こだわりメモ帳

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・ 今朝のいちまい

2008年07月31日 | ◆ 季節の写真
 朝のウォーキングが、何と今朝は短パンでは涼しすぎた。
寒いと言うは少々オーバーだけど、涼しすぎ。
それでも、立秋は一週間先にまで来ているから、これもありか。

プラリとのぞいた本屋さんでTVテキスト 「神になった日本人」が目に飛び込んできた。
頭のなかにまだ神仏習合が居巣食っているのか、この手が目に入りやすいようで、
8月から始まる週一回の8回番組で、録画してゆっくり見よう。おもしろそう。
テキストによれば、テーマは日本特有の人神信仰の話しで、
普通に死んだ人の「たましい」は、「先祖」という形で墓になり祀られる。が、
人々に災厄をもたらすような特別な「たましい」は、その祟(たた)りを鎮めるため「神」として鎮魂したり、
「供養」を行うことで成仏させようと鎮める。また、偉人は神・仏として祀り上げ崇敬・追善される。
藤原鎌足、後醍醐天皇、秀吉、家康、西郷隆盛などの祀られ方を通し日本人の神・仏の考え方を民俗学者が語る。
さてどのような話になるか。


2007.7.31 05:02 ご近所の朝
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・ ド迫力伊丹 再々訪

2008年07月27日 | ◆ D300ギャラリー
 ド迫力体感を求め、3度目の伊丹に行く。
一行6名となり一番多い日になったが、
風の強い日で、機体の動きがいつもと違い面白い。
1秒点滅であろう腹の赤ランプが射止められるのは5機に1回あればいいほう。
地上からは見えないが、機長席からはこちらの人影は見えているはず。


2008.07.25  18:29 ・ 19:32
ISO 200 ・ 50mm F1.4D ・ S 1/20 F16 WB,濃度 調整
ISO 1600 ・ 50mm F1.4D ・ S1/20 F8 ・ WB,濃度 調整
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・ 今朝のいちまい

2008年07月25日 | ◆ 季節の写真
カラッとした気もちのいい朝
これが夏の朝
駅前公園に朝日が入り
ネコヤナギが光る
ウォーキング人が見て通り
現役さんはまだはやい
今日も暑くなる
それでも朝は気もちがいい

2008.07.25 05:20・05:42
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・ 暑いときの本読み

2008年07月24日 | ◆ こんな本

民俗学博物館 黒檀梟 retouch

 毎年、今年は暑いといいながら、夏をすごす。
出たい所もあるけれど、風通しをよくしてジッとしてるのがいい。
本読みしながら、時々昼寝が一番いい。
神仏習合の興味も一段落し、「空海の風景」を読みに入っていた。
古代神祇の力がうすれ、仏教が大きくなってくるのが空海を含む時代であるが、
司馬さんは、この小説に『神--仏』のことは入れていない。
面白かったのは、勉学修業の時代を経て自費(支援金)留学生で遣唐使に加わり、
密教皆伝を受けるまでで、後編後半の最澄とのかかわりに入ってからはそれ程でもなかった。
一行づつきちんと読まないと前にいけないこの本は他とは違う難物であった。
以下抜書き


■ ここで、余談として触れねばならない。 (例の余談ながら・・・である)
日本の律令制度は唐のまねであったとはいえ、重大な一点で唐の政治体制と異なっていたのは、
唐には日本のような太政官がないことであった。太政官は行政の最高機関であり、
八っつの省と諸寮司を統(す)べている。・・・・・
唐では、そうではなかった。太政官にあたる機能は専制者である皇帝自身であった。・・・・・
日本では・・・・・多分に君臨者であって実際的な政治上の決定と指揮は太政官が行っていた。

■ ---なんだ、あの男は。
と、空海は、自分の思想からみて、鬱懐(うつかい)がつのったはずである。
経を読んで知識として教義を知ることは真言密教では第二のことであった。真言密教は宇宙の気息の中に
自分を同一化する法である以上、まず宇宙の気息そのものの中にいる師につかねばならない。
師のもとで一定の修行法則をあたえられ、それに心身を没入することによってのみなま身の自分を
仏という宇宙に近づけうるのである。・・・・・それを最澄は筆授で得ようとするのか、と空海は思いつづけている。

(このあと、借経と筆写ばかりの最澄に、はじめはすべてを譲る決意でいた空海は変化していく。)
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・ 日の出方位 夏至+5度

