死者と交流できる場所として
知られている霊場恐山
Known as a sacred mountain which is called Osorezan
The place where can interact with deceased
日本青森県むつ市にある菩提寺に行ってきた
I visited Bodaiji in Mutsu City, Aomori Prefecture in Japan
去年の8月に恐山に行くべきである妙な気がしてから
Since I felt something odd that I should go to the Osorezan last August
実行するのに1年がかかった
And it took one year to execute
恐山に泊まった3泊4日の間
During 4days and 3nights staying at Osorezan
何故に私が恐山に行くべきだという気になってたか
その疑問の答えを見つけた
I found the answers for the questions
-why have I felt that should go there
菩提寺院代の南直哉師は
Minami Jikisai who is Deputy of Bodaiji
『縁起は既に存在している
人間のかかわりによってそれが明らかになる』と言った
Said that 『Foretoken already exists
-and it becomes clear by human relevancy』
そのことを今回の21日間の日本滞在で検証できた
I could verify what he said during this 21 days staying in Japan
全ては決まっていたのだ
Everything was decided
だが、その縁起の流動に入るか入れないかは
However, whether can get inside to the dynamic fluency of Foretoken or not
縁起が発する声を聞けるか聞けないかによる
-depending on how can listen to the voice which emitted by foretoken
その縁起が発する声は
The emitted voice of foretoken
人間が使用する言語を持っていないため
感覚を極限まで澄ましていないと
聞くことはできない
Human can’t listen its voice unless make sensors extremely clear
because of it does not have a language which humankind using
人類が使う言語は
The language which humankind using
気候や風土による地域性に影響されるのだが
It is influenced by regional factors
-such as natural features and specific climate
人間の人為的な力では動かすことのできない縁起は
The foretoken that cannot be moved by humankind’s artificial energy
縁起自体が持つ慣性法則を持っているかも知れない
Maybe foretoken owns its own Inertia law
この21日間の日本滞在日程で
In this 21 days schedule staying in Japan
私は坐禅が切っ掛けで知り合った人々に直接会ってきた
I have met with people face to face who became to know
-through Zazen related and motivated with it
縁起の声を人間のことばで通訳したかったからだ
I met them because I wanted to interpret the foretoken voice
-into human languages
しかし、通訳できたとしても
But even if I can interpreter it
それが正しいかを検証する判断基準は存在しないので
-since there is no criterion for verifying whether it is accurate or not
正誤の尺度は使えない
-so, can’t be used measurement which true or false
南師が言うように縁起は既に存在しているならば
Like Minami says if there existed foretoken already
確かめることにより明かすことはできる
It can be revealed by confirmation
その縁起とは
The foretoken means
ある特定の瞬間に
At a specific moment
ある特定の人と
With a specific person
確固たる因果で
With a solid cause and effect
何故に
Why
その瞬間に
At that moment
その人と
With that person
ある言語を使い
By using a language
あることを話すのかが
Talking about a thing which
明らかになる―その力動のことであろう
Can get clear-it will be the energy force
特定のブログ主(=私)を取り上げて
書くのはちょっと、と笑顔で愉快な口調で
言ってくれました。
私も、それはちょっと、と答えてかなり笑えました。
ブログの話題で結構愉快な会話を持てて
私が疑問に思ってたことを直接聞いたら
全ての問いに
全て答えてくれました。
でも私の心の底では
私が塾をやってた時
似たような話し方をしていたので
聞いてた人がどう聞いていたか
少し分かったような気がしました。
かまわないと題名をつけた理由は
宗教を取り除く坐禅でもいいーとの
意味を伝えているのかもとは
思いましたけどね。
Kさん以外にも、(論理整合性上矛盾的な)問題の核心を抽出できる人がいた訳ですね。。。女性ならではの率直さの疑惑追求と言う感じだから、Kさんがその場にいれば疑惑二重奏の演奏会になったとか???
「でも、かまわない」・・・>
なぜなら、嘘も方便と言う事で、
、それによって、なんとか【ブッダの命脈】が保てるから・・・
が、黒●ちゃんのハラ●な待機説法(=方便で逃げる巧妙な変化球)とTは納得したわけでした。
黒●ちゃんは、自分の命をこの世に留めたのは、釈迦と言うロールモデルが存在したからだ・・・という意識があるから、
教義は二の次で、兎に角、寺に人が集まって、釈迦の面影(=命脈)に触れて呉れさえすればそれでよい・・・、
細かい狭義の論争なんかへでもない!!
