性と奇異性)
『北米で活躍する女坐禅師のブログ』っていう一人歩きしてる言葉に出くわした。
ニンマリとウヒヒヒヒ!!
そんな自分も、お前に取って丁度よい
へつらい、へつらい、へつらい倒して、生き抜くのだって・・・、
それで無事極楽へ行くのだって・・・
自分の正義を振りかざして、
あがない、あがない、あがない切って、討ち死にするのだって・・・、
それで地獄へ行くのだって・・・
お前はお前で丁度良い
お前の歩んだ人生は
悪くもなければ良くもない
お前はお前で行くがよい、ジャン!!
吐く言葉(動作)にも表情が宿る。
魂同士の交信ができる。
しかしネット社会に於いては、
勝手に「言葉」が一人歩きをする(前にも書いた通りだが・・・)。
言葉尻を捉えて、独善と憎悪が生れる。
だから言葉を吐く人が、
それに無頓着なら自分が火傷を負うのみだ。
討ち死には自分で自分を他殺することだ。
すべては自分の蒔いたブーメラン!!
理不尽には鬼と化す
幼児期体験モチベーション
負けた体験涙して
忍耐心がつちかった
つらかったがつちかった
幸も不幸も喜びも
悲しみさえも乗り越えた
そんなお前で丁度良い
地獄へいって閻魔様の舌抜き役となるのでも
極楽へ行って黒●仏教英訳に励むのも
お前にとって丁度良い
歩いたお前の人生は
悪くも無ければ良くも無い
お前はお前で丁度良い
さあ、目標たてた今だから
まっしぐらするお前には
悪戦苦闘が丁度よい
お前はお前で丁度良い
お前はお前で丁度良い
お前はお前で丁度良い・・・のだのだ!!
結果を出せた時に語りますので
ただ仕事をして
数値になった時に結果を報告します。
ですが、通訳は私の訓練であって
最終ゴールではないのは確かです。
勝ち負けに拘りつつも
それに影響されないように
軌道修正する部分もあり
勝つのと負けるのと両極端に挟まって苦悩する時もあるし、
考えてみれば
塾時代の最後の5年間くらいは負け犬そのものでしたね。
同じ塾業界での負け犬カテゴリ内でしたけど
教えることは明確な方針があっても
運営の利得を出す面では負け犬でした。
赤字を5年被りましたし。
その5年間で失ったのは金だけでしたが
その苦しみから忍耐力は強くなりました。
動機つけ、このブログも始めは一人よがりでしたが
読む人が増えて
人との関りの中で
自分流が定着してきたみたいな感じです。
なので動機になれることは
人のReactionですかね。
空気を読むのが苦手
思った事を直球で言ってしまう
白黒ハッキリつけたがる
細かい部分にこだわる
場に在った行動がとれない
睡眠障害・脅迫観念が強い』
上記に当てはまる要素は少ないと思いますが
文字だけの現れだとそう見えるかもしれませんね。
空気は読んでいる、つもりですし
場に在るーのですが、
人によってはそう見ない人もいるでしょう。
強迫観念が強いとは一度も言われたことないのですが、
そう見た人がいれば
まあそっかなと、あまり気にならないですね。
文字上に現れる性格と
実際、きつく人にあたるのも
態度や声のトーン、言い方などで
文字とは全くちがう印象を受けたりするでしょうね。
でも、人に見える自分の像とかに
時間をかけて考えたりしないので
他人の印象まで中入りして
変更したりすることは全くないです。
今、Tにこう書くのは
文字だけで採られることから
形作られる一方性だけ採用しないでほしいと思うからで、思考を操作したいがために書くのではないのです。
他にもクリーニングとスーパーとかで、何しろ車で一時間以上かかるので、土曜の定例行事が終わると、深夜になってしまいます。
アクセスは何だか平均的に安定してきました。
落ちてもそんなにがっかしなくなったので
拘りがありながらも
束縛はされないようになりました。
TのInside jobが無ければ
もうランク外決まりですよね。
でも、ブログランキングで上位に君臨する人々は
かなり頻繁に更新しているので
私にはできこないなと思っています。
でも坐禅テーマで3~4桁に収まるのは
運がいい方でしょうね?
