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貝原益軒の養生訓―総論下―解説 038 (修正版)

2015-10-28 19:24:51 | 貝原益軒の養生訓 (修正版)
(原文)

養生の術、荘子が所謂、庖丁が牛をときしが如くなるべし。牛の骨節のつがひは間あり。刀の刃はうすし。うすき刃をもつて、ひろき骨節の間に入れば、刃のはたらくに余地ありてさはらず。こゝを以て、十九年牛をときしに、刀新にとぎたてたるが如しとなん。人の世にをる、心ゆたけくして物とあらそはず、理に随ひて行なへば、世にさはりなくして天地ひろし。かくのごとくなる人は命長し。

(解説)

 今回の『荘子』にある庖丁(料理人)のお話は結構知れ渡っていますが、はじめてお聞きになる方や、お忘れの方のために読み下し文をお入れしましょう。出典は、『荘子』養生主です。

吾が生や涯(かぎ)り有り。而も知や涯り無し。涯り有るを以て涯り無しに随うは、殆うきのみ。已にして知を為すは、殆うきのみ。善を為して名に近づくこと無かれ。悪を為して刑に近づくこと無かれ。督に縁りて以て経を為す。以て身を保つべく、以て生を全うすべく、以て親を養うべく、以て年を尽くすべし。

庖丁は文恵君の為に牛を解く。手の触る所、肩の倚る所、足の履く所、膝の踦る所、,砉然たり、嚮然たり。刀を奏すること騞然、音に中らざるは莫し。桑林の舞に合し、乃ち経首の会に中る。

文恵君曰く、譆、善かな。技は蓋し此に至るか。

庖丁刀を釈て対えて曰く、臣の好む所は道なり。技より進めり。始め臣の牛を解きし時、見る所は牛にあらざるは無かりき。三年の後、未だ嘗て全牛を見ざるなり。方今の時、臣は神を以て遇い、目を以て視ず。官知は止まりて、神は行うを欲す。天理に依り、大郤を批き、大?に導き、其の固然に因る。技は肯綮を経ること未だ嘗てあらず。而も況んや大軱をや。

良庖は?ごとに刀を更う。割けばなり。族庖は月ごとに刀を更う。折ればなり。今臣の刀は十九年なり。解く所は数千牛なり。而も刀刃は新たにより発せしが若し。彼の節は間有りて、而も刀刃は厚さ無し。厚さ無しを以て間有るに入る。恢恢として其の刃を遊ばずに於いて必ず余地有り。是れを以て十九年にして刀刃新たにより発せしが若し。

然りと雖も、族に至る毎に、吾其の為し難きを見て、怵然として戒と為す。視は止を為し、行は遅を為し、刀を動かすこと甚だ微なり。謋然として已に解け、土の地に委するが如し。刀を提げて立ち、之れが為に四顧し、之れが為に躊躇し、志を満たし、刀を善いて之れを蔵す。

文恵君曰く、吾れ庖丁の言を聞きて養生を得たり。

 文恵君とは戦国時代は魏の恵王のことで、『孟子』梁恵王章句に登場することでも知られています。『孟子』では、恵王は孟子に国の政治について真摯に質問し、「仁義孝悌忠信」の教えを受けていました。『荘子』では、恵王は料理人の肉牛の捌く境地から養生法を教えられました。『荘子』は『老子』とならんで道家の最重要の経典の一つですが、この養生主篇はその内容だけではなく、登場人物からも儒家的な思想が濃く表れています。

 と言うのは、「善を為して名に近づくこと無かれ。悪を為して刑に近づくこと無かれ。督に縁りて以て経を為す」と、また「以て身を保つべく、以て生を全うすべく、以て親を養うべく、以て年を尽くすべし」と、養生し長く生きることと親孝行することを同列して述べ、儒家の最も重要な方針のうち「中庸」と「孝」をその中で説いているからです。

 また、庖丁は三年の修行の末、無意識に、適切に肉牛を解体することができるようになりました。これは努力を重ねた上の結果であり、何もすることなく自然とできたものではありません。しかも牛の解体も細かく難しいところでは、慎重に、凝視し、ゆっくり行動し、刀を微妙に扱うのです。これは本来の老荘の謂う純粋な「無為」ではなく、「人為」と言ってもよいかもしれません。

 そんな訳で、貝原益軒がここでこの『荘子』養生主の話を引き合いに出したのは自然な流れなのです。刀も、身体も、心も無理な負荷がかかれば折れてしまうのです。

(ムガク)

(これは2011.3.16から2013.5.18までのブログの修正版です。文字化けなどまだおかしな箇所がありましたらお教えください)


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