蔦温泉 10.20 05:55 | 酸ヶ湯温泉 10.21 06:17 |
青森ネブタ
上北は晴れあり雨あり曇りあり、足の早いお天気で、 この時期はこういう日が多い、と地元の人。 十和田ゴールドラインの国道103傘松峠で標高1027m、十和田湖は海抜400m。 この方面、500mから1000mにかけての紅葉の変化は敏感であった。 葉が落ちてるところから、まだ緑葉のところまで、 加えて晴れたり曇ったりは、時期として10月後半はこちらの適期である。 最終日青森への途中、ネブタ会館と三つ目の湯浅虫温泉に立ち寄る。 浅虫からの岩木山は、青森の町越しにいい眺めであるが、 湯はやはり蔦温泉がしっとりとしていて一番であった。 |
奥入瀬 2009.10.19
秋の奥入瀬に来れた。 十和田湖からでた緩やかなこの渓流は、 まことに適度な傾斜でうまれる。 地形とは微妙なもので、この景観をつくりだす。 石ヶ戸での駐車スペースもすぐ見つかり安心してスタート。 じつに気分爽快な半日であった。 |
蔦沼 06:33 | 地獄沼 |
萱野茶屋辺り | 103号沿いのブナ林 |
蔦沼・八甲田 2009.10.18-21
下北に対し、この地方は上北とよぶらしい。 天気予報がいう地名は、わからない所が多い。 紅葉にあわせ蔦沼・奥入瀬・八甲田をゆく。 五月の新緑がきれいで、秋の再訪をきめていた。 |
笑顔 | また笑顔 |
談笑 | また談笑 |
仕事師 | またまた仕事師 |
大津祭り 2009.10.11
同好会で初の祭り撮影会にのぞむ。
大津祭りは祇園祭の小型版のようなお祭りで、江戸初期に始まる。
町の人が曳山を自分たちで楽しんでいることがよくわかるお祭りで、
絡繰りもおもしろいと聞いていたが、いい所に陣取れず残念。
曳山の飾り物がきれいながら、祇園祭があるので
結局祭りの人々を撮ってまわっていた。
推古社 | 推古社の日露戦勝記念碑 | |
額安寺・・・推古女帝の出身地 | 中家住宅(重文)・・・内堀を跳ね橋を渡り入る | |
面塚・・・観世発祥の地 | 観阿弥が住み世阿弥がここで生まれる |
今月はなぜか少ない35名。 明日香と西の京の中ほど、大和川がながれる平端をあるく。 このあたり水運が開け、中世は栄えたようで豪壮な屋敷を多く見る。 観世能がこの地でうまれたともきき、大和はふかいとまた知る。 |
お久し梟
6巻目が終ってしまった。 読んでいて長い小説だと思わず、どれもずーっと面白い。 身内に関係者はなく、戦争の様子は本でしかわからないが、 大国ロシアの負けは、悪しき一君帝政と国民の力の低さ、 小国日本は、勝ちたい思いと民の気概、それと運のよさであろうか。 司馬さんは、この巻のあとがきで記している。 『執筆は4年と3ヶ月、準備に5年ほどをかけ、自分の40代はこれで消えてしまった。 書き終えたとき、夜中の数時間ぼう然としてしまった。』 大仕事をおえたとき、あの大きな目の表情はどのようであったろう。 元来は、『書きおえたときの感傷を軽蔑する習慣を自分に果たしていた』そうであるが、 それを思うと、この数時間のぼーっは途方もない感慨であったのだと思う。 |