色彩は光の行為である
Color is an act of light
行為であり、受苦である
It is an act and it is a passion
上記はゲーテの『色彩論』の前書き引用である
Above is preface quote of Goethe’s “Color Theory”
色彩論では In Color Theory
色彩は光の行為として捉えられ
Colors are regarded as acts of light
生けるものとし
As a living thing
語りかける自然であり
It is a nature that speak to us
語りかけるものと
What it says and
語りかけられるものがあって成り立つという
What can be said, must be there generated by collaboration
また、ゲーテは
Also, Goethe wrote
『色』の存在は
The existence of “Color”
光と闇の境界線にあり
It is on boundary line between brightness and darkness
プリズムを通して光を見ても
Even when see the light through prism
色は現れなく
The color doesn’t appear
光と闇の境界の部分にだけ
あざやかに色が並ぶことも発見したようだ
He discovered that color can be lined up vividly
-only at boundary point of light and darkness
ゲーテの色彩に関する理論は
Goethe’s theory about Color
ニュートンの光学での
In Newton’s Opticks of
光りは屈折率の違いによって
light depends on refractive index
七つの色光に分解され
-it is decomposed into seven color lights
その色光が感覚中枢の中での感覚になり
-those color lights become a sensor in sensory center
闇は単なる光の欠如にすぎない
-and darkness is merely a lack of light
屈折率の数量的な性質に限定する立場から
From the point which limiting to quantitative
-the nature of refractive index
ゲーテの光と闇の両極性と対立している
-his theory opposed with Goethe’s both polarities
-of light and darkness
ゲーテの色彩論は
Goethe’s Color Theory is
坐禅の禅定の状態、つまり
The state of Zen-meditation stages, in brief
心が動揺するすることがなくなった
一定の状態を保てる定力に似ている
It is similar with a Zen-force which constantly can be hold
-with no mental disturbances
禅定では物質的な領域を
The material domain in Zen-stages
四色定といい4段階に分類している
-it is called Four-color-stage
-and classified into fore stages
その色界の有色の次は無色界であり
The next stage of with color is colorless field
触覚、視覚、物質的な構成要因から
完全に離れる状態で
In which sensory of Tactile, visual
-they be away completely
-from the martial constituent factors
無限の空の領域
The domain of infinite nothingness
無限の識の領域
The domain of infinite knowingness
有るところが無い領域
The domain of none to be
想が非ず、非想にも非ずの領域
The domain of Idea not none, as well as Non-idea not none
4段階に分類される
They are classified four stages
これら禅定の有無色の段階は
These stages of with color or without
ゲーテの光と闇の定義に類似することが多くある
It has much similarities to Goethe’s definition of light and darkness
光りを分析してゆけば
By analyze light
色彩がわかるように
-as getting understand what is color
感覚器官から離れ
Be apart from sensory organs
感覚器官の働きが止め
Make stop sensory functions
感覚としての喜びを捨て
Discard joy as a sensor
楽な状態を止めることにより
By stopping comfort zone
苦もなく楽も無い状態が得られる
Can get a zone which is not a suffer or comfort
禅の色彩は
Hue of Zen is
ゲーテの言う、光の行為
An act, spoken by Goethe
つまり、禅での行為である
In other words, it is an act in Zen
前回の記事『心の時間』は
アクセスを増やし
コメントも増やし
アインシュタインの相対性について
再検討させてもらった機会になった。
予想外の出来事であったから
他人事のようで
人気ブログって
こんなものかっと
そんな大した有頂天でもないってことも
実感できた。
こんなに
がっかりするというか
疲れるだけというか
これらを分かっていたら
ブログを始めた頃の
アクセス中毒は持たなかったかも知れない。
だから今回の記事は
人々の関心に媚びることなく
書きたいことを
きちんとWikipediaから検索して読み
関連サイトもきちんと読み
ブログらしいブログを書いた。
今までは適当に
思ったままに、気の向くままに
誤字脱字も見直さないで書いていた。
今になって考えると
何と無責任なやりぱなしなのか
恥ずかしく感じてくる。
この一連のアクセス騒ぎで
自分の横着ぶりに気が付き
それらを反省し
これからは
書くべきことを書くと心に刻んだ。
人間の成長の記録という面では
甘んじられるが
人間の情報発信という面では
TやEから見習って
原点から学ばなければならないと
胸に刻んでもいる。
T式時間
『宇宙の中の
一分子として
同化
共鳴
調和して
生きとし
生けるを
楽しむ』
ちょうど今回の記事を先見して
書いたような
統察に富んた一種の悟りのようですね。
記事を書く前にTのこのコメを
しっかり読んでたら
結論の導き方が少し違っていたかも知れません。
涙が出るくらい私も共調しました。はい!
地球人の時間の定義の限界性から観ると
光速不変の法則は
明らかにつじつまが合わないですね。
工学的で実利、実用な側面からは
Tの見解に賛成します。
ですが、10代の頃
アインシュタインの宇宙論で
生き地獄から
拾われた経験から観ると
彼なりにパソコン検索無しで
時間を解明しようとした人間の偉大さに
尊敬と畏敬の念が
更に確実になりました。
しかし
Tによる時間の説明が無かったら
私は相対性の測定不可能な公式に
つぶされていたかも知れません。
科学は証明で成り立っている分
次の証明の挑戦を受けざるを得ない
宿命があるのですね。
Both E's came to my blog to appear existence.