そんな感じの「でも、かまわない」という僧侶の「居直り」(=生き残り戦略)とTは受け取ったモノでした。
(人間は矛盾の塊だ・・・そして僧侶も人間だ・・・でも、かまわない!!)
例の山での『「あなた・・・」はKさんの事を指している』ことについての私の見方
そうだとは思ってもいなかったので
何回か、その可能性があるかもとー前提して
読み直しましたが、
やはり、その対象はKではなく
特定の人だと思われます。
その話題になった日は
私が25分遅れてしまい
(その日の朝、12時に寝て3時半に起きたので7時半から10分寝るつもりが40分間になって8時開始に間に合わなかった)
話が25分間進んでいました。
25分間遅れて話を聞いたら
ある女性の問いに答えていたので
(その女性は前日にも質問のポイントが的を得ていました)
おそらく、その記事は
その女性の問いに文章で答えをまとめるような感じだと推測しています。
例の山さんにとっては
私は数字の中の一人にすぎず
特別扱いなど無く
ただ、私の意志は最大限尊重する立場であるだろうと思います。
特別扱いについても
私はそれ自体望んでもいないため
それで、構わないーので
それで結構だと思っています。
強いて言えば
私は『特別意識』について
かなり疑って取り組む方ですからね。
2017-09-05 01:29:42の分については
私の解釈範囲が狭いこともあり
私自身の経験に限る認識になる限界性もあり
それらを踏まえて理解する必要もありて
考え直してから
見解を示す必要があると思われますので
後ほど出直します。
私が考えられない範囲外のことを
コメントして頂き感謝します。
クリシュナムルティが言ったようですが、
私の考えや視点も
他人には観察される対象になるから
視点が多くなり
変化への可能性が広がる分
開放的になるでしょうね。
それがTからの
肯定のための否定になり
そらさんの
憐れな傲慢に見えても
私のありようが
そうなっていることの
鏡化になるとの意味合いになった分
視覚を広げられるから
私には肯定できます。
主観は自分が認識する立場においてのみ成立するものであり、主観とは認識それ自体のことである。
主観による認識を認識することは自己としてあり得ない。認識したものは全て客観である。
すなわち、全てを認識するが何人からも認識できないものが主観である。
自分では決して自分の認識を認識できないということは、すなわち根拠が欠けていることに他ならず、認識自体が成立していないことを意味する。
主客による経験の世界を疑いうるものとして、根拠も認識も適用しないようにした後に、始めてそのことに気付くような認識とは、「それでも、かまわない」という疑い得ない自分自身のことである。
もはや他者に示す意味さえ無い。
一分で魂同士の交信をするのか、1秒で魂同士の交信が可能なのかは興味のある命題だ。
突然変異体ではない一般的女性が二時間かけてグダグダしゃべくり合う特性は
「共感性」が自分の心をじんわりと癒すからであって、
内容的には1分で済んでしまう事なのだけど、
1分で共感性の充足が出来るかどうかは大いに疑問がある。
1秒で済む言語とは、
力関係の力学で、
力がある強者が、
弱者に向かって「ダメだ!!」と否定恫喝する時に、
或いは「ヨシ!!」と承認を与える上下関係に於いて成立する言語であろう。
それでは弱者の心は晴れない。無条件の条件にはならない。共感性は成立しない。
傲慢な心は
悲しい心
人を見下し
軽んじ揶揄する心は
憐れさもしい心なり
彼の行動原理の正当性の主張だと理解しています。
現在自分が背負っている職業上の業務は必ずしも自分の思想とは合致しないが・・・、
一見、思想と行動の間に自己撞着がある様にも見えるが・・・
自分の思想より、
他者が求めている方式に応ずるという事ことが、
人間集団の中に在って「ブッダの命脈」を保つ手段となって居るので・・・・
強引に自己主張を表に出して突っぱねるのではなく・・・、
力関係の力学で他者を押し臥せるのではなく・・・、
他者の価値観を先に立てる(=尊重する)。
だから「でも、かまわない」と言う変化球投げの形が出て来た。
それに対して「気にしない」・・・は、
相手を全然気にしない強気(=自己中)の現れ(KYの極地)で、
