| さて、企画展である。
『坂の上の雲』は、S43年4月からS47年8月まで5年弱かけた新聞連載である。
展示の原稿を見ると、この小説が満を持してのスタートか、
原稿の一枚目は推敲の赤がほとんどなく、他の原稿の姿とおおいに異なる。
執筆時期の時代背景や並行してすすむ書きもの、対談などをディスプレーで見ていると、
これだけのことが、よくぞこなせると驚くばかりである。それでも
『権兵衛のこと』の章の冒頭で、
「この小説をどう書こうかということを、まだ悩んでいる。」と気持ちが素直にでる。
これと並行して「世に棲む日日」(4巻)、「花神」(3巻)、「城塞」(3巻)、「覇王の家」(2巻)をこなし、
書き上げる47年には、「翔ぶが如く」(10巻)を1月1日から新聞で始めている。
坂の上を書き始めたS43年は、司馬さんは45才。いえば活性最盛期でその後空海、菜の花へと円熟の時代にすすむ。
この本のころは、43年霞ヶ関ビル竣工、44年アポロ月面着陸、45年万博、47年浅間山荘事件とあり、
世のなか元気印の成長期と時代の変容が見える。
この時期、わが身の時代をふりかえれば、
S44年12月竣工の神戸貿易センタービル内装工事にたずさわっていた。
超高層ビル第一号の霞ヶ関ビルをすすめた某鹿島が、西で初となる超高層ビルを神戸にもとめ、
この地は、業界で拮抗する某竹中の生まれの地であり、この仕事はなにかと思いで多い仕事であった。 |