世間遺産放浪記 藤田洋三
露天風呂の好きな方へ。 子供が楽しそうに入っていますが、大人はどうなのでしょう。 この景色なので天然湧出温泉だと思う。だけど、大人のときは写真に撮れない。 「マツポックリの小屋」これは実に写真にしたい情景。 「かわら垣」は、淡路島なので行く気なら行ける。 震災も生き延びたとあるので探したら見つかるはずで、ひとつ対象ができた。 世間遺産放浪記 |
「うまくなってから」では遅い。 「わたしはここよ」より。 「うまくなってからなんて言ってたら、人生は終わってしまいます。うまくなるより前に死んでしまいますよ」 と、短歌教室で言うと皆がドッと笑う。人生は・・・山あり谷ありの雑用雑事の山盛りで、 ・・・なかなか時間がとれない。けれど時間も待ってはくれない。・・・、 短歌という文芸は、ひとりでやっていると、どうしても閉塞しがちに、ひとりよがりに、なりやすい。 自分で気がつかないうちに妙な癖がつきやすい。・・・うまくなったと錯覚してしまいがちなのである。 自分の歌の良し悪しが自分ではなかなか分からない。 他人の歌なら一読たちまち評価できるのに。 これは「わたしはここよ」のつづきであるが、 歌の世界を写真の世界に置き換えても、同じことが言える気がする。 今日、河野裕子短歌賞が創設されたニュースを読み続編とした。 |
このところ撮りに出ることがなく載せる写真がない。 その間、こんな本を読んでいた。冒頭はこのように始まる。 逃げられないものが三つある。 生まれた時代から逃げられない。自分の体の外に出ることができない。必ずいつか死ななければならない。 三つまとめは、いろいろ有るように思うがこれは初めてである。 ところでこの中に、詞書(ことばがき)に触れた箇所「河童忌」がある。 誕生日が芥川龍之介の命日と同じなことから起こした章で、 燈江堂の主をとむらふ 壁に来て草かげろふはすがり居り透きとほりたる羽のかなしさ 斉藤茂吉 (痩躯白の芥川と草かげろうのイメージはふさわしく、夭逝の死をはかない昆虫にかさね哀悼した) 芥川龍之介の長逝を悼みて たましひのたとへば秋のほたるかな 飯田蛇笏 (芥川の魂をたとえて、光力の衰えた弱々しい秋のほたるだといっている) ところで、ここから詞書を付けずに省いたら、作品だけで芥川の死と結びつける読者はあるまい。 詞書を付されることで、俄然様相を異にすることになる。読みの方向を決めてしまう。 詞書の有無により読みの幅が集束したり、拡散したりする。 とあり、この解釈による詞書は、写真の世界のタイトルと同じようなことになる。 |
今日は春展にむけてのセレクトの日。 古代史散策例会と科学カフェにバッティングで、 午後の京都は行けても、朝からの古代史はやむなし。 のつもりが、セレクトを終えたのが1時を過ぎていて京都も無理になる。 セレクトでは竹田城址が残り気分よし。 これにもう少し手をいれて仕上げにしたい。 これまでのカフェ おもしろいひとつ : 地球上で最も人に近い隣人- ボノボ |
春の小川 | 旬乃香 | 冬 顔 |
ことしは梅がおそい。 新聞に載る『梅だより』の万博は、咲き始めが続いていて、 次にすすまないままに撮りにでる。 この日はあたたかな良いお天気で、風もなく梅日和。 万博公園は自然文化園の梅林が3部咲き気分といえるほどに。 奥の日本庭園の梅林は、かずは減るが周りがきれい。 初春のツバキやマンサク、蝋梅や山茱萸などなど、ここに来ると 一箇所で季節のうつろいがあれこれ見れる。 (万博公園の花) |