第百三十六段
(現代語訳)
医師の和気篤成(アツシゲ)が、(故)後宇多法皇を診察しにきた時、法皇に食事が運ばれてきた。
篤成は、法皇の食事中、傍に控えていた侍臣たちに言った。
「今運ばれてきた料理について、法皇から色々、文字も功能もお尋ね下されたら、何も見ず皆さんにお答え申し上げましょう。本草(薬物学)の書を確かめて下さい。間違いは一つもないことでしょう」
ちょうどその時、(故)六条の内大臣、源有房(アリフサ)が参上してきた。
「有房はついでに物を習いたい」と言って、「まず、しおという漢字は、何の偏か」と質問した。
篤成は「土偏です」と有房に申し上げると、「あなたの才の程度は、それだけで明らかだ。もうこれ以上聞きたいこともない」と有房は言った。
その場はざわざわとどよめき、篤成は法皇の前から退出した。
○
この段では和気篤成が内大臣有房にコケにされました。第百三段では丹波忠守が侍従大納言に小馬鹿にされています。
和気家と丹波家は医者の二大名家として知られており、室町ころの書、『庭訓往来』にはこう書かれてあります。
「此の間、持病再発し、又、心気、腹病、虚労に更に之間発し、傍がた以て療治灸治の為、医骨の仁を相尋ね候といへども、藪薬師には間々見え来るが、和気、丹波の典薬、曾て逢い難く候」
『徒然草』では、名医の家系の二人がそろって侮辱されているのですが、兼好法師は医者が嫌いなわけではありません。第百十七段では、「よき友」の二番目に「医師(クスシ)」を挙げているのですから。
篤成の何がいけなかったのでしょう。職業や身分でしょうか。それとも漢字の偏を誤ったことでしょうか。どうも、それ以前の問題があるようですね。
第一に、篤成は後宇多法皇に無礼をはたらきました。彼は自分とは身分の比べようもない法皇の意見を聞いていません。法皇は彼に料理について何か聞きたかったのでしょうか。彼は目上の人の意思をないがしろにして話を進めたのです。
第二に、彼は自分の知識をひけらかそうとしました。「おのが智の勝りたる事を興とす。これまた礼にあらず」、「道を学ぶともならば、善に伐らず、ともがらに争うべからずといふ事を知るべき」と、第百三十段にあるのです。
おそらく皆の癇に障ったのはこの辺りだったのでしょう。なぜなら「しお」が「土偏」というのは、あながち誤りでもなかったからです。
『医心方』
日本最古の医学書、丹波康頼の著した『医心方』「五穀部第一」には、胡麻や大豆などとともに「塩」が収載されています。食事の時の質問で、食材の「塩」を「土偏」と答えても、通常だったら何の問題にもならなかったかもしれません。
でも、有房は「あなたの才の程度は、それだけで明らかだ。もうこれ以上聞きたいこともない」と言い、篤成をコケにしました。なぜでしょう。
それは篤成が「本草(薬物学)の書を確かめて下さい。間違いは一つもないことでしょう」と言ったからです。
当時読むことができた本草書、『經史證類大觀本草』を見ると、「しお」は全て「鹽(エン)」 と書かれているのです。
ちなみに、医学上の五味の「しお」は「鹹(カン)」と書きます。「鹽」も「鹹」も「鹵(ロ)」が偏です。
『医心方』
有房は篤成の揚げ足をとり、無礼を咎めたのかもしれませんね。
(ムガク)
(原文)
くすし篤成、故法皇の御前にさふらひて、供御の参りけるに、今参り侍る供御の色々を、文字も功能も尋ね下されて、そらに申し侍らば、本草に御覧じ合はせられ侍れかし。一つも申し誤り侍らじと申しける時しも、六条故内府参り給ひて、有房、ついでに物習ひ侍らんとて、先づ、しほといふ文字は、いづれの偏にか侍らんと問はれたりけるに、土偏に候ふ、と申したりければ、才の程、既にあらはれにたり。今はさばかりにて候へ。ゆかしき所なし、と申されけるに、どよみに成りて、罷り出でにけり。
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