相手の価値観を無視する事を指す感じがある。
だから「気にしない」は、
「でも、かまわない」という表現とは全然ニュアンスが違う・・・がTの解釈となります。
これは、Kさんが帰米時の自分の立ち位置表明において、
「でも、仏教の信仰は持たない様にしたいです・・・信仰から自由に成りたいですから・・・」(Kさんの8-30, 9:53:05のコメ)と言う一方で、
アメリカで(マインドフルネス坐禅で無くて)曹洞宗の道元禅を広めたい、その一環として黒●ちゃんの、我流仏教論を翻訳したい・・・という、
一見、自己撞着的に見える行動との間をつなぐ言葉が
・・・「でも、かまわない」という表現法が最適に見えてくる・・・という事にもなりますね。
まあTの観察ですが、Tの誤解かもしれません。
私は1秒で済ます方ですかね。
2時間かける説明には
いらいらしてくるから
そのような時間暇があるなら
説明法を分類して
説明する人の性格診断をした方が
面白くなるでしょうね。
大体、説明する人の説明は
聞いても聞かなくても
何も変わり様のないくだらないことが
多いと私は思っています。
2時間かかることを
2分で説明できる人の話は
まさに頭脳派だとは思いますけどね。
さすが、間接的に関連付けながら
答えを応用していく
問答え法はT式間接経路ですね。
構わないのと気にしないのでは
どんな『構う』ことの差があるでしょう?
世は7度の大変わりというのは
1週間の変化のことでしょうか?
7回目の終了というのは
土浦での参加者の一人であるーとのことでしょうかね?
世は、七度の大変りと知らしてあらう。(黄金の巻 第26帖)
世はグルグルと七変り、改心の為 世界の民皆、今度は引上げ一旦みなあるぞ。(黄金の巻 第71帖)
★(追記)
上記以外にも、シリウスファイルのオコットのメッセージ、ヒトラーの予言、エズラ黙示録、ヨハネの黙示録(外典)、マザーシプトンの予言、ビリーマイヤーの予言、その他の予言などにも類似性や関連性が認められます。
どう思われますか。
これからの翻訳の仕事頑張ってください。
エイリアン妻と宇宙人夫って相性がいいって事になるのかもね・・・おめでとうござます!!
オンナ型突然変異族に属する例として、
脳科学者の中野信子さんなんかは典型的な例のようだ。
彼女は学生時代からズッと、学生連中からは只一人浮き上がっており、35歳までは友達が一人もいなかった。
自分が何か変じゃないのかと思い、
脳科学でも研究したら自分の変さの理由が解明できるのではと思って脳科学研究者になったと言っている。
35歳までは生きているのが苦しいと思ったが、
36歳で宇宙人みたいな夫と結婚した事に依って
ドバッとセロトニンがほとばしる様になって、
みずからドヒャッと驚いたと言っている。
mmm、力関係で成り立っている、宇宙人っぽい、いいひといいさんはセロトニン分泌促進機、兼、セロトニンガス製造器なのかも・・・
平均的女性像では、
男は目的が無いと行動出来ないのに対し、
女は無目的の行動(ブラブラ行動)の方が楽しいと感じるのだそうだ。
1分で済む話を女同士では2時間かけて喋りまくる・・・それが楽しくてしょうがない!!
Kさんはいささか突然変異少数派👩さんらしい・・・
は正解では無いと思う(=気負い過ぎ)。
「でも、かまわない」と処世する事が正解と言えそうだ。
少欲知足で無執着領域にみずからを型入れして行く・・・人は宇宙の主人公ではないのだから、おすそ分け的な最小限で事は収まってしまう・・・
左様に脳が自らを洗脳する事は簡単だ。
さすれば、
燃え尽き症候群や不完全燃焼とかは、
脳内意識内の視点をずらす事により幾らでも解決出来る。
目標とか目的とかは脳内に響き渡る幻想交響曲
であるのだ、・・・生命体は生命をまっとうすれば充分なわけだから・・・
真相は、落ち込む自分と、落ち込んではいけないと思う自分の心の葛藤が、強度のストレスを起こして、
ある時、パタッと全てが嫌に成って仕舞う!!という現象のようだ。
「でも、かまわない」と両方の自分を受容出来れば
燃え尽き症候群にはならない様だ。
「でもかまわない」・・・とは結構要領の良い処世術だ。オーソレ見たやまで優雅に生き延びる処世術・・・グランビーでもいかが??
