この日は久し振りのお歩きさん。
暑さ厳しい7,8月は会もお休みであったが、この10日が再開の初回。
生憎の雨予報でスライド延期となり、11日が今年後半の始まりであった。
竹内街道を上ノ太子~古市と歩く。約5.5Km
常ながら、途中の町並み見歩き、世情観察にお喋りが加わり楽しい日である。
2006.9.11

羽曳野・西琳寺入口

ここでは、日本一の大きさを誇る「五重塔礎」・礎石が笑顔で迎えてくれる

ツユクサは今が盛り。あっちもこっちもどこもきれい

ハナニラも盛り

ハナニラの隣に咲く花は・・・

問屋町跡近くの公園に万葉集の札が・・・

札は一つずつ・・・、羽曳野はさすが歴史の町

実は、公園の植栽の説明に歌札は付けられている。ミツマタとか橘とかも

暑さ厳しい7,8月は会もお休みであったが、この10日が再開の初回。
生憎の雨予報でスライド延期となり、11日が今年後半の始まりであった。
竹内街道を上ノ太子~古市と歩く。約5.5Km
常ながら、途中の町並み見歩き、世情観察にお喋りが加わり楽しい日である。
2006.9.11

羽曳野・西琳寺入口

ここでは、日本一の大きさを誇る「五重塔礎」・礎石が笑顔で迎えてくれる

ツユクサは今が盛り。あっちもこっちもどこもきれい

ハナニラも盛り

ハナニラの隣に咲く花は・・・

問屋町跡近くの公園に万葉集の札が・・・

札は一つずつ・・・、羽曳野はさすが歴史の町

実は、公園の植栽の説明に歌札は付けられている。ミツマタとか橘とかも

竹内街道沿い羽曳野・杜本神社近郊のあちこちの民家で見られ、この写真は立派な方 昔、寛永年間に民家は代官所より大きくできない梁間三間規制あり これは梁間を見て解からせる、この辺固有の建て方という お仲間の建築家が後日の探求により判明、それを伝え聞きご教授頂いたことなり 寛永年間とは1600年代半ば、関ヶ原を終え天草四郎・島原の乱の頃、この家は建替え何代目になるのか。 |