写真:街角ウォッチングから:国立大学通りにて:武蔵野の雑木林の面影
過去から何度も吐露している瞬間的な切れの話題。何気に話している時でも、何がきっかけになるのか、瞬間湯沸かし器のように、自分が精神的に切れてしまう時がある。この症状は、この病気になって生まれたもの。
瞬間的にスイッチが入るために、感情のコントロールが制御できなくなるのが原因と思ふ。ほんの些細なことでも、我慢できずに腹立ち、またイラ(イライラが生じる)が生じるんですよ。難儀もんです。
不思議とこの瞬間的に入るスイッチは、スイッチが切れるのもほんまに早い。瞬間湯沸かし器のようなもんです。暴言を吐くことが多いけど、吐いたら終わり。
病気前の性格は、無口で温厚で、気が長い。誰もが認めるところ、それが「瞬間的に切れやすい」に変わった・・・気持ち的には、この変化に全く対応できていません。鬱の一種なのかも。いずれ、仲間にも迷惑をかける時が来るんでしょうね。ひょっとしたら、友人を失うかも。
私の場合、血糖値が高い日が続くと起きやすいような気がします。このような精神的なストレスは、一般的に偏食、欠食等で、食生活の内容が著しく偏った場合に起きるようです。これって、血糖上昇に導かれているのかな。
一般的には、脳に必要なエネルギーや栄養素(ビタミンA、B群、C、カルシウム、鉄、グルタミン酸、タウリン、レシチンなど)が不足した時に、感情のコントロールが難しくなり、ちょっとしたことが我慢できず腹立ち、イライラする、いわゆるキレやすくなるみたいですが・・・.
私は、基本的に食事をする場合一人で食べます。味わうと言うより、かきこんで満腹感を得る事によって、自己満足する生活が約30年続いていました。「食育」と言う意味を解釈すると、この30年の食事スタイルが、ひょっとして、血糖上昇と連携して、瞬間的に切れる要因を作りだしているのかも知れないと最近思うようになりました。
食事って、バランスも大切だけど、「食べること」を通して、また、テーブルでの会話を通じて、心も育っていくんですよね。食卓を囲んで、語らい、楽しみ、味わう行為こそ、生きることの充実感を味わって食しているのかも知れません。この心も育つ部分が完全に欠落しているのではないかと・・・・
「食育」の原点は、この辺にあるのでしょうか? 至高の食事って、料理の味だけではないんですよね。素材、作り手、全体がバランスしてこそ、最高の味わいなんでしょうね。それを私は知らない。
私は、この心を育てる食べ方を放棄していましたので、性格的な無口で交際べたになったのかも。団体行動するよりは、一人でいる方が好きだったりします。会話もスムーズに進めません。これらは全て、食事から来る遠因かもしれません。
今一度、食卓を囲む事を楽しみ、居場所を作る事によって、精神的な安心感を生み出せ、外で受けたストレスを緩和する「居場所」を生むことが出来ればと思うのですが・・・そんな気がする今日この頃・・・
天気:雨後曇り
気温:最低温度:21.6℃ / 最高温度:24.2℃
今日の歩数計:16453歩 / 消費カロリー:486.30Kcal
歩行距離:約10.69km
過去から何度も吐露している瞬間的な切れの話題。何気に話している時でも、何がきっかけになるのか、瞬間湯沸かし器のように、自分が精神的に切れてしまう時がある。この症状は、この病気になって生まれたもの。
瞬間的にスイッチが入るために、感情のコントロールが制御できなくなるのが原因と思ふ。ほんの些細なことでも、我慢できずに腹立ち、またイラ(イライラが生じる)が生じるんですよ。難儀もんです。
不思議とこの瞬間的に入るスイッチは、スイッチが切れるのもほんまに早い。瞬間湯沸かし器のようなもんです。暴言を吐くことが多いけど、吐いたら終わり。
病気前の性格は、無口で温厚で、気が長い。誰もが認めるところ、それが「瞬間的に切れやすい」に変わった・・・気持ち的には、この変化に全く対応できていません。鬱の一種なのかも。いずれ、仲間にも迷惑をかける時が来るんでしょうね。ひょっとしたら、友人を失うかも。
私の場合、血糖値が高い日が続くと起きやすいような気がします。このような精神的なストレスは、一般的に偏食、欠食等で、食生活の内容が著しく偏った場合に起きるようです。これって、血糖上昇に導かれているのかな。
一般的には、脳に必要なエネルギーや栄養素(ビタミンA、B群、C、カルシウム、鉄、グルタミン酸、タウリン、レシチンなど)が不足した時に、感情のコントロールが難しくなり、ちょっとしたことが我慢できず腹立ち、イライラする、いわゆるキレやすくなるみたいですが・・・.