2008年07月23日 | ◆ メモ
この時期、日は薬師寺の近くから昇る。
西にある大池越しに見るにはいい季節で、
予定していた昨日は、朝の晴れ渡りが望めず中止となる。



2008.07.23 05:33


神宿る中干しの季節
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・ 映画 燃えよ剣

2008年07月18日 | ◆ メモ

2008.7.17 05:21  梅雨明けの朝 ご近所


 雨では二輪が使えない。
住道から永和へ、JR大阪東線が使えるようになりボランティアに便利になった。
記念館では、この夏の館内ホールの映画会が8/2,3(土,日)13:30よりある。
土方歳三の「燃えよ剣」4篇が2篇づつ2日に分けてあるそうで、
当時を知るスタッフから、企画時に司馬さん、主演の栗塚旭と面合わせしOKを出したと聞く。
自作がどう描かれるか、いつもこだわりがあったようで、それは今も続いているように感じる。
楽しみに8月を待つ。
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・ 廃仏毀釈 神仏習合

2008年07月17日 | ◆ メモ

民俗学博物館 黒檀梟 retouch

 廃仏毀釈の仕掛屋を探す興味はつづいている。
然り乍ら、どれを読んでもどこにも明治維新のリーダーの顔は出てこない。
津和野藩主亀井茲監と配下の福羽美静らが自藩でやってきた神仏分離を発展させたようである。
神仏分離にあわせ、神仏習合はどうなっていたのかと疑問はふえる。
いつしか、神と仏の歴史をめぐる遥かな旅に出たようなもので、
その旅の途中、空海の姿も出てきて、司馬さんの『空海の風景』がまだ入口のままを思い出す。
暑くて外に出れない昨今、この機会に長編を読みに入ることになるのかも。


五来 重著 『山の宗教』/角川ソフィア文庫 (最近タイミングよく復刻新刊が出た)によれば、
■ 山岳信仰は死者の霊を祀るもので、山の神はその霊を法華経や密教で清めてくれる。
石鎚山の古寺旧跡から飛鳥白鳳時代の瓦が出て、山岳信仰は奈良時代以前の出現を証している。
■ 奈良時代、山の神を祀るのに山伏が仏教のお経で祀ることが仕事であった。
これが神仏習合の実態で、山伏たちがそれに関与していた。
■ 江戸時代、神社は別当(僧侶)が優越していて、経済的にも別当か神宮寺が握っていた。しかし、
中世の中ごろから伊勢神道が出来し吉田神道となり仏教は地位を落とし、維新の廃仏棄却にすすむ。とある。


義江彰夫著『神仏習合』/岩波新書 によれば、
   (この本では、王権~朝廷~地方豪族~民衆へとつづく仏教の浸透が読め面白い。)
■ 神仏習合は、普遍宗教と基層信仰の結合の一形態である。
奈良時代後期古文書 『多度神宮寺伽藍縁起資財帳』 788年 ヨリ・・・神は仏になろうとしていた事がうかがえる。
   【我れは多度の神なり。吾れ久劫・きゅうごう(長い時間)を経て、重き罪業をなし、神道の報いを受く。
   いま、冀(こいねがわく)ば永く神の身を離れんがため、三宝(仏教)に帰依せんと欲す。】
仏教側はこれを受け、満願禅師が多度神社の南に菩薩形の神像を安置、多度神宮寺が生まれた。
 (他にも例えば東大寺に手向山八幡宮があり、坂本日吉大社は延暦寺の守護神)
■ 他国に類例を見ないことは、普遍宗教としての仏教と基層信仰としての神祇信仰が、
各々の信仰と教理を維持したまま開かれた系で結ばれたことである。
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・ 祇園祭 懸装品

2008年07月14日 | ◆ 季節の写真
2008.7.12 山鉾懸装品



長刀鉾


菊水鉾


菊水鉾


月鉾のお囃子調子
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・ 祇園祭 山鉾建 12日

2008年07月13日 | ◆ 季節の写真
2008.7.12 山鉾建て



菊水鉾


南観音山


南観音山 建て起こし


町家飾りも楽しみ
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・ 祇園祭 鉾建

2008年07月11日 | ◆ 季節の写真
2008.7.10 鉾建



この時期は伝統のウィンド飾りも見ごたえ


月鉾


月鉾


鶏鉾

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