(原文)
気は、一身体の内にあまねく行わたるべし。むねの中一所にあつむべからず。いかり、かなしみ、うれひ、思ひ、あれば、胸中一所に気とどこほりてあつまる。七情の過て滞るは病の生る基なり。
俗人は、慾をほしゐままにして、礼儀にそむき、気を養はずして、天年をたもたず。理気二ながら失へり。仙術の士は養気に偏にして、道理を好まず。故に礼儀をすててつとめず。陋儒は理に偏にして気を養はず。修養の道をしらずして天年をたもたず。此三つは、ともに君子の行ふ道にあらず。
(解説)
貝原益軒はここまで養生法にことよせて君子の道を説いてきました。人には色々な生き方があります。俗人、仙術の士、また陋儒などの生き方ですが、陋儒は、儒者の中でも頭でっかちで理屈を弄ぶだけで正しい行動をしません。彼らは、「理に偏にして気を養はず。修養の道をしらずして天年をたもた」ないのです。仙術の士は、仙人になること、仙術を会得することを目的に修行を積み重ねますが、道理や礼儀を修め、天下万民に尽くすことを考えません。彼らは、「養気に偏にして、道理を好まず」、「礼儀をすててつとめ」ないのです。そして俗人ではそのどちらの生き方もせず、「慾をほしゐままにして、礼儀にそむき、気を養はずして、天年をたもたず、理気二ながら失」います。
理と気、これらは「総論上 解説023」でもでてきましたが、何なのでしょうか。『易経』繋辞伝には、「一陰一陽、之を道と謂う」とありますが、これに対し、程伊川(宋代の哲学者、朱子学の始祖の一人)はこう言っています。「陰陽は気なり。気は是れ形而下なるもの、道は是れ形而上なるもの」と。つまり、ここでの理は、道理の理であり、また形而上の存在であることが分かります。形而上とは、形の無いもの、例えば「一年は約365日である」とか、「人は誰でも必ず死ぬ」、「何の養生もしなければ天年を保てない」などの事柄がそうです。これらはモノではありませんね。また気とは、固体でも、液体でも、気体でも何でもいいのですが、形而下の存在であり、これは物質のことです。
人の身体は天地の気が聚まったものであるので、死んでしまうことは気を失うことであり、「慾をほしゐままにして、礼儀にそむ」く生き方は、理に背くことである。そう益軒はここで言ったのです。
益軒は黒田藩の、また日の本の儒者として、天下の民の感化に力を注いできました。儒学の講義を続け、儒学を一般の人にも分かりやすく読み下した本を作ったり、時には自ら知行所の領主として飢饉の時に農民に施しをしました。『養生訓』総論上には『孫子』など兵法の話がよく出てきましたが、益軒の仕えた黒田光之は、豊臣秀吉の成功を支えた兵法家、黒田官兵衛の子孫です。黒田藩には自然と兵学を大切にする空気があり、中国の医学は、また養生法も、兵法と深く関連しているのですが、益軒はこのような藩の中で、その関連を隠すことなく、惜しみなく披露することができたのです。
総論上はこれで終わりです。次は総論下です。
(ムガク)
(これは2011.3.16から2013.5.18までのブログの修正版です。文字化けなどまだおかしな箇所がありましたらお教えください)
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