Zen禅

心理学に基づく坐禅の研究-心の風景を眺め、流れていく気持ちの音を静かに聴く(英訳)

被害意識と加害意識Victimize and Perpetrate

2017-03-03 | 生き方

私は被害者に成ることを拒否した

I refused to become a victim

そうしたら私に加害した人は

Then those who violented me 

私に及ぼすはずの影響力を失う

They lose the influence on me that supposed to affect


私の生い立ちは言わば不幸に分類される

My upbringing story was classified as unfortunate

韓国戦争中に軍隊から逃亡した私の父は

My father who was a war fugitive from army in Korean war

軍法会議で家の事情が認められて

His case was accepted for family crisis at the military trial

投獄させられるのは免除されたが

He was exempt from being imprisoned in army

日雇いの仕事しかできなかった

But he only could work for a day job


彼は家族に軍隊のような厳格な規律に服従することを要求し

He required on his family to submit his strict discipline like an army

幼い私達が逆らうと暴力を振るった

He violented y upon us when we against him

その暴力は妥当な理由が無く

His violence had no appropriate reasons

大体は彼の命令に不服従した時

Mostly when we disobeyed his order

下される体罰で避ける道はなかった

We couldn’t avoid his decision of punish us


ベルトや竹の棒、あるいは素手や足の蹴りなどが

With a belt or a bamboo stick, with his bare hands or kicking

罰を与える形式であったが、最も辛かったのは

Those were the ways of giving punishment us but the hardest one was

彼が使う悪い言葉であった

-the bad words he used

彼のストレス度合や酒の酔い具合で

Depending on how much he stressed or how he was drunken

彼から受ける罰の時間が変わった

-the punishment time from him was changed


彼はプライドが高く自分の子供を所有物のように思っていたから

He was prideful and we who his children were treated like his possession

隣の人が私達を助けようとしたら余計怒った

When neighbors tried to help us, he got more furious

中から鍵を掛けて始めるので平均的に2時間続いた

He rocked from inside and started so it lasted for 2 hours on average

父親からの暴力は毎日ではなかったが

The violence from my father was not in every day

週に2~3回はあった

-but there were two or twice times per week

生まれてから彼の家を出た時まで不定期的に行われた

It was held irregularly from my born until when I got out from his home


私にはいつも基本+おまけがついてた

I always had a basic course + bonus  

何故なら、彼が謝罪しろと要求した時

Because when he commended to me apologize

一度も謝罪したことがなく

I never apologized to him

どんなに痛くても泣かなかったからだ

No matter how much pain he gave, I never cried

私が最も恐れていたのは

What I felt fear most was

彼から受けた暴力による傷が体に残ることだった

-the scar received from his violence would mark on my body

体の苦痛自体はそれほど怖くも恐怖でもなかった

The body pain itself was not scary or a fear

何故なら、私は間違ったことをしていないとの信念があった

Because I had belief that I didn’t do wrong


だが、今冷静に考えてみると

But I think back then calmly now

父が私を殺そうとしていると感じたことはなかった

I never felt that my father tried to kill me

15才の頃、家事を完璧にやっていない理由で

When I was 15, the reason of I didn’t do housework perfectly

父がいつものように暴力を振り始めた

-my father began to violent as usual

私は立ち向かい言った

I confronted and said to him


『あなたは自分自身のストレス解消のために

 私を殴っているが、私は正しく生きている

You hit me to eliminate your own stress but I live in right way

もし私がこの暴力で死ぬならあなたは一生

If I die with your violence, in your entire life

私を殺した殺人者として生きあなたが死ぬまで

-you live as a murderer who killed me and until you die

その記憶があなたを苦しませるはずだ』

-the memory will make you suffer”


