暑い日はビデオか本読みにかぎる。 地球は大陸移動があり今の姿になっている。 今は普通な知識ながら、日本へは1961,S36年の学術書が初出、それもわずかの記述らしい。 学習で小中学校のどこかに出てくる筈が、その覚えが無いはずで、われの成人式の頃だ。 大陸移動説はこんなに最近のことであったのかと驚く。 思いつきは独人、1912年だそう。日本へ入るに40年かかった。何と余りにも遅い。 この新説も特に米国から強い反感を買い、本人が遭難死後は学会から完全に消えた、とある。 大西洋の両岸の凸凹がよく合致すると地図を見ていて気づいたらしい。これは聞いていた。 発見の動機は単純だけど面白い。「生命誕生」はおもしろい。 |
ニギハヤヒ (2011.11 初版)
立花隆が週刊文春の書評でとりあげていたこの本は、やっぱりおもしろい。 天皇の初代は神武であり、これは記紀・古事記日本書紀に記述があるからで、ところが、 著者は記紀と同時代の古典「先代旧事本記」(クジホンキ)を解明して話しを起こす。 神武の東征で熊野から大和に入ったとき、すでに天つ御璽(みしるし)を持つ統治者ニギハヤヒがいた。 ふたりの統治者・天つ御璽をもつ「天神の子」(あまつかみのこ)がいたことになる。 しかも、初代の神武の以前から大和を統治していたとあれば、先代さんになるわけでややこしい。 この面白い本で、 著者はニギハヤヒは神とおき神話の時代の最後の話しとし、神武を「人」と考え歴史の時代とした。 祟りの神スサノオにならび、ニギハヤヒを出雲神話もからめ、縄文時代の見え隠れする景色が話しを面白くさせる。 この夏、一番の読み物であった。 |
あついときは本読みにかぎる。 北の部屋に陣どり、静かにして風をとおす。 いずれ眠くなるからその時は昼寝にはいり、・・・・・。 古座の一枚岩をいつか見たいと思っていたら、少し前にTVが旅番組でやっていて、 それではと、「街道を行く」の古座街道を読むとこれがおもしろい。 周参見から川沿いに入り、古座川をたどり海にでるコース。 備長炭の産地で、秋の落ちアユを干してつくる時に欠かせないらしい。 天日干しだと鮮度が落ちるという。今は網でとるほど取れるのか。 雫の滝は、道が高みにのぼった上にまで飛沫が飛んでくるきれいな滝、 有名な一枚岩は黒っぽい鉄さび色で、近づくほどに人は小人になっていくらしい。 潤野の潜水橋もおもしろそう。いかにもの形の簡易橋だ。 この旅の主題の若衆組・若衆宿も、話しが飛んで飛んでおもしろい。 初出1975年は、今から37年前(昭和50年)、今もこのあたりは変わってないのでないか。 古座川のあれこれを読んでいると旅情をそそる。 「会津藩家老」の小説は、前段が多くまだ佳境にはいれてない。肝鍛会でもらった本。 これに疲れた中休みに、「おれん」がくつろげる。 「これがはじまり」はシリーズ中の一番できでないかな。 |
古座川の 瀬々にせゝらぐ 瀬の音は 神を聴きつつ人を聴きつつ 記念館 司馬遼太郎 色紙展より |
ニギハヤヒ (2011.11 初版)
この本は週刊誌の書評にでて知る。 立花隆の視界は360度、その好奇心は精神の若さの発露だと思う。 あと少しで予約の順番がくるはずで楽しみにしているが、 これは記紀にはない、もう一つの神代史があるという立場で 書かれているそうで、著者は國學院神道学科出身。 (以下、一部を除き週刊誌からの抜粋) 神武天皇降臨の神話時代、いちばんの不思議はニギハヤヒという。 (神武東征で)日向国から大和に向かう途中、 もう一人の降臨族ニギハヤヒに仕える豪族の抵抗にあう。 