(原文)
ひとり家に居て、閑に日を送り、古書をよみ、古人の詩歌を吟じ、香をたき、古法帖を玩び、山水をのぞみ、月花をめで、草木を愛し、四時の好景を玩び、酒を微酔にのみ、園菜を煮るも、皆是心を楽ましめ、気を養ふ助なり。貧賎の人も此楽つねに得やすし。もしよく此楽をしれらば、富貴にして楽をしらざる人にまさるべし。
古語に、忍は身の宝也といへり。忍べば殃なく、忍ばざれば殃あり。忍ぶはこらゆるなり。恣ならざるを云。忿と慾とはしのぶべし。およそ養生の道は忿慾をこらゆるにあり。忍の一字守るべし。武王の銘に曰、之を須臾に忍べば、汝の躯を全す。書に曰。必ず忍ぶこと有れば、其れ乃ち済すこと有り。古語に云。莫大の過ちは須臾の忍びざるに起る。是忍の一字は、身を養ひ徳を養ふ道なり。
(解説)
人生の楽しみはいろいろとあるものです。美味しいものを食べたり、たくさん遊んだり、旅行などしたり、お金や宝石、珍奇なものをコレクションしたり、枚挙に暇がありません。しかし楽しみにも損するものと益するものがあります。『論語』季氏では孔子はこう述べました。
益者三楽、損者三楽。礼楽を節せんことを楽しみ、人の善を道うことを楽しみ、賢友多きを楽しむは益なり。驕楽を楽しみ、佚遊を楽しみ、宴楽を楽しむは損なり。
得をするから楽しいのでははく、損するから楽しくないのでもありません。楽しみの中に損益があり、同じように楽しくないものにも損益があるのです。楽しみとは損益に関らない自然なものです。『論語』述而にはこうあります。
子曰く、疏食を飯らい水を飲み、肘を曲げてこれを枕とす。楽しみ亦た其の中に在り。不義にして富み且つ貴きは、我に於いて浮雲の如し。
どんなに質素で一見何もないような生活の中にも立派に楽しみはあるのです。しかし儒者の生きる目的は、天下万民のため国を平和に住みやすいように治めることでした。これについては孔子はどう考えていたのでしょうか。『論語』先進にそれを見ることができます。
孔子と弟子である子路(由)、曾皙(点)、冉有(求)、公西華(赤)がいました。孔子が弟子たちに、「お前たちはふだん自分の真価を分かってくれないと言っているが、もし理解する人が現れて用いてくれるとしたらどうするのだ」と尋ねました。するとまず子路が答えました。
千乗の国、大国の間に摂して、これに加うるに師旅を以てし、これに因るに飢饉を以てせんに、由や之を為さめ、三年に及ぶ比に、勇ありて且つ方を知らしむべきなり。
孔子はこれを聞くと哂い、次に求に尋ねました。
方の六七十、如しくは五六十、求や之れを為さめ、三年に及ぶ比に、民を足らしむべきなり。其の礼楽の如きは、以て君子に俟たん。
次に赤が答えました。
之れを能くすと曰うには非ず。願わくは学ばん。宗廟の事、如しくは会同に、端章甫して願わくば小相たらん。
そして最後に点が答えました。
莫春には、春服既に成り、冠者を五六人、童子を六七人得て、沂に浴し、舞雩に風して、詠じて帰らん。
それを聞いた孔子は言いました。「吾れは点に与せん」と。三人が政治や学問をしたいと言ったのに対し、点は風流な生き方を選択しました。そして孔子もその生き方に賛成しました。そう、無味乾燥した禁欲生活をおくることが楽しいと自らに思い聞かせて生きるのではないのです。あくまでも人間性豊かに生きることを楽しむ、それが大事なのですね。
(ムガク)
(これは2011.3.16から2013.5.18までのブログの修正版です。文字化けなどまだおかしな箇所がありましたらお教えください)