To let me know that
he still lives in us earth
he not yet died in us human minds
Those are all the matter for me.
Those are all my matter to live.
I wish at moon,
my age still in 40's...
And I desire
T never die for earth aging
and
he keep write for my blog forever...
Also I hope
E never gets age in our earth....
凡そ競争社会においての指導者となる立場の女性は勝ち抜き合戦でストレス過大となりオトコホルモン(=競争ホルモン)のテストステロン値がとても高い事が知られている。論敵に勝たないと生活が脅かされるからだ(=塾長の宿命、塾生を叱咤激励等々)。
本来母性本能を育む為にDNAがデザインした共感ホルモンのオキシトシンが減少して来る。
人類変遷史上、オキシトシン効果が一夫一妻制を推進してきた訳であるが、
女性がテストステロンレベルが高く、オキシトシンレベルが低いと、すぐ夫にキレる妻となるという症状を現す。
注;
👨男脳の場合は左脳と右脳の交流が少なくて、
更に感情と記憶を司るご近所さんの偏桃体・海馬組(二組ある)は右脳部にあるペアーが活性化されるので、
オトコの場合は嫌な想い出(恐怖体験)では右脳機能の、漠然としたフワフワ感で薄まって、次回のリスクもあまり気にならない狩猟者気質となれるが、
👩女脳の場合は左脳と右脳の交流が盛んで、右脳の感情記憶が左脳で理論化(=怨念化)されやすく、
さらに偏桃体・海馬組の左脳部のペアーが活性化されるので、その時の嫌な思いが左脳の論理回路にササっと組み込まれてしまう。
つまり女の恨みは執念深く、あとでネチネチと遣って来る訳だ。
かくして夫にキレる妻が出現するという次第だ。
処方箋としては共感ホルモンのオキシトシン増進を心がけるべしと言う事だ。坐禅はいいかも、たぶん??
グランビーは格好のリハビリセンターとなる予定だ!!(=藪医者Tの気考診断!!)。
前にコメで書いたかもしれませんが、
塾やってた時に
おしゃべりタイムで
講師皆に(夏期講習中だったから同じ曜日に10人ほどいたかな)
私が男ポイか女ポイか
どのように感じるのか聞いたことがあります。
皆、女性ぽいけど男だと言ってましたね。
中性だと言った講師が一人いて
女だと思えないとか
女の人と話している感じがしないとか
塾に限らず、皆そう言ってました。
皆、共通する意見は
女と話している気がしないことでしたね。
そのことから考えると
Tのホルモン分泌率の平均からの隔たりは
そっくり私のケースです。
私は威圧的な男の人とは相性が本当に悪くて
何か跳ね返るみたいな感じがして
友達にもならなかったです。
ですが、素直に私の言うことを聞ける人とは
すごく相性が良くて
私も強気の男の人もスムーズにことが運ぶのです。
今まで
男の人が言っていることに
共感を覚えた人は
オバマ大統領と
T式根拠と
E式無駄な知識の量でしたね。
他は何とかやりくりできますけどね。
幸い、外観は男ぽくなくて
ほっとしてます。
塾時代は
女子トイレ入る時とか
女風呂入る時とか
何か場違いな感じが確かにありましたね。
ニュートンの色彩論への反発として書いたみたいですよね。
今回のダイアグラムはニュートン色彩論のダイアグラムですかね。
ニュートンにしろゲーテにしろ、
現代でのビデオカメラや赤外線カメラや紫外線カメラやX線カメラや、猫の眼カメラや鳥の眼カメラや、魚の目カメラや、~~カメラ等々様々な認識様式を知っていたら、彼等の色彩論は全く違う物にだったかも知れませんね。
色々な知識が明らかになるにつれ、昔の発見は最早通用しなくなるという事なのかもしれません・・・・
よく思うのは、釈迦が現代の世に生存した人であったら、全く別な事を唱えていたんだろ~な~、とか。
ゲーテ色彩論の図は本の図しかなくて面白く見えなかったでしたので。
色彩論は個人的に昔から興味があって
暇な時間に色彩学を検索したり
本を探したりするのが趣味の一つですかね。
お釈迦さまの現代版は
少し無理があるのではないかと。
ですが、考えてみたら
お釈迦様のツイッターとかFacebookとか
ラインとかSkypeとかのアカウントを想像すると面白いですよね。
ニュースのライブで修行のインタビューを受けたり
YouTubeのサイトを持ったり
ブログで
今日の修行日記あれこれを書いたり
でも実際には
ホームレス状態だから
外国とか行くために
パスポート申請もできないでしょうね。
ところでさすがのTも
色彩論になるとネタストック無いですかね?
手の込んだ情報発信的なブログですよね。
ユニホームのデザインとか
カーレイスの車種とか
ブログ投稿のために時間かなり使ってますよね。