でも本当にアクセス上位になりたいなら
今話題になっているニュースを貼り付けるだけで
アクセスそも数は稼げるようだし
言葉をうまく操れば瞬間のその時限りの
注目はされるようです。
そんなことまでして
上位に這い上がっても
自分が嫌になるだけでしょうね。
KでなくTであったのだ・・・
ごめんKさん
空気を読むのが苦手
思った事を直球で言ってしまう
白黒ハッキリつけたがる
細かい部分にこだわる
場に在った行動がとれない
睡眠障害・脅迫観念が強い
特異的な興味を持つ(分子構造とか・・・、えええ、周期律表とか素数とかVelocityとか分子式とかE=mC²とかもはいるんじゃろか??)
なんだか自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)に似ているような・・・
本店で「なぜこうも思い込みが強かったりするのか??」(9-17,10-12-37)って書いたのは
わがK一族の無印良心さんですか??
で、言ってる対象は誰の事??
コッソリ教えて下さい。
『お前はお前で丁度良い、
今のままが丁度良い、
おまえは今のままで100点満点だ・・・」みたいに
黒●節を言ってるようでもあるしね・・・
努力家精励克己人Kちゃんの強烈な対抗馬であるような感じだけどね。
曰く
「ところで最近、長所も短所も含めた自分の全存在を認めて(自分を)好きになろうという文脈で、「ありのままの自分」と言った言葉をよく聞きます。
しかしそのように自分で自分を肯定してみても、
もし自分のエゴに囚われたままの状態で、
思いのまま、ありのままに振る舞ったならば、
その人は必ずや周りの人と衝突し、彼等を傷付ける事になるでしょう。
また自分も、結局は思い通りにいかず苦しむことでしょう・・・
ですってよ!!・・・出典はわすれちゃったけど・・・
なんだっけェなんだっけ
なんだかな~、Tクソぼうずの眼に映るのは・・・
【闘いに勝つ事】!!、
【闘いに負けない事・・・】!!
夢が有っても無くても、自分らしく生きられれば
人生は素晴らしい・・・
そんな事をいってるのが
「禅僧が教える『人生をラクに生きる』生き方」っていう本みたいだけど、
この本の何処に『闘いに負けるな、お前は絶対勝たねばならぬ!!』という発破が仕掛けられてるのかと疑問がでる。
こんな思想をどういう風に英訳するか、
自分の思考(嗜好&指向)と反する翻訳はどうやったら出来るのか??
mmm、「でも、かまわない」という手(=方便)でいくしかないか??
言葉は言葉にすぎません。【読む人】の世界を投影します。Kさんが黒●本を読む(=翻訳する)場合、【Kさんの世界】を投影するものです。
(=じゃあ原作者の世界はどうやって伝播するのか??)
Can you~~?
Yes, I can!!
とオバマちゃんは言った訳だが・・・・
mmm、いまこそ真剣勝負の時なのかも。
誤読(読み違え)・脱字・誤字・文法エラー・素っ頓狂はご法度と成る・・・怖い怖い真剣勝負!!
アクセス競争に勝つということ、
・・・だと、思い込み激しい或る人に
今では激しく洗脳されたTクソぼうず
共にアクセス分析に一喜一憂トホホのホ!!
『生きているということ』、は
アクセス数に喜怒哀楽するということ、
それが闘いに勝つということ・・・みたいだね。
でもパソコン3台準備して翻訳業務に全身全霊、
黒●ちゃんを唸らせることこそが
『いま生きているということ』で、
負けません、勝ちましたは本質それたラチの外、
ブログの重要性も失せており、
まあ、アクセス症候群は卒業って事となる
トホホ変じてニッコリ子
めでたしめでたし塞翁が馬
馬耳東風だ・・・いずれ塞翁が馬と成る。
人間は決断を迫られるが、その決断はつねに間違う・・・
でも黒●ちゃん曰く、
「人が決断するのではない、ただ単に縁起によって押し出されて行くだけだ」(意訳)と言うようであるが・・・
(注;この辺りは放電現象なのかどうか知りたいところだ、ねえ放電ちゃん・・・)
闘いには負けません!!という人への挑戦なのかも??