「でも、かまわない!!」という事で在るなら、
全てがThe「かまわない!!」ということで、
「全ての否定でもかまわない」「すべての肯定でもかまわない」・・・、
「目標があっても構わない」「目標が無くても構わない」・・・
「死後の世界(=魂)が有っても構わない」「死後の世界(魂)が無くてもかまわない」・・・
つまり、
「~~、~~でもかまわない」と言う事で・・・
「~~で無ければならない」とか「白か黒かでなければならない」とかなんていうのとは対極の思考法で、
「~~で無ければならない」なんて断定は、
単なる幻想だ!!・・・と言っている訳だ。。。
人の脳のサンスカーラ(錯覚)が生み出した架空のもの(仮想現実)だ。
宇宙そのものの姿ではないだろう。
人は【混沌の世界】を自ら創り上げ、自ら迷う。
自己陶酔に浸かる世界
自己陶酔で遣っていくしかない世界
真理が此処にあると仮設するしかない世界!!
(注;この世に真理が無いならば、ルーティーンは無意味で無根拠だ。
しかし、どんなに無意味【でも、かまわない】の世界でしか人は生きられぬ・・・)
ルーティーンに依って、
自分を型にはめ、自分を縛り、行動を規制し、思考を統一して・・・
そう!!、敢えて自分をロボットの如く動かす事に依り、
迷える子羊の世界から抜け出す。
・・・人には【自由】は耐えられない!!
これが唯一の、
全ては錯覚(=サンスカーラ)から出来ているこの世に於いて、
人間が勝手に錯覚(サンスカーラ)から作り上げて来た混沌の世の中において・・・、
唯一の「一筋の光」を見出す方法だ。
丁度宇宙は闇(漆黒、無)で、mass(実体、行動)に光が反射した時のみ【色】が現成する様に・・・
【空(くう)】には光が無く漆黒で
massが【色(いろ)】を作る!!
力関係の力学でしょうかね。
目標が無いと
目的地無しで車を運転する気分になるーからです。
目的地無しで
ただ運転してた時期がありましたが、
長続きしなかったです。
また、無駄にCO2を作り出している罪意識があったので
目的地無しでは車を運転すべからず、と教訓じみた結論に達しました。
私にとって目標は
生きる理由にもなるし
一日を生産的に送る農業みたいなものかもです。
しかし
Tは目標とか目的とか
全てやり遂げたでしょうから
脚纏になるだけ、でしょうね?
貧乏人の暇なしーも
せっせとやるべきをこなす課題があるから
そんなに大変な作業でもないと思っています。
人の置かれている状況によっては
可能だと思います。
大学の時
箱庭療法というセラピーの一種を習う授業がありました。
砂が積もれてある箱に
自分が置きたいものを置いてみるーその後
先生から解釈をしてもらい
クラスメートからの感じも聞けるものでした。
先生は私が作る全てに
『怖い』
クラスメートも
『怖い』と言いていましたね。
その時は
何故に怖く感じさせたのか
全く知らなかったのでしたが
移住の前に引っ越し準備をしていたら
その時の写真と
作品が出てきて
何十年ぶりに診たら
やはり『怖い』感じがしました。
でも、その行為によって
当時は癒された感じはしてました。
療法でしたかね。
グランビーで、
今迄しょい込んで来た荷を降ろして行くと言っても、
結局の処、無目的のぶらぶら歩きが楽しいと思う様な性格ではなくて、
常に目標を作ってそれに邁進しなければ気が済まない(=自分をゆるせない)という貧乏性の性格と言う事ですかね・・・
何かをこの世に生み出す人と言うのはそう言うモノなのでしょうね。。。
やるしかしょうがないかも・・・ですかね???
