苦痛は過程であって、シグナルで、
誰にも必要とされない避けられない結果でもある。
Pain is a process, and can be a signal
and it is an inevitable result that nobody desires.
私は自分が体験している苦痛を、
自分がどう扱っているかを観察してきた。
I’ve been observing pains that
occurred on me and how I am treating it.
それは一種の我流の実験でもあった。
It was also a kind of self-experiment.
若かった頃は体の苦痛や精神の苦痛が
私の人生を支配していた。
When I was young,
both physical pain and mental pain dominated me.
苦痛は私の進路を変えて、
人間関係も変え、生活様式も変えた。
Pains changed my path and relationship with people,
even my lifestyle also changed.
その時は、体の苦痛は医者や医療手段だけが治せて、
心の苦痛は心理療法士が治してくれる性質だと思っていた。
In those days I thought that physical pain
only could be cured by doctors or medical procedures,
and the mental pain could be cured by psychotherapists.
苦痛を持っている私本人は耐えることしかできず、
それら苦痛が無くなるまで
待つことしかできないと思ってもいた。
I used to think that I had no choice
but endure the pain while it happens
I just must wait until it disappears.
それが、坐禅を始めてから、
自分の思考過程を観察することができるようになり、
自分の考えや行いについても外側から眺めるようになった。
However, since I started doing Zazen-meditation
I became able to witness from the outside,
the process of my own thinking path
such as my own thoughts and behaviors.
外側から自分の感じ方や考え方を視ると
判断力に選択性を持てるようになる。
Viewing things that my own feelings ways
and get to think from outside,
it led me to have to choose options
when I come to judge.
苦しむままか、苦しみを理解するか、
苦しみのシステムは考え方で変わるということを学んだ。
I learned that whether I stay suffering or try to understand it,
the system of suffering can be changed by how to think about it.
それら外側からの捉え方は、
精神的な苦しみがある時、
惨めな気分から私を救ってくれた。
Such external perceiving ways saved me
when I was stuck in a miserable feeling
that is caused by mental pains.
だが、体の苦痛はそのシステムの理解に有無に関係なく、
苦痛の原因が物理的に取り除かれない限り続くのである。
But the bodily pains will continue,
unless the cause of pain is removed physically
with surgical treatment
although understood it or knew how it works.
精神的な苦痛と肉体的な苦痛、
これら2つの要因の中に共通している変数は
『かかる時間』である。
The common variable factors
between mental pain and physical pain, is
*the time it takes*.
その変数である『かかる時間』は
瞬時に消えるのもあれば、
長い年月を要するのもある。
The variable factor of *the time it takes*
there are two kinds of them
one can disappear instantly
or taking a long period.
私が自分のケースで観察してきたのは、
その時間の変数の数値を
極力小さくできるかどうかなのであった。
What I have been observing so far is,
how can we minimize the * time* variable numbers.
苦痛=苦痛の強度✖取り除くまでかかる時間
だとするならば
If can put,
Pain=Pain intensity ✖ Time it takes till removed,
苦痛は両辺の数値が小さくなるにつれ値も小さくなる。
The pain variable factor decreases
as both sides of the numbers get smaller.
かかる時間は変数でもあるから、
外部条件によっても数値が変わる。
Because the *time* is the variable factor
so it changes depending on external conditions that occur.
問題はそれら両辺の
苦痛の強度とかかる時間の数値を
どう小さくするかである。
The main problem is how can minimize
both sides of the intensity of pain
and the required time until being solved.
私の実験例では、
両辺の数値を可能な限り小さくし、
それ以上小さくできない数値まで
していけるかどうかであった。
In my personal experimenting cases,
I tried to make the numerical values on both sides
as smaller as possible
until they cannot be minimized any further.
両辺の数値を小さくできれば、
それらを意識からから外す作業をする。
If you can minimize both numerical factors,
start to work unfastened from your conscious level.
苦痛の度合いや取り除くまでかかる時間も
感心の焦点を外し始める。
Also, an unfastened focus on concerns,
both the intensity of the pain
and the time it takes to be removed.
実際進行している苦痛の過程も手から外す、
つまり意識から外していくのである。
The actual going on pains too
try to let it go from hands,
means let them go from consciousness.
それら外す作業ができれば、
他の関心事に焦点を移す。
If the untangled working is available,
shift your focus to another fascinating thing.
苦痛が耐えられないほど強い時は、
それらをできる限り面白く経験するようにする。
When the pain becomes unbearable,
try to make it a pleasant experience as possible.
それら苦痛を経験することによって
得られる他人からの同情を切る。
Cut off the sympathy from others
gained by your suffering.
他人からの要らない同情も
切っていくのである。
Cutting off useless sympathies from others.
苦痛があることで自らができないことに対し、
言い訳する工程も切っていく。
Also, cut off making excuses for
what you are unable to be done due to suffering.
そうしていく過程は簡単でないが、
時間を効率的に使うことに繋がる。
The processing is not easy for us
but it can lead to using time efficiently.
しかも、苦痛の束縛を
自らの意思でコントロールできるようになる。
Moreover, you will be able to control
the chain of pains with your own willpower.
最近の貴女のブログを読むと袋小路に入り込んだような感じがします。
「百尺竿頭と自未得度先度他」の言葉を贈ります。
つまり存在することは苦である
自分の存在が自分と関わる他人にも苦をもたらし、他人の存在が自分にも苦をもたらす。
関係が良好であろうと悪かろうと、常態化すればするほど苦は増大する。
袋小路、四面楚歌なこの頃です。
年始まりから4月まで
もう最悪
分かってもらって嬉しいやら悲しいやら
苦痛もううんざりです。
バレエ全くいけませんし。
Herniated disc の痛みは
人それぞれ違うでしょうね。
私の場合は、鎮痛剤が効かないほどでした。
今回のインジェクションが効かなければ
もう手術です。
バレエのレッスン、舞台
ポワントレッスン
全部飛んでしまいました。
苦痛の無い日、無いです。
ただ、苦痛という結果を生じた原因は全て自分にあるっことは確信できます。
光と影のように、楽しみの後に哀しみが来る。
快楽と苦痛は表裏一体、プラスマイナスゼロと思えば腹も立ちません。
気楽に生きていきたいですね。
まさに、プラスとマイナスですね。
閑斉さまもヘルニアで苦労中ですよね。
まー完全回復は無理かなと思えてきますね。
私は5月3週目に手術専門医に相談できます。
それが一番早い予約なので、
インジェクション効かなくても
我慢するしかないです。
お互い頑張ってますね。
私は苦痛と苦悩を分けて考えます。
苦痛は身体のシグナル
苦悩は心のシグナル
どちらも正常な状態が異常に向かっているよというお知らせ。
分かっていることは、苦痛は避けがたいが、苦悩は避けることが出来るということ。
苦痛は身体を治さなければ、あるいは過度の負荷を解消しなければなくならないので、心は関われないということです。気力で治すのはあるかもしれませんが、私の場合それは苦痛との付き合い方に含めています。
苦悩は心で自由に治す可能性があります。文脈で桂蓮さんがおっしゃっている通りですね。
もし閉塞感があるのなら、私だったら苦痛にひっついている苦悩を取り除く作業をします。
純粋な苦痛を知るためにです。
苦悩と苦痛を比較すると
また別の内容を剪定作業をしなきゃ、でしたので
切り捨てたのです。
剪定して、落とされた他のその他は
落としたところに放置したのです。
その作業を、見えないのに
視てくださって、なるほどーと思いました。
逆に言えば、私が言っていることも
背景、明暗ができてきた、とのことでしょう。
進歩、ですかね。