(【まあ】アクセスに協力中という見方もあるが・・・今日は何の書きコと、Kちゃんと一緒にココロ苦しんでいるわけでもありますし・・・)
いま生きているということ
のし展が心の絵にビビビと美するということ
放電現象が心静かな詩の放電現象に浸るということ
ザリガニがニホン国中行脚(あんぎゃ)、行幸(ぎょうこう)を説法するということ
着のみ庫裏のみが道元親鸞さまさまするということ
オッそれ見た山、死人の霊魂慰労するということ
玄米めし召し上がってちょということ
で、立つ姫のモチベーションはなんだっけ??
Kちんのモチベーションはなんだっけなんだっけ
でもまあ!!
皆いずれもうつくしい
皆一緒に苦しんでいる。。。。
生きているということは兎に角いちおう
Theうつくしい!!
あれは本物の毒舌ですね。
面白さを超えて寒くなりました。
面白さを超えると寒くなるのですね。
この『寒さ』の正体はなんでしょうね?
ですが、誰かの名を知ら示す過程で生じる苦難は
苦しみとして認識されず
訓練になるので、受けるべく『受難』ですかね。
それが非常に面白いです。
毒舌は本当に愉快ですね。
私は毒舌がお好み焼きのやきやき好きで
毒々しさが激しければ激しいほど
身が絞まってきてゾクゾクしますね。
苦笑いの方が味深くてお好み焼き加減かな、です。
いま生きているということ
居眠りするということ
ヨダレだらだら毒説たらすということ
蝶々さんが花を転々巡るということ
で・・・、
生きているということ
いま生きているということ
今は歩くということ
そのあと坐ってみるということ
坐って変性意識してみるということ
無我を無効化するということ
mmm、なんちゃってオッチョコレート、
死人の解脱じゃ、なんにもできねェ~
仕事の効率性のため、パソコンを最新モデルに買い換えました。
なので、パソコン3台でこれから仕事に励むつもりです。
ですが、その最新のPCがUpdateを頻繁に行うので
途中で再起動など強いられて
コメントが消えまぐっています。
ですので、私の応答が遅れる場合は
PC関連のUpdatingです。
あしからず!
生きているということ
いま生きているとということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ
ーーーーーーーーーでは毒説(T師の死の詩)
解脱するということ
いま涅槃してるということ
泣くな、みっともね~ということ
笑うな、はしたね~ということ
怒るな、ばかやろ~ということ
自由だって~、死者にはそんなもんはねェ~!!
突如出たヒット商品は
思い込みの達人向けに
『私の好きな世界観を崩さないでもらっていいかな?・・・(反論されると)不愉快なんですけど!!』(本店米9-16,19:10:46).
ここに生きている事の正体が現れる。。。
いい人いいさん支店も込みゴミ連盟
天才は生で食すと毒薬のように腹をこわす。
危険な材料である。
ふぐのように特定の資格があるものが捌くことが要求される。
天才の捌き方は
人によって異なるので
このKブログでは
T-居眠り方式を積極的に採用している。
Tよだれによって天才も凡才に(盆栽に)なれるので食の危険性が少し紛れる。
かといっても食べられないので
k式不可解難度によって意識変性を加工する。
意識変性によって
無我の無効化をねらうのが趣旨であると言えよう。
毒説の原産地はサンマテオ
元歯医者で今はスパーバイザーになっている師匠業を趣味にしている麺クイ(面食い)師から始まった。
説とはネット上の興味本位のケチケチとした情報を指す。
別に知っても知らなくても読者にとって
意味を持たない不要な情報を指すが、
不要が必要な時も稀であるので
込み箱(ゴミ箱の未来形)入りになる。
よって、毒説というのは
K-辞典のみに存在している指定者限定の特注のことばである。
睡眠薬を気付かれない様に毎日少しずつ量を増やして行くと毒殺出来るとかみたいですよ。
なにせ自分の夫、漱石に飲ませる睡眠薬(液体だったらしい)を少しずつ量を増やして行った奥さんを
漱石の弟子で医者の誰だか(彼が奥さんの頼みで、漱石の睡眠薬を処方していた)が、彼女の殺意を察して処方を中断したという逸話があるようだし・・・
(出典:『夏目漱石の継承』)
いずれにしてもKちゃんもご用心!!