(一応、応援はしてますが・・・)
『なぜ妻は、夫の遣ることなす事が気にくわないのか』(*夫婦関係はそもそも間違いだ…発想を180度転換せよ)(石蔵文信著)。
エイリアン妻と暮らす戦略!!(by武田鉄矢)
即ち、
心を変えるより、行動を変える事の方が手っ取りし、そうする事によって実際の言動も変わると言う考え方で・・・
行動が変わると心もそれに沿って変わって来ると期待できる・・・という事の様だ。
黒●ちゃんの「でも、かまわない」の趣旨そのものの様でもあり、Kさんの行動(=ニッポン紀行)のそれなりの成果があったという事でもある訳だ。。。
注;
行動第一、心がその後に付随する・・・は、
只管打坐の行動が、脳内変性意識(=心)を変えると言う事でもあろうか??
自分の価値観の方へ他者を強引に引きずり込まなければいけないと思う必要もないし(=自分の正義を他者に押し付ける強迫観念は自他を滅ぼす…人気が出る必要は無い)、
理解していないけど人気のある価値観へと自分を変えなければいけないと言う事も無い(=迎合主義では無我になれない、コップの水を満たせない)。
承認させたい、承認されたい…は、厄介な自我の発露だ。承認欲求は時として人の足かせになる。
自立自尊で生きれる道があればその道を歩めばいいだけの話であり、
なにか自分自身でも納得出来なければ、自分で方向転換できる道を捜せばいい訳だし、
探しても思うように見つからなければ、脳の意識変革で済ますという逃げ道もある訳だし・・・、
人生行路は絶対的唯一無二の道で舗装されてる訳ではない様だ(=思い込みによる自己呪縛を解き放て!!)。
「あれがダメなら此れがある」という柔軟な、
人生に幅を持たせて生き切るのが成熟したオトナの対応という事に成るのかも。。。たぶん??(=無執着)。
しかし他方に於いて、
全てには「時」(=事を成すべき時期)があり、
それはその時点時点での各人が保有する「生命エネルギー」が自動操縦して現成出現するが如くに思える(=相依性縁起=時の勢い=「おのずからの」執着が成せる業)
結論;
力んで生きるか、力を抜いて生きるかは時のなせる業・・・時が軍師で人は兵卒!!
今回の日本滞在は私の生き方の方向変換の折り目になりました。
考えてみたら
私が変化するために
その根拠を必要としていたかも知れません。
人間関係は持とうとして持てるものではないでしょうから
それ自体が導く方に
足を運ぶことにより
辿り着くべきところに
誘ってくれると思うようになりました。
自分が投げたボールは
自分が拾う。
投げぱなしにしないことの
こと大事さを学んだと思います。
今日は寒い土曜になりそうですね。
昨日は起きていたのに
また眠気がきたので
眠るだけ眠れました。
時間を気にしながら寝てましたが
こんなに寝れるとは思わなかったので
ひょっとしたら
体がリセットされたのかもと思いました。
今回の記事はあまり人気が無いので
アクセスが激減しています。
まあ~人に媚びてもの書いても
後味悪いだけなので
書きたいことを書いて
自己満足していれば
マシなのかもしれませんが
それもそれで
良い感じにはなりませんね。
一度横において手を空にして、一つ一つ片付けて行って下さい^ね^
日本は9月に入って、急に秋めいてきました。朝晩には長そでが欲しくなります。稲穂が色づいてきましたよ。
縁起は草木こそ雄弁に語ってくれているのかもしれませんね。
I also ate popcorn.
