はちみつブンブンのブログ(伝統・東洋医学の部屋・鍼灸・漢方・養生・江戸時代の医学・貝原益軒・本居宣長・徒然草・兼好法師)

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017―第百三十六段・(塩・鹽・鹹)―徒然草の中の医療

2016-02-29 20:40:41 | 徒然草の中の医療

第百三十六段

(現代語訳)

 医師の和気篤成(アツシゲ)が、(故)後宇多法皇を診察しにきた時、法皇に食事が運ばれてきた。

 篤成は、法皇の食事中、傍に控えていた侍臣たちに言った。

 「今運ばれてきた料理について、法皇から色々、文字も功能もお尋ね下されたら、何も見ず皆さんにお答え申し上げましょう。本草(薬物学)の書を確かめて下さい。間違いは一つもないことでしょう」

 ちょうどその時、(故)六条の内大臣、源有房(アリフサ)が参上してきた。

 「有房はついでに物を習いたい」と言って、「まず、しおという漢字は、何の偏か」と質問した。

 篤成は「土偏です」と有房に申し上げると、「あなたの才の程度は、それだけで明らかだ。もうこれ以上聞きたいこともない」と有房は言った。

 その場はざわざわとどよめき、篤成は法皇の前から退出した。



 この段では和気篤成が内大臣有房にコケにされました。第百三段では丹波忠守が侍従大納言に小馬鹿にされています。

 和気家と丹波家は医者の二大名家として知られており、室町ころの書、『庭訓往来』にはこう書かれてあります。

「此の間、持病再発し、又、心気、腹病、虚労に更に之間発し、傍がた以て療治灸治の為、医骨の仁を相尋ね候といへども、藪薬師には間々見え来るが、和気、丹波の典薬、曾て逢い難く候」

 『徒然草』では、名医の家系の二人がそろって侮辱されているのですが、兼好法師は医者が嫌いなわけではありません。第百十七段では、「よき友」の二番目に「医師(クスシ)」を挙げているのですから。

 篤成の何がいけなかったのでしょう。職業や身分でしょうか。それとも漢字の偏を誤ったことでしょうか。どうも、それ以前の問題があるようですね。

 第一に、篤成は後宇多法皇に無礼をはたらきました。彼は自分とは身分の比べようもない法皇の意見を聞いていません。法皇は彼に料理について何か聞きたかったのでしょうか。彼は目上の人の意思をないがしろにして話を進めたのです。

 第二に、彼は自分の知識をひけらかそうとしました。「おのが智の勝りたる事を興とす。これまた礼にあらず」、「道を学ぶともならば、善に伐らず、ともがらに争うべからずといふ事を知るべき」と、第百三十段にあるのです。

 おそらく皆の癇に障ったのはこの辺りだったのでしょう。なぜなら「しお」が「土偏」というのは、あながち誤りでもなかったからです。

 『医心方』

 日本最古の医学書、丹波康頼の著した『医心方』「五穀部第一」には、胡麻や大豆などとともに「塩」が収載されています。食事の時の質問で、食材の「塩」を「土偏」と答えても、通常だったら何の問題にもならなかったかもしれません。

 でも、有房は「あなたの才の程度は、それだけで明らかだ。もうこれ以上聞きたいこともない」と言い、篤成をコケにしました。なぜでしょう。

 それは篤成が「本草(薬物学)の書を確かめて下さい。間違いは一つもないことでしょう」と言ったからです。

 当時読むことができた本草書、『經史證類大觀本草』を見ると、「しお」は全て「鹽(エン)」 と書かれているのです。



 ちなみに、医学上の五味の「しお」は「鹹(カン)」と書きます。「鹽」も「鹹」も「鹵(ロ)」が偏です。

 『医心方』

 有房は篤成の揚げ足をとり、無礼を咎めたのかもしれませんね。

(ムガク)

(原文)

くすし篤成、故法皇の御前にさふらひて、供御の参りけるに、今参り侍る供御の色々を、文字も功能も尋ね下されて、そらに申し侍らば、本草に御覧じ合はせられ侍れかし。一つも申し誤り侍らじと申しける時しも、六条故内府参り給ひて、有房、ついでに物習ひ侍らんとて、先づ、しほといふ文字は、いづれの偏にか侍らんと問はれたりけるに、土偏に候ふ、と申したりければ、才の程、既にあらはれにたり。今はさばかりにて候へ。ゆかしき所なし、と申されけるに、どよみに成りて、罷り出でにけり。

001―もくじ―徒然草の中の医療

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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
塩の偏 (新井利昌)
2021-04-22 10:47:33
徒然草の百三十六段はどうして土偏と言ってわらわれたのだろうと思っていました。なにかあるんだろうなとは思いましたが、これを読んで納得できたようにおもいます。ありがとうございました。
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