アインシュタインにオイラーに道元で、
E=mC²と素数と道元禅にハマった次第。
ベロシティーに水の結晶に、
mmm、あとは、何だっけ
夢中になって書き込んだ昔のノートが懐かしい・・・
C+O₂=CO₂なんかも在ったんだっけか??
Time times Velocity じゃった、Kさんのお好み焼き
毒説だったんでしたっけ??
そんな言葉知らなかったよ。
ふつう毒舌じゃない??
毒説はトゴンかな~・・・で毒舌はトッソル・・・
じゃあトッソルル ポプッタポプッタ ベロシティーって処かな??
又はヨッカダ ポプッタ Time times Distance
も・・す・・て・・き・・・だなァ~
てか、おはようーーーーーーーー!!!
やっぱ、歩くことって、いいんだねーーーーーーーー!!!
宮ちゃんも、最近、なるべく歩くようにしてるでねーーーーーーー!!!
座禅もいいんだねーーーーーーーーーー!!!
今朝の新潟は、なんか寒いでねーーーーーーー!!!
風邪ひきそう!!!
まあ、毒は使い方によっては
薬にもなりますからね。
今までは絶妙に微量ですが
常にその加減が際どい。
その日の気持ちによって
量が過ぎる時があって
その毒を浴びるのは私だけ!
まあ、毎日毒を盛られているから
毒殺にはなれないけれど。
説と舌とは
根本的に違うものであるが
それにお構いなく
かわいいとされてしまっている!
正に居眠り毒舌でありけり
とても他愛のない可愛らしいモノで、
大体が書いている最中に眠りこけて、
そのうち、よだれが喉元に流れて来て
「オヤッ、何か冷たいな~」とか思って
あわてて目が覚めて
また毒舌を書きつず蹴る・・・
という、ヨダレの冷たさ程度だからね・・・
カワイイかわいい・・あ・・た・・し・・!!
へェ~~、Kちゃんも意外とマトモなんだ!!(冗談冗談!!)
魔友(まとも)のK壇論者、何かタメになりそォ~~!!
此れだったら・・・
「人間は決断を迫られ、その決断は常に間違う!!」という運命論から抜け出せそ~だね。
単に自己主張が激しくて、その正義の正体は
『自分の実力を誇示したがるS(=サド)侯爵』ではない訳だ・・・
まあ(でた~、Tのいつものぼかし言葉!!)
芝居は最後まで見ないと分からない!!・・・訳だけど
今回の記事は
野球パパさんの例の過去の記事を読んでから
暫く考えさせられたのもあり
仕事関連の必然的に生じるー損害関係性を
現在の時点で新たに考えた、その試みでした。
あの記事(野球パパさんの再整理:タイトル特定はしたくないので)は私にとって
人様の苦しみを身近く感じさせた痛切なものでした。
読んでから結構こたえるものがありましたね。
Tとのやり取りのポジティブな面(こちらでは麺として扱われている)を見てくださってありがたいです。
Tも結構厳しく、びしびし毒説ですが
(法伝さんは甘甘)
それで私も自己の泥沼から
這い上がって出られるので
嫌々ながらも認めて、学んでいます。
認めて切腹します。
ただし、私が自己責任を負うべく
切腹したら
自分を他殺することになります???
全く関心がないーこれは幼稚な言い方でした。
謝ります。
関心はありますが
ただこんな知識、引用があるよ!と
提示して、ぺたんと置かれるのは
無責任だと思います。
きちんと説明すべきでしたが、
例の山でのコメ安売り、特別期限セールみたいな
ことにちっと嫌気が差していたところに
(Tから知恵袋の引用が面白いと言われたので)
リンク+リンクして読んだら
何だ、偉そうに他人を見下すケチ袋じゃないかと
思って、書いただけでした。
なので、本音は
知恵袋はケチ袋だということです。
Tからの引用がなければ
私の自己が事故を起こしますからね。
『大学の先生が討論しているみたいで、まるで難しい本を読んでるみたい…』
TがKさん記事を読むときも同じ感じをうけますね。
Tのコメは「T流ヒッシの食い付き」現象ですね。
・・・まあ黒●ちゃんちの記事とコメほどはひどくはないですが(たぶん・・・)、
Kさんの記事の不可解さは彼に似てきたな~と思ったりしたものでした。
『総合力が無ければ事が成就しない』ということになるのかな??