帰ってきてから
時間が凄く気になって
読まなくてはならない本が積もっているのに
は~あ~とため息が出ますね。
速読法をマスターしておけば良かったと今になって後悔しています。
とにのかく、これから13冊完読を目指して一日一日を大切にしていこうと思います。
Eは3週間前に買っておいた野菜は
いっこも食べず
全部真っ黒になっていました。
冷凍の肉とライスだけ炊いて食べたようです。
地下室の段ボール箱だけは
指示とおり片付けていましたね。
頑張って床も掃除したと主張しているのですが、
全体的にごちゃごちゃして見えるから
空振りであるのは確か
家具にはほこりが積もって
真っ白に輝いているし
冷蔵庫の中は
3週間前と全く同じものがまだ残っているし
もう今日から掃除三昧になるようです。
でもまた眠くなってしまったので
少し休んでからにします。
過去のコメントを少しずつ読み直しています。
道元禅師は中国に「学び」に行ったのではない。
自分の思想体系は既に持っていたが、
無師独悟であったのでその正当性を確認できなかった。それでこの世に存在する筈の(他の世界の識者の)思考法と比較するべく中国に渡った・・・とか何とか。
Kさんの今回の日本はこんな感じかな~と思って居ました。
ちょうど〇山んちに報告などの連絡し終えたところです。
今は金曜の午前12時前ですが、
ここはすっかり秋本格ですね。
Tから頂いた本の一冊を
日本滞在中ずっと持参していました。
(正法〇〇を読む)
また、宿坊のデスクで働いている方から
新刊1冊を頂き
紀伊国屋で2冊購入したから
合計8冊持っています。
インターネットで5冊注文したので
それらが発送されれば13冊になりますかね。
心は後から付いてくる
それ「でも、かまわない!!」
「振り」だけでも繰り返せば、
嘘も繰り返せば、やがてそれが真実になる
直ぐにかたずけの事に気がいくなんて、さすがです。
気のエネルギーがムンムンあふれ蛙(帰る)は、さすがさすが・・・。
やっぱりまだ50早々神社った
おおきく成長したとは、
さすがさすがさすが・・・
Tからみたら垂涎寺キヨコ
インデアンサマーはまだまだ続く
昨夜10頃、家に着きました。
21日間、急激に成長したからか
家が小さく感じてきました。
こんなに小さい家をそんなにでっかく感じていたんだと思えて驚いたのです。
まだ、荷物の整理が終わっていないので
今日に掛けて片付けていこうと思っています。
まだ、コメントを精読できるまともな時間が持てないので
今夜、整理整頓が終わったら
じっくり読んでいきます。
先ずはついたとの報告だけに急ぎで書いておきます。
最後の踏ん張り中・・・
疲労蓄積度偏差値マッハG7.
でもほんと頑張り度偏差値80超えでした(◎²)。
まあこれから魂の住所への御帰還、
そして新たな門出・・・
グランビー・ザ・アメリカが待っている・・・
充分ご養生下さい・・・
注;ご老体は無理が禁物、へへへ!!
さらに、『歎異抄』の学習会まで参加していただき、嬉しかったです。
「縁起」
二人で二回もお会いでき、くりのみ会で『正法眼蔵』の音読・坐禅を体験してもらい、「歎異抄」学習会にも参加いただき、まさに「縁起」を生きた時間だったと思います。
道元さんは、「有時」の卷を示されています。
仏教でなくて、仏道をお互いに大事にしていきましょう。
次の出会いを楽しみにしています。
合掌
21日間の日程をクリアして今日の6時の便に乗ってボストンに向かいます。
信仰、私には縁が無いようで仏教の教えで導かれたからどっかに縁があるでしょうね。
ですが、信仰は持たないようにしたいです。
信仰から自由になりたいですから。
これからチェックアウト準備をするので
細かいことは帰国してからにします。
私がブログ管理できない状況に
このブログを見守って頂きまして
誠にありがとうございます。
あんな切迫した状況で
Tからの潔い応援を読み
心の掛け替えのない支えになりました。
私が自分に正直にいられたのも
Tからの肯定的な認めがあったから
可能になったと思います。
私が砕けたものが何か
何を開拓したのか
何を繋げたのか
今ははっきり分かりませんが
いずれ、今のしたことが
結果になった時
その何かが
明らかになっていくと思います。
今回は
浮き上がったことを
明らかにしたーこれに尽きます。
私は恩師がいて
尊敬する師匠がいて
これが正に幸せーそのものでしょうね。
信仰者特有の真剣な目・・・確信そして気迫!!
自分の心に
最早動かない固く依るべき
或る不動の信念が芽生えた
と言う事で在るなら
それは『信仰』を得たと言う事なのでしょうけど??
しばらく休題!!
自分が始めた以上自分で始末せねばならん!!