私は、基本的に食事をする場合一人で食べます。味わうと言うより、かきこんで満腹感を得る事によって、自己満足する生活が約30年続いていました。「食育」と言う意味を解釈すると、この30年の食事スタイルが、ひょっとして、血糖上昇と連携して、瞬間的に切れる要因を作りだしているのかも知れないと最近思うようになりました。
食事って、バランスも大切だけど、「食べること」を通して、また、テーブルでの会話を通じて、心も育っていくんですよね。食卓を囲んで、語らい、楽しみ、味わう行為こそ、生きることの充実感を味わって食しているのかも知れません。この心も育つ部分が完全に欠落しているのではないかと・・・・
「食育」の原点は、この辺にあるのでしょうか? 至高の食事って、料理の味だけではないんですよね。素材、作り手、全体がバランスしてこそ、最高の味わいなんでしょうね。それを私は知らない。
私は、この心を育てる食べ方を放棄していましたので、性格的な無口で交際べたになったのかも。団体行動するよりは、一人でいる方が好きだったりします。会話もスムーズに進めません。これらは全て、食事から来る遠因かもしれません。
今一度、食卓を囲む事を楽しみ、居場所を作る事によって、精神的な安心感を生み出せ、外で受けたストレスを緩和する「居場所」を生むことが出来ればと思うのですが・・・そんな気がする今日この頃・・・
天気:雨後曇り
気温:最低温度:21.6℃ / 最高温度:24.2℃
今日の歩数計:16453歩 / 消費カロリー:486.30Kcal
歩行距離:約10.69km
そうですね。
食事はただお腹がいっぱいになれば良いというのではないですね。
美味しさを味わって会話を楽しんでなどその他のことも大事だと思います。
それが食育につながるように思います。
栗吉さんもストレス解消の居場所を見つけることで
瞬間湯沸し器が薄れてくると思います。
一緒に食べるのは週末ぐらい。
栗吉さんと一緒に食べた日が懐かしい
みなさんと栗吉さんとドキドキしながら 緊張しながら食べたので。
小さい時から家族団らんで食べたので東京来てからは一人で食べる事が増えたような。
ゆっくりリラックスしながらできる日が来ますよ
うちの会社に日経新聞をすらすら読む外人がいるんですが、その人と食事に行くと、食事のスタイルが全く違うのに驚いてしまいます。10分もかければ終わる食事も長時間かけて食べます。三分の一が食事で、三分の二がコミュニケーションって感じで、ようもあんなにテーマを持っているなと驚きます。
でも、これが食育の第一歩なんでしょうね。最近、この外人さんに感化されているようです。日本に来て10年。新聞を読み、流暢な日本語を話すへんなおっさんですが、生活習慣を見習うことも多いようです。 瞬間的な切れは確かに園芸や散歩を楽しみ始めて、血糖も安定してから、少なくなったような気がします。やはり、ストレスも大きいのでしょうね。
一人で食べるのは、会社に入ってからずっとでした。お昼なんか、どんぶりか汁物(うどんや蕎麦)か皿物(カレー等)が多く、5~10分程度でかきこんで、仕事場に戻る生活。職場ではPCの前でかぶりつきも多いです。この数年は弁当持込なんで、PCの前でかぶりつきです。
ほぼこの生活が25年以上続いているかも。平日の朝は、私が4時40分頃、奥方は私が出勤後、夜は奥方が18時台に食べ、私が21時前後に食べるので、すれ違い人生ですね。変化を求めることは色々と浮かんでくるのですが、ここまで