気合・必死さ・意気込み(=本気モード)は確実な成功を成就させるが・・・
そのモチベ―チョンは何か?
自分に総合力が備わっているか?
・・・は客観的に判断されねばならない。
単なる自我の固執の中で、
自尊的直球勝負を、幾らかけても・・・
それは「言って満足症候群」だ。
只単なる不毛の高揚感、自我の優越感の披露に終わってしまう。
極端B麺仕様でいえば・・・・
自分の直感だけが頼りで生きている人で
自我が強くて
意志が強固で
頑固で自己中で
他者を気に留めないで
自分の意見に凝り固まっちゃってて
闘い(論争)には絶対負けない
よって、他人の言い分を全然聞かない・・・・
という事に成る訳ですかね??
注:
でもA麺仕様で言えば
意志強固で
他人に左右されない
強い人・・・ではありますが。。。
ここのブログは学者が書いたブログみたいで蓮の花さんとTさんのコメントを読んでいると大学の先生が討論しているように感じます。まるで難しい本を読んでいるみたいです。でも、自分のためになるから難しくても読んでいます。コメントは時々出したいと思っています。
誰が何々と言ったという引用文は全く関心がないKさん方式と、
自分の視点の幅(絵を描く為の点、点、点の数、乃至は、世阿弥言うところの【離見の見】)を広げる為に、色々な人の思考法に興味があるT方式とは、
『他者の思考』の取り扱い方が全く異なる・・・という事になるようですね。
では、このコメ欄では、
Tも今後は他者からの引用は極力、出さない様にします。
ごめんなさい・・・
「足の痛みで心の痛みが忘れられた」は物凄く共感できました!私も一時期、仕事の関係で精神が病んでしまい、その時はただひたすら歩きました。歩くことで、肉体的に披露することで精神的なもやもやを忘れることができると思ったので。部屋に引きこもってもんもんと頭を抱えているよりはベターな対策だったかなぁとこの記事を読んで確信できました♪ありがとうございます!
しんなりと入ってきますね。
誰がこれを、どのページで
かくしかじかだといったーこのような引用には
関心が全くないのですが、
誰かの教えで、こう変わったみたいな経験談があると
結構面白く感じてきますね。
Tから頂いた本の中に正法眼蔵を読むーそのほうが
知恵袋よりクレシッカルClassicな感じがしますね。
ベストアンサーとされたdogen_tonさん曰く
『只管打座は(仏教知識が非常に高い)道元にして始めて言える言葉であって、~~、~~、
一切、仏典を学ぶ事無く、
坐禅を組んでいると、そのうち悟り(=見性大悟)が得られると勘違いしている愚か者どもが居ますが、嘆かわしい限りです』といっている。
それに道元禅と仏教知識に大変詳しい黒●ちゃんでさえ、只管打座で道元禅の道元禅たる由縁を語っていないのなら、道元禅って仏教知識豊富な専門禅僧にして始めて言える暗黙の了承なのかも知れぬ鴨???
道元禅(只管打座)=身心脱落+仏道通暁
『仏道を倣うとは、自己を倣う事で在る。
自己を倣うとは、自己を忘れる事で在る。
自己を忘れるとは、万法に証せられる事で在る。
万法に証せられるとは、己の心身をも他の心身をも脱ぎ捨てる事で在る・・・・』
大変面白かった。
kahusehuさん(曹洞宗僧侶)の解答の中で、
道元禅への言及があった。
成程これがKさんがアメリカ布教を目指すB案orC案っていう事なのですかね???
上記は面談の時、私がどう理解しているのかを本人に直接伝えているので、それらを公用にひらけた表現法です。
その時、他の者から
お前に師の高貴な志が分かるのか?と言われたと思い込んだので
かっとなって、私流儀に理解して何が悪い?と言いたかったのが偉そうに取られたでしょうね。
どっちにせよ、威張ったことになったので
それは反省中です。
その背中に背負うモノが重すぎるからだ。
少数派ながら挑戦しても、失敗したら家庭崩壊に至る。
アメリカの個人企業(例、レストランとか小商店)に於いてさえも、10の新規小事業の内、2年で半分が消えてなくなり、5年以上継続できるのは、2割程度(?)だとか聞いたことがある。
彼等は楽天家だから、それで家庭崩壊が起きても、
『お~、いい塩梅だ、新品のワイフが娶れる!!」とニヤニヤ出来る。
ほんと恵まれているアメリカだ・・・(アメリカでの離婚率は50%以上だとか??)。。
Kさんには力が在って、計算通り事を運べる。
悲観論者である一般日本老人の75~80%が、
挑戦しなかったことを後悔する人生を送るのだとも言われている。
そういう慙愧の念で自ら沈む人達に、
「ドンマイドンマイ!!」と手を差し伸べる人が黒●ちゃん・・・それが彼の思考法!!