それを聞いた彼は一瞬何も言わなかったが

He didn’t say anything for a while when he heard

激怒し何回か私の頭を殴り足で蹴った

-but he got furious and punched my head few times, kicked me

だが、それが彼から受けた暴力の最後であった

However, it became the last violence that I took from him


私は受けた暴力に対し被害者意識を持ちたくなかった

I did not want to have victimized conscious against the violence I received

彼が私に与えたかった苦痛や屈服感をもらわないと決めていた

I decided not to take the pain or surrendering that he wanted to give me

暴力で支配されることを拒否した

I refused to be controlled by violence


私の生みの母親は私が生後2か月、姉が2才の時

My biological mother, when I was 2 months’ baby and my sister was 2 years old

家から出て一度も会ったことがない

She left us and never met since

父は同棲と再婚を繰り返し

My father repeated cohabitations and remarriages

私が9才の時、当時同棲していた女性から生まれた

When I was 9, a woman who was cohabitated at that time

異母兄弟2人を残し彼女も家を出た

-she was also gone and left her son and daughter

次回はその継母から受けた虐待について書く

I will write about abuse from her next time


私は自分の生い立ちをブログで書きたくなかった

I didn’t want to write my childhood story in my blog

だが、自我や他我を扱っていく中で

But, while I have been dealing ego and other’s egos

私に与えられた自我を究明していく必要を感じた

I felt a necessary to figure out my ego which is given


また、暴力や虐待の記憶で苦しむ人がいるなら

To add, if someone who is suffering from abused memory or violented

その記憶に支配権利を与えないことにより

2次的な被害を受けなくなるということを伝いたい

I want to speak out that by not give the control right on the memory

-it can prevent to be secondary harm


加害者が与えたい苦痛や支配力は,拒否することにより

By refusing pain and dominance that the perpetrators want to give

自分を救うことができると伝えたい

-it can save one as my point


これを書いている私には事実のみが残り

When I am writing this blog, only facts left for me

敗北感や羞恥心もなく父に対する怒りさえも無い

There are no shameful or defeated feelings

-no anger toward to my father


次回、継母から受けた本物の虐待を書き

Next time, I will write about the real abuse from the stepmother

被害者意識と加害者意識の関係を更に深く考えてみたい

Will consider the related conscious between victim and perpetrator more deeply

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23 Comments

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「時間」とは「縁起」の事である (T)
2017-03-09 00:54:19
地球の自転・公転、および月の公転に依って、
朝に成り昼となり夜となる。
一日が過ぎ日が変り、月を経て時が一年進む。
質量の持つ万有引力と地球を照らす日光の摂理によって時の変化と循環がもたらされる(=サイロスとクロノス)。

それに従って気候が循環する。
その「時の流れ」に沿って暖かくなり寒くなる。
風が吹き、雲がたなびき、雨が降り、雪が積もる。
川が流れ、汐が満ち引きし、岩が形を変え、大地が息吹く。
斯様に日々刻々、地球は時を刻む。

その地球の自転と公転と月の公転によって作り出された太陽の力の変化のサイクルによって神羅万象が縁起する。
種が芽を吹き花が咲き木となって森が出来る。全ての植物と動物が出来、食物連鎖が完成する。

生命体はその「時の変化」(=流れ)に順応して生命活動を育み、その活動様式を創り上げる。
太陽エネルギーの時々刻々の変化が「時」をきざみ「縁起の世界」を諸行無常させて行く。人を変化させていく。


人は「時の流れ」の中で生きているに過ぎない。
「時」が止まらぬように生きてる人の命も止まらない。
「時間」が、地球の自転・公転・月の公転から生み出される「縁起の歴史」そのものだから・・・、諸行無常そのものだから・・・・・・。

即ち、全ての天体が静止しない限り「時」は止まらない訳だ。
全ての生命体は時の悠久の流れに沿って生きている!!

(注)。サイロス=年中行事の循環事項、
クロノス=経年変化事項
返信する
Zさんへ (K)
2017-03-08 06:52:14
継母のことは、書いてみようと思った時点では、関係性を明かす一つの手段として書くつもりでした。
だが、頭の中で構成したところ
その根拠を示すには
私の知識が欠如していることと
赤の他人を自分の暗い記憶に
降ろし入れるようになる恐れがあると
気付きました。
そのタイミングに書くに及ばないとコメントしてもらえたので
別の選択枝を持つことができました。

私にとってTの分析は
私に備えていない目を持たせてくれるような感じですが、
Zと無名の人は
視野を広げてくれる望遠鏡みたいな感じです。
返信する
死の受容 (K)
2017-03-08 06:41:21
私には死はとっくの昔、
記憶にも無い時に
死ぬことを
当たり前に認めました。
死ぬことについて
当たり前すぎることを
考察したり
再考慮する暇が持てなかったかも知れません。
死は受容する、しないとかの問題ではなく、
そこに木がある
みたいな感じなので
私には説得力無いと言えば
全く無いのです。
返信する
時間の中での人間 (K)
2017-03-08 06:35:54
そうですよね。
与えられた時間をどう活用するかが、自己決定を決めるでしょうね。
ちょうど、私も時間の果てや始まりについて
考えていたところなので
合致した接点がありましたね。