とか、そんな大それた「みずから」の身の処し方に強迫観念を持ち過ぎると自滅するかも・・・
もっと気楽に「おのずから」の事の成就、時の成就を「おのずから的縁起」に任せてしまうという水平思考も成り立つようだ。
「最後の最後」は色々な形がある様だ(あれがダメなら此れがある・・・)。
重い使命感は時には役に立ち、時には役立たずだ。
踏み出す一歩が重ければ、軽やかに踏み出して重荷を減ずればよい・・・
気負い込み過ぎに心を砕く時代は過ぎた・・・
疲れが一気にきたので、もうこれ以上コメントをする気力が残ってないです。
帰国してから
今までできなかった分を解決していきます。
あると思えば在るし、無いと思えばない・・・
なぜなら両者とも人と人の交わりから出来上がった概念だからだ。
時間=時と時の間
縁起=人と人を繋いで(=縁して)起きる。
即ち人がいない世界では両者は存在し無い
「縁起の演技だ!!」
縁起は人がかかわる事に酔って(由って)沸き起こる波の波紋の如しだ。
意志「みずから君」が池に石を投げ込まない限り・・・
嵐を呼ぶヤカラがいない限り・・・
縁起が「おのずから」動く事はない。
縁起は誰かが「みずから」動く事に故ってしか出来上がって来ない。
出来上がったひとつの波の波紋と他の波の波紋が出合い、新しい干渉縞を創りあげていく・・・Newly made dynamics・・・だ。
縁起性善説は成り立たない。
縁起生前説も成り立たない。
縁起の風はKさんの「みずから」が巻き起こした心の現成だからだ・・・
生命体が「そうしたい」という意志から生じたものだからだ。
依って縁起はKさんの創作物だ(=昔から定められていた訳ではない)。
縁起は主人公ではない。あなた自身が主人公だ。
が、しかし、人はこの世の主人公ではない。
縁起とは、
自然現象・天変地異・森羅万象の中に適応するために人間が思い付いた現象理解の方便だ。
人が縁起として演技しているに過ぎない・・・
注;もっとも縁起様様だと思って居た方が気持ちはラクだ・・・自分の行動倫理(原理)を根拠付けて規定出来、自分へ掛かって来る重圧を思い切れるから・・・・
For instance, ancient thinkers conceived of an "atom" and developed the first raw theories for really small things that made the material world. Of course, they didn't have a theory of the electron and nucleus back then - those came 5000 years later in the 20th Century.
Our description of the atom in the 21st century is still a theory. It is not complete. But that doesn't mean progress hasn't been made. We can build televisions and atomic clocks which wouldn't be possible without the theories.
We are still not sure of the dynamics of all the forces employed to make an atom. Indeed, only in the last few years have we found any evidence for the field which is Believed to give atoms Mass.
So, at any given time we interpret the information we have, and it can be a very good model of the phenomenon under scrutiny, even if that theory remains incomplete.
There are theories very likely to be "correct" in the sense they are on the right track, and theories almost certainly not correct. A good testable theory for the formation of the moon suggests it came from a chunk of the earth. There is another theory, told in children's stories, that the moon is made of cheese, which is a cute theory but not likely on the right track.
(Can one grow a lotus tree on the Moon? Well, who knows???...latest studies do suggest there is water in some of the craters!!!!)
In all levels of reality, perhaps the following is true: An interpretation, description or communication can be correct AND incomplete.
This allows for Development, which is not absolute. Good theories keep getting better and more accurate......a bit like a force that grows in strength as we near its source.
Everything that we might have a theory to interpret and describe it, existed before our theory.
And some theories describe things which have never been seen nor heard nor touched; and which may or may not exist.
It works both ways, which seems like a fair exchange.
今回は書くのに時間がかかった。
何度も書き直して
もう面倒になって
諦めかけた時
『縁起』という言葉を掴んだ。
書きたいのが多すぎたからか
想いが複雑すぎるからか
自分のスタイルが確立されたからか
何にしろ
結果的には
言いたいことに文字が追いつかない感じだ。
追いつかなくても
自分が始めた以上
自分で始末しなければならない。
自分が決めて
人を巻き込んだ以上
最後の最後を見せなければならない。
覚悟はどんなに弱いことばだろう。
覚悟は頼り気の無いことばだ
ただ
使命を作ってしまった以上
それを全うするーその気合を書いてみたかったのだが
部分の部分をちらつかせただけになってしまった。
全体は部分の存在無しでは
ありえることはできない。
分かってはいても
それらの部分が多すぎて
踏み出す一歩が重くなる。