さてKさんは、そんな彼の思考法をどう翻訳するか??
Bプランがあります。
どの道になっても
負け犬にはならないCプランもありますので
ご心配なく
何せ、失敗しても
挑戦しなくて一生後悔するよりマシなはずです。
この世の現実は負けた人が大勢いて、
黒●ちゃんが
『ソ~だね、負けたっていいんだよ。
この世は勝たねばいけない程価値が有る訳ではない、勝たねばいけないと言う根拠がない、勝たねばならない意味はない…』
・・・>だからみんながホッとする。
mmm、これはどうやら悲観論者的救済論理だ。
アメリカ人にどう響くかTには分からない。。。
全く気に留めなかったです。
その面は無頓着でしたね。
呆気にとられますよね。
本当に気にしなかったです。
如何に自己中心的かが現れてますね。
面接による情感効果が無くなり、
或る言葉が1人歩きをし、文脈に関係なく切り取られていって、憎悪を呼び起こし炎上する。
議論が議論にならず、極端な反応しか見られなくなる。ストレートの単語が周りの人の反感を生み出す。
敢えての引用例;
周りの人は皆が言う・・・
『黒●ちゃんの思想と文章は難解だ!!言ってる事がほとんど分からない・・・』
・・・に対し、
Kちゃんは言う・・・
『【不思議】にも私(=Kちゃんだけ)には黒●ちゃんの本が難しくなく、私が今迄抱いて来た全ての質問に答えてくれていると感じます』・・・
ここで炎上する単語は『(皆には難解でも)私だけには不思議に易しい、エヘンえへん!!』といっているのだと皆が読み取って、
日頃Kちゃんの書いて来たコメ文章との間に大きなギャップが在って、論理の不整合性が叩かれる事となった。
直球言葉は相手に反感を巻き起こす!!
(討ち死に覚悟でやってるから、気にする必要はないのだが・・・、聞いていて多少疲れる・・・)。
【生きるを楽しむ】為の競争&自助努力。
人間性の成熟を求めて精神高揚。
苦しいこの世を幸いに変える為のテクニックを捜す。
輪廻転生があるとすれば、来世こそは自分の夢を成就させる方法を知っていると待ち望む。
釈迦の時代は
【死ぬを希求する】為の修行&自助努力。
人間性の全否定を企み精神沈静。
苦し味感を滅失する為のテクニックを捜す。
輪廻転生があるとすれば、その運命から抜け出して、来世には再び生まれて来ない事を夢見る。
更に面倒になっているので、よっぽどコメントに
気合を入れないとなかなかコメ蒔きは難儀になりました。
まあ~それでいいかもと思ったりします。
例のところのコメ畑も密度が減るのだろうと思ってみたり。
ことが過ぎて考え直したら
例の件の関りで多数のコメントが削除されてましたね。
私のも釣られて消されましたが、
落ち着いて考えてみたら
それで完結できたような気がします。
未完成のまま終わったような感じが
完結できることもありだなと。
Tは私が常に戦闘態勢のようだと言った時がありましたが、
私は勝ち負けに拘っておらず
(しかし闘いになれば負けはしません)
当時は、覚醒したせいか
よどんだものに敏感になり
何かを放出させたいと
そのために発言してました。
その時は、その瞬間に言わないと
一生言えじまいになると思ってましたから
結果がどうなっても
言ってから後悔すると覚悟してました。
しかし、言ってみると
膿を出す、悪い血を搾り出すようなことにも
つながった部分があって
肯定のための否定ができた部分も少なからずありました。
不思議なことに
想いをことばにすると
その想いは
沸騰しているお湯のように
蒸発されて消えていけるのだと気づきました。
その沸騰の熱で火傷はありましたが
蒸発すべきものが蒸発されたので
水気が少なくなりましたね。
それには納得できました。
処方箋に従い
坐禅など改めて服用(服動かな)しますね。
日本にいた時は
食べる時間が無かったので
すっかり痩せてしまいましたけど
今は少し元の体重に戻りつつあります。
毎日、着実に仕事の基盤を固めています。
気力が無かったのは
暴走後の疲労が原因だったでしょうね。
或いは、今は昔ほど
思い込みが激しくなくなったからかも知れませんし。
MUSTがやっと
SHOULDになって
後は