昨夜、『時間は無い』と思っていたので
びっくりしました。
時間が無 
これについて見解を明かしていくと
面白くなるかもしれませんね。 
返信する
再追加 (T)
2017-03-08 03:30:04
左様な思想(=科学的事実)は実は、
諸行無常思想に合致しており、
「時は無い」とか「時は止まる」とか「而今」しかないと言う思考方式のほうがむしろ自己撞着を起こすのではないかと考えられる???
返信する
追加 (T)
2017-03-08 02:58:44
左様な思想(=論理)の下では、
人間が時間の主人公であるというより、
時間が人間の主人公であるという言い方が可能である。
時は現成し、人は時の現成受容を引き受ける。

人は自分に許された(=与えられた)時を「如何に活用すべきか」を自分自身で自己決定するのである。
返信する
Unknown (T)
2017-03-08 02:01:44
地球上での全ての生命が太陽からの日光(=エネルギー)に依っているので、その日光を受ける地球の自転と公転に生命は委ねられていると言える。DNA設計も地球の自転と公転を基準にして生命秩序が系統建てられている。

草木の緑葉は昼は光合成をおこない酸素を放出し、夜は酸素を吸って炭酸ガスをだして生命の営みをする。個々の生命体もゼロの時から出発して存在の時を生き、時の終わりには死に至る。

此れは当然の科学的事実であり、
【時】は絶え間なく規則正しく進行していると言う意味だ。地球の自転・公転が止まる事が無いように、「時」は止まる事も戻る事も無い(止まったり戻ったりしたら生命は全滅だ!!)。

左様に全てには時がある。働くに時が在り、休むに時がある。悲しむに時が在り、笑うに時が在る。生まれるに時が在り、死ぬるに時がある。

人は今、自分に与えられた【時】を受容し最善に活用するしかない。
自分が今、いかなる時を生きているのかを、しっかり認識できれば心のやすらぎと自信が得られるモノであろう。

他者の言に一喜一憂するのが必要な時もあるし、唯我独尊で生きる生き方を目指すの時もある・・・・。

返信する
Unknown (T)
2017-03-07 07:28:58
レンさんにとって「死の受容」はDNAレベルだと言うのは何か解る気がする。其れはDNAの「生の受容」と裏腹になっているのだと思う。実際DNAには細胞の異常化を防ぐ為に死期を企画する時間概念も組み込まれているようだし・・・・(全てには時がある!!)。

では恐山殿の言う「釈迦の涅槃は死の受容の事だ」というのは、釈迦はレンさんの言うDNAレベルでの死の受容を体感したのかという疑問が残る。

恐山師曰く、釈迦の涅槃の定義は「死の受容」であり、
その境地とは、「死を欲望する事もなく、死を拒絶する事も無く、生き続けたい自己と、死にたい自己という欲望を無力化する事」とした訳である。

しかるに釈迦が悟り・解脱・涅槃を体得した現実的瞑想結果に於いては、
このまま餓死したいという想いがあり、
その願望に抗する為に梵天三請と言う神がかり的な逸話(=生き残り作戦)を持ち出したが、
心理学的推論に依れば、これは「生き続けたい」というDNA思考で在ったのだと思われる。

そうfだとすれば「涅槃=死の受容」の定義付けも変わってくる気がする。

注;何故この議論を持ち出すかと言えば、
心理学的坐禅は何の為にするのかの定義付けに関係すると思うからだが‥・・・
座禅の目的=死の受容?mmmmm
返信する
勝利の方程式と失敗の方程式 (T)
2017-03-07 06:50:27
過去の不幸体験や失敗体験(含む不満体験)はどちらの方程式に於いてもその変数(=関数)と成り得る。

今の日本事情においては75%の老人(特に男)が自分の過去を悔やむそうだ。自分の心が本当にやりたかった事をやらずに来てしまったからなのだそうだ。

今急に思い出したが、
以前の知り合い(歯科患者)で当時80歳位の男の人が居た。彼は30代位かに家族で米国移住をしてそれなりに成功者になって、地元日系社会に於いての貢献度もまずまずで、T的にみれば羨ましい家庭と安定した社会地位を地元の仏教コミュ二ティー内で築いている様に思えた。

彼は死の3か月くらい前にTのオフィスに来て珍しく長話しをしていった。
曰く「私の人生は失敗だった」と言った。
そして3か月後、彼は脳卒中で世を去った。そして仏教会での葬儀でのクソ坊主が言う事には、彼の奥さんは今悩みに悩んでいる。何故なら彼の(奥さんに言った)最後の言葉が「お前は地獄へ行け!!」と言う罵倒の言葉だったと・・葬儀参列者の前で暴露して見せた。