ひとり家に居て、閑に日を送り、古書をよみ、古人の詩歌を吟じ、香をたき、古法帖を玩び、山水をのぞみ、月花をめで、草木を愛し、四時の好景を玩び、酒を微酔にのみ、園菜を煮るも、皆是心を楽ましめ、気を養ふ助なり。貧賎の人も此楽つねに得やすし。もしよく此楽をしれらば、富貴にして楽をしらざる人にまさるべし。
古語に、忍は身の宝也といへり。忍べば殃なく、忍ばざれば殃あり。忍ぶはこらゆるなり。恣ならざるを云。忿と慾とはしのぶべし。およそ養生の道は忿慾をこらゆるにあり。忍の一字守るべし。武王の銘に曰、之を須臾に忍べば、汝の躯を全す。書に曰。必ず忍ぶこと有れば、其れ乃ち済すこと有り。古語に云。莫大の過ちは須臾の忍びざるに起る。是忍の一字は、身を養ひ徳を養ふ道なり。
(解説)
人生の楽しみはいろいろとあるものです。美味しいものを食べたり、たくさん遊んだり、旅行などしたり、お金や宝石、珍奇なものをコレクションしたり、枚挙に暇がありません。しかし楽しみにも損するものと益するものがあります。『論語』季氏では孔子はこう述べました。
益者三楽、損者三楽。礼楽を節せんことを楽しみ、人の善を道うことを楽しみ、賢友多きを楽しむは益なり。驕楽を楽しみ、佚遊を楽しみ、宴楽を楽しむは損なり。
得をするから楽しいのでははく、損するから楽しくないのでもありません。楽しみの中に損益があり、同じように楽しくないものにも損益があるのです。楽しみとは損益に関らない自然なものです。『論語』述而にはこうあります。
子曰く、疏食を飯らい水を飲み、肘を曲げてこれを枕とす。楽しみ亦た其の中に在り。不義にして富み且つ貴きは、我に於いて浮雲の如し。
どんなに質素で一見何もないような生活の中にも立派に楽しみはあるのです。しかし儒者の生きる目的は、天下万民のため国を平和に住みやすいように治めることでした。これについては孔子はどう考えていたのでしょうか。『論語』先進にそれを見ることができます。
孔子と弟子である子路(由)、曾皙(点)、冉有(求)、公西華(赤)がいました。孔子が弟子たちに、「お前たちはふだん自分の真価を分かってくれないと言っているが、もし理解する人が現れて用いてくれるとしたらどうするのだ」と尋ねました。するとまず子路が答えました。
千乗の国、大国の間に摂して、これに加うるに師旅を以てし、これに因るに飢饉を以てせんに、由や之を為さめ、三年に及ぶ比に、勇ありて且つ方を知らしむべきなり。
孔子はこれを聞くと哂い、次に求に尋ねました。
方の六七十、如しくは五六十、求や之れを為さめ、三年に及ぶ比に、民を足らしむべきなり。其の礼楽の如きは、以て君子に俟たん。
次に赤が答えました。
之れを能くすと曰うには非ず。願わくは学ばん。宗廟の事、如しくは会同に、端章甫して願わくば小相たらん。
そして最後に点が答えました。
莫春には、春服既に成り、冠者を五六人、童子を六七人得て、沂に浴し、舞雩に風して、詠じて帰らん。
それを聞いた孔子は言いました。「吾れは点に与せん」と。三人が政治や学問をしたいと言ったのに対し、点は風流な生き方を選択しました。そして孔子もその生き方に賛成しました。そう、無味乾燥した禁欲生活をおくることが楽しいと自らに思い聞かせて生きるのではないのです。あくまでも人間性豊かに生きることを楽しむ、それが大事なのですね。
(ムガク)
(これは2011.3.16から2013.5.18までのブログの修正版です。文字化けなどまだおかしな箇所がありましたらお教えください)
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