Willingになってくれればいいかなと思っています。
流れて行く気持ちの音を静かに聴く】
自分の心の中に、
そして他者の心の中に、
無色透明となって・・・
人の文章・絵などの中に
塾長として採点する職務はもはや必要ない
又、己自身を採点する必要もなくなった
他者に、又おのれ自身にも説教する必要は無い
人の思惑を全て外して、
流れて行く心の風景、気持ちの音を・・・
ただただ静かに聴くのみだ
人を採点評価しようとすれば、
自分の価値観を他者に押し付ければ・・・
ブーメランとなって自分に戻り
自分の心が病んでくる
ならば心静かに
心ひらいて
彼等の魂の音を素直に聴けば
美がおのずから光り出す
雑草の力強い生命力に
その小さな一輪の花の中に
宇宙が潜んでいる事がわかり
心に癒しが伝わって来る
青い空と白い雲と木々の緑が
人の心を癒し
生き生きとした生命力が溢れだす
心の風景は自然の癒し
流れて行く自然の音を
心静かに聴く
少し坐っていれば
すぐ又歩きたくなるでしょう・・・
処方箋は、休養と深呼吸
あッ、坐禅も有効ですね(ご存じだと思いますが・・・)
理屈より、見た目感性が優先する・・・ですね。
そうなると、プロフ写真の通りに
「蓮の花」を女だとまず人はおもうでしょう。
・・・よかったよかった、どちらの性でも上手く行く!!
とがり続けて颯爽と歩くもよし、気負いを伏せてゆっくり歩くも又よろし
・・・なんだけど、
mmm『歩こうとする気力が無くなった』ってどゆこと??
今迄、激動の波にもまれても、
静かに時の回復を待つという手もありますね。
At that time, my mental velocity was stuck at a mute so I couldn't drive my mind.
You can see where I was in and how I couldn't do.
I guess 7 years ago of you, like I was you also were stuck at Old Farm RD with two cats.
私はVelocityという言葉が好きなんです。
三角形もその安定性が好きで
逆三角形にしても
中心を取ることにより
立てることも可能ーこれらの逆説も好きなのです。
それらを表す最も最適な図が今度のダイアグラムなのです。
距離と時間の上に
Velocityがある自体、魅力的ですけどね。
頭悪い、良いとの公式的算術方式は
まま、どうなっても構わないことにしてます。
当時は苦しかったですけどね。
今になって、書き方により
克服したこともあり
『美しく』見る見方もあるでしょうけど、
当時は息苦しかったです。
今になってその状況を書いた理由は
当時の気持ちに似た状態を経験したからです。
ですが、今は当時のように
歩こうとする気力は無くなってますね。
想い出の映像みたいな感じになってますが、
その想いを再生してみたら
当時の匂いとか
景色とかも
色褪せてなくまだ鮮明に残っていて驚きました。
ただそれだけを感じて読み終えました。
選択はマインド
宗教も求めればマインドなのですね。
マインドの生まれる前の命に身を浸すことの美しさはたとえようもありませんが、それがこの記事に表れた。
そんな感想を持ちました。
ありがとうございます。素晴らしい贈り物です^ね^
坐禅は忘れていた潜在意識の総洗いに過ぎず、
もともと総合力が不足してれば正解は出せない。
無我だけでは答えは出て来ない。
コップの水は満たされなければならない。
歩く犬に成らなければ棒にさえ当たらない。
(但し無我で歩くとよく棒に当たる・・・)』
誠に、正に、真に迫る迫力として
私に波打ってきました。
クリアに
爽快に
シンプルに
明快に
私を代弁してくれましたね。
あっぱれです。
「努力教の信者になってはいけない」
「人の悪口(=批判)を言うと自分の脳が老化する」
「いかにも仕事が出来そうな人、説得力のある人は実は頭が悪い人」
ところで今回の三角形ダイアグラム
D
÷
(VxT)
とは説得力ありそうに見えるが、実は頭が悪そうだ・・・なしてD÷(VxT)何かに成っちゃうのだ??