なんか漱石の『虞美人草』での美女藤尾が自分がオトコ達を意のままに操れなかった怒りに激高して脳溢血で悶死した情景と二重写しになる・・・
返信する
Unknown (Z)
2017-03-06 20:43:56
人は人間である前に生命である。
眼前に展開される無慈悲なまでの現実に否応無しに直面した場合、そこでは生命としての根源的なものが問われているのであり、刻一刻と絶え間なく変化する外部に対して、自らの内部構造をその都度変化させて、それこそ無我夢中に、無意識に、本能的に反応する。
父親に放った言葉こそが、桂蓮さんの生きる根源であったとしてもなんら違和感は感じない。純粋経験として充分通じるものである。
継母との事は、書くには及ばないと思われる。
返信する
Fast & Slow (K)
2017-03-06 16:30:14
確か、Tの引用に類似して
受験面談をしていた時、
生徒の学習態度や結果の蓄積されたデーターで話す時は、早口になり言いたいことが明確でしたね。
反面、偏差値の求め方など
母集団の偏りの具合が確認できないと、
説明が短くなり、親の理解や受け方も不明瞭であったことが確かに受け取れましたね。

Tのまとめ方に因んで
今回の記事が『過去の清算』に成れるなら、書きたくなかったことを書いた意味は成せたと思います。

次回の記事を掘り下げるか、
辞めて方向変換をするかは
今夜寝て見て決めようかと思うようになりました。

Tの解釈や分析は私に常に別の視点を提示してくれるので、一点張り から離れるようにもなれます。
一点張り はつまらないと思っているから点を増やしていこうと思ってもいます。
Tの分析で均衡を取っていく感じですかね。
返信する
Unknown (T)
2017-03-06 04:00:04
ダニエル・カーネマンの『ファスト&スロー』では、
「ファスト(fast)」は(右脳的)直感・直観を指し、「スロー(slow)」は(左脳的)論理を指すと見做されているようだ。
いずれにしても脳内に蓄積された情報から出ていると彼は定義する(=無から有は生じない)。

何故そうなのかを考えるに、
実体験の無い知識・教養のみで屁理屈をこねるのは、ゆとり世界での左脳の言葉世界でのお遊びに過ぎないから、表層的でレトリックに頼る事となり、しかも
論理的帰結を待たなければいけないから、どうしても記憶の再現が「スロー」になってしまうのに比して、

「ファスト」は実体験から構成されているので、
左脳の言葉と右脳の映像がガッチリとリンクしているからこそ、或る思考(=言語)をキーにして、一瞬の内に直観・直観的解答が解ってしまうという事なのだと思われる。

しかしこのファストの場合、心理的影響力が強いので、
自分が過去の経験にへこむ(=悲観的になる)事無く、
客観的(=楽観的)になれる為には、今自分は勝利を収めているという実感が必要となる。

これは失敗体験も同じで、
何かに失敗した直後に失敗した原因ばかりを見つけ出そうとくよくよすればするほど、将来ふたたび失敗してしまう事に成るのに反し、

むしろ失敗した直後は、こうしていたら成功していたのだと考え(妄想でも良い)を巡らす方が次回成功する確率が高い、という事案と類似している。

勝利を収めた自分の姿、成功できる確固たるビジョンが描けて初めて、過去の不幸体験・失敗体験を顧みて、それが如何に幸福・成功に繋がるかを眺める事が出来るのであろう。
其の状況下においてのみ自分の過去に触れ、自分自身のプロファイリングを行う事に意味が出る・・・それが自分のゼロポイント(=心の原風景)なのだから・・・。

このステップが、別名「過去の清算」という事なのだろうか。
自我の清めにも通じるのかも。。。
これは坐禅の効用とも繋がりがありそうだ(=坐禅によって成功へのビジョンと確信を培う)。

(注;これは知識・教養のみに長けて左脳肥大症に成った精神科医が職業別自殺率でトップを占める事にも関連している。
また塩野七生さん曰くの「知識も教養も万能ではないのに、知識・教養を持てば持つほど万能だと思うようになるのがタダの人の陥りやすい傲慢だ」という言葉にもうなずけるものが有る。

返信する
Unknown (Unknown)
2017-03-05 19:15:54
祖母もか?
返信する
To Eric (K)
2017-03-05 11:51:18
Only you know how much I understood my father from the view outside.
You know that I even never hated him or miss him, when I found out he was died, I just let you know my father already died somewhere.
Only you knew how I felt and I never want to talk about his death...
返信する
無名の人へ (K)
2017-03-05 11:46:23
日本の植民地時代、私の祖父は日本で石油関係の仕事をして一家を日本に移し、父は日本で小学校教育を受けていました。
父が小学5年時に祖父一人日本に残り、家族は韓国に帰国したようです。