神武(イワレヒコ)はそれを避け、熊野吉野経由で大和を攻め成功する。 神社成立以前の昔は、自然物を御神体として拝んだ。 那智瀧や巨岩(ゴトビキ岩)など、速玉神社は火の玉(隕石)だという。 交野の小松神社(別名 星田妙見宮)には「星が降った」伝承があり、 近くの「天の磐船」(磐船神社)の巨岩はニギハヤヒがこれに乗って天から降ってきたとされている。 現代、JR学研線(旧片町線)には近くに「河内磐船」駅がある。 恐るべき自然現象に出合うと、古代の人はそれを神の仕業と考え、 「日本書紀」では、推古天皇七年に日本最古の地震被害記録がある 大地震が起き、推古天皇は地震の神を祀るよう命じその一つが 名張市に名居神社(ナヰは地震の古語)だという。 ニギハヤヒ |
世間遺産放浪記 藤田洋三
露天風呂の好きな方へ。 子供が楽しそうに入っていますが、大人はどうなのでしょう。 この景色なので天然湧出温泉だと思う。だけど、大人のときは写真に撮れない。 「マツポックリの小屋」これは実に写真にしたい情景。 「かわら垣」は、淡路島なので行く気なら行ける。 震災も生き延びたとあるので探したら見つかるはずで、ひとつ対象ができた。 世間遺産放浪記 |
「うまくなってから」では遅い。 「わたしはここよ」より。 「うまくなってからなんて言ってたら、人生は終わってしまいます。うまくなるより前に死んでしまいますよ」 と、短歌教室で言うと皆がドッと笑う。人生は・・・山あり谷ありの雑用雑事の山盛りで、 ・・・なかなか時間がとれない。けれど時間も待ってはくれない。・・・、 短歌という文芸は、ひとりでやっていると、どうしても閉塞しがちに、ひとりよがりに、なりやすい。 自分で気がつかないうちに妙な癖がつきやすい。・・・うまくなったと錯覚してしまいがちなのである。 自分の歌の良し悪しが自分ではなかなか分からない。 他人の歌なら一読たちまち評価できるのに。 これは「わたしはここよ」のつづきであるが、 歌の世界を写真の世界に置き換えても、同じことが言える気がする。 今日、河野裕子短歌賞が創設されたニュースを読み続編とした。 |
このところ撮りに出ることがなく載せる写真がない。 その間、こんな本を読んでいた。冒頭はこのように始まる。 逃げられないものが三つある。 生まれた時代から逃げられない。自分の体の外に出ることができない。必ずいつか死ななければならない。 三つまとめは、いろいろ有るように思うがこれは初めてである。 ところでこの中に、詞書(ことばがき)に触れた箇所「河童忌」がある。 誕生日が芥川龍之介の命日と同じなことから起こした章で、 燈江堂の主をとむらふ 壁に来て草かげろふはすがり居り透きとほりたる羽のかなしさ 斉藤茂吉 (痩躯白の芥川と草かげろうのイメージはふさわしく、夭逝の死をはかない昆虫にかさね哀悼した) 芥川龍之介の長逝を悼みて たましひのたとへば秋のほたるかな 飯田蛇笏 (芥川の魂をたとえて、光力の衰えた弱々しい秋のほたるだといっている) ところで、ここから詞書を付けずに省いたら、作品だけで芥川の死と結びつける読者はあるまい。 詞書を付されることで、俄然様相を異にすることになる。読みの方向を決めてしまう。 詞書の有無により読みの幅が集束したり、拡散したりする。 とあり、この解釈による詞書は、写真の世界のタイトルと同じようなことになる。 |
久しぶりに一気に読み切った本に出あった。 朝敵となった会津藩は下北に移封されたが、 この実態を会津藩上級武士の子が書きとめていて、 編著者が読みやすく書きもどしたのがこの本。 無念がにじみ出てくる。ある明治人の記録 |