Part 1: The Formula Diagram. As always, the diagram at the top has a strong relationship to the subject matter. Does the drawing enhance the writing? Does the writing enhance the diagram and make it relevent?
Maybe it works both ways.
Anyway, there is a little lesson in the diagram. Each term, Velocity, Distance and Time, can be defined by isolating it on one side of the equal sign.
And when we do that, we realize that definitions, by nature, require us to see one term IN RELATION to other terms.
There is no "pure" definition. In fact, the more "pure" the less helpful it is.
For instance, let's say I want to define "Green". If I say Green = Green, that's not much help. But, when I place green in relation to other colors, I gain more understanding: Green = One part Yellow and one part Blue.
Another example: Acceleration. This term is often confused with Velocity. In its "purest" form: Acceleration is change of motion. That is its essence. But in this "pure" or ideal description of Acceleration, we lose comprehesion of what it really is.
Acceleration is change in Velocity over a specified period of Time.
Wow, from this definition - by relating it to other phenomena - we can easily see that Acceleration describes going faster or slower!!! After all, slowing down is a change in velocity, just the same as speeding up.
That brings me to the second part of the Post, just after the diagram, where you describe the decision to be made. it is actually a three part difficulty: Do you fire someone or not fire them? I mention three part because there is a third option which is to ignore the necessity to make a decision, which is slightly different than deciding not to fire the person.
This shows the lack of "purity" in the decision making process. Life requires us to make decisions where there is no absolute right nor wrong. Sometimes is there isn't even a clearly definiable relative right or wrong. Sometimes, like a crazy quantum atom, one decision is both right AND wrong at the same time.
Decisions can only analyzed in relation to consequences. So, like defining a term, we have to isolate one decision and see what the outcome could be. Then we isolate the opposite decision and see that outcome. Very often a thing we wish to avoid with one decision shows up as a consequence no matter which decision we make.
So, a quest for "purity", a search for something right or wrong, or hoping to define a specific absolute outcome, is not helpful.
Better than my comment here, the first part of your post and the diagram shows me a truth: Purity is, often enough, less desireable than Relativism.
I'll discuss my thoughts on the last part of your post later. A client just came in to be prepared for a hearing. I could decide to ignore the client, but that would violate various professional oaths. I want to both ignore the client so I can keep writing here, and I want to comply with my professional oaths and I want to treat the client fairly.
元塾長妻の生きがいの創出
どんな逆境にも負けない
心を強くする習慣というモノもあるそうだ。
人生は自分との戦い。
自分に負けない様に只管打座。
五木寛之なんかは言うようだ・・・・
「本物のプラス思考は、究極のマイナス思考から生まれる」
「深く悲しむ人ほど強く歓ぶ事が出来る」
「強く悩み迷うことから本当の確信が生れる」・・・
「さあ、自分をはるかに超える仕事をするために」
「魂」同士の交信をめざして
「ちっぽけな自分を超えた宇宙の波動」に合わせて・・・
「しゃべれ、しゃべれKェ、ものを言え,言えK」
「(いいと)ふたりで歓べば歓びが二倍になる」ゼ!!ヒヒヒ。。。
難流仏教家言語録に通じますよね。
『誰かが悩みを僧侶に訴えると、
その僧侶は安易に「では只管打座したらよい」と・・・坐禅が万能薬のように言って、
僧侶の怠慢タラタラの逃げを打つ・・・
人生問題はそんなお気楽なモンじゃないだろう・・・』(意訳)。
結局答えは総合力で、
坐禅は忘れていた潜在意識の総洗いに過ぎず、
もともと総合力が不足してれば正解は出せない。
無我だけでは答えは出て来ない。
コップの水は満たされなければならない。
歩く犬に成らなければ棒にさえ当たらない。
(但し無我で歩くとよく棒に当たる・・・)。