父は長男であったから、入隊して家に休暇できたら祖母と弟、3女の姉妹が戦争で食べ物もなく苦しんでいたから軍隊から脱出したようです。

彼のDVの原因は、恐らく祖母が戦争時女一人で2男3女を育てていく中で突破口として父に暴力を振り、それが私と姉に下りたかも知れません。
ちなみに私の姉は自分の娘に暴力は振っていません。
その悪循環は父の代で終わろうとし、私や姉は同じくなることを拒否しました。
返信する
Unknown (Unknown)
2017-03-05 10:25:25
父親のDVの起源が気になる。
世代的に日本語での教育を受けていると思われる。
返信する
生きる根拠 (K)
2017-03-05 09:25:39
今回の記事は最も書きたくない内容ですが、
坐禅を語る以上、避けられない橋であるのは
確かです。
Tからは、私が本来書こうと思ったコア的な生き方を読んでもらった、このことへの感謝というか、言いたいことをキャッチされたことへの当たり感があります。

今後、深く掘り下げていけると思いました。
返信する
死の受容 (K)
2017-03-05 09:20:29
死の受容はDNA的なレベルで既に受け入れてましたね。
生後2か月で母親から捨てられたら、生きる力は普通の人が想像できるレベルを超えるでしょう。
常に死ぬかも知れない環境なら、死について考察する暇なんかないのです。

贅沢な悩みです。
返信する
DV (K)
2017-03-05 09:16:16
劣等感は常にありましたね。
例えば、家が貧困、母無しの子、色黒など
ですが、
否定できない優れていた点もあったから、
そこをみたかも知れません。
人々は、私に”肌が白かったら凄い美人になれたのに”とか、
少し背が高かったらモデルになれるのにとか、
何かあと一歩みたいなことをいっていたので、生まれたのもそんなに悪くないと思ってましたね。
気は高く持った訳でなく、
実は、弁当も持っていけないほど貧乏だったので、昼休みは学校の図書室に逃げて本を読んでました。
その時読んだ本から人間の尊厳さを習ったと思います。
返信する
Unknown (T)
2017-03-05 05:35:08
「人はパンのみにて生きるにあらず」とはイエスキリストの言った言葉とされるけれど、
仏教でそれに対応する言葉はなんであろうか??

縁起の世界で生を受けているのだから一人一人には縁起の世界の中で果たすべき役割が与えられている・・・とでもいうべきか??
それが生きる根拠であり、人の義務であり善の根拠であるのかもしれない。
「課せられた生を生きると決める」の根拠が其処に在るのかもしれない。坐禅をする根拠も其処に在るのかもしれない。

「自己の実存の無根拠性」という言葉からはそういう根拠は出て来ない。坐禅する意味も根拠も出て来ない。
返信する
Unknown (T)
2017-03-05 03:34:48
「生きようとする力」はDNAの設計基準なのだろう。
では何がその力を挫(くじ)いたりするのだろうか??

マキャベリーは言う、
「人間は、恵まれていなければ悩み、恵まれていたらいたで退屈する。そしてこの性向からは同じ結果が生じるのだ」。
(注;同じ結果=心の病byT解釈。)

今回の記事には、負のエネルギーに自分の魂を売り渡さなかったレンさんが居る。故に心の病に至らなかった、と言う事なのだろうか?

人は常に自分の「生きようとする力」の源泉を確認する必要がある・・・・・
さもなくば恐山式「死・・・の・・・受・・・容」??
(注;恐山式「死の受容」定義を思い起こすと、
DNAの生命設計思想ともろにぶつかる気がする。
超高齢者向きな金言ではあるが・・・)
返信する
Unknown (T)
2017-03-04 16:52:49
DV被害者はPTSDとして自尊感情の喪失(DVを受けるのは自分が悪いからだと言う劣等感を背負う事)を経験する事は充分在り得る訳ですが、
DVを受けてもレンさんは(子供時代で既に)自分が正しく生きていると感じ得たが故に自尊感情がくじけなかった。
これはとても大切な事だったと思われますが、何故そのような気高さを保ち得たのでしょうか??

そしてこの体験がその後のレンさんをより強い人間としたと考えられるけど、その経験と例えば学校でのイジメとの比較を心理学的に分析するとどういう事になるのでしょうか??
返信する
Unknown (Eric Applebaum)
2017-03-04 04:23:50
Two thoughts.....

Your father knew near the time he died, that you would not know he had died. That was a price he had to pay for his terrible behavior.

Also, at some point it may be interesting to write about how you overcame and/or avoided any PTSD, and then taught others (including what you described at encounter group) how to address childhood traumas. You are a leader for others in this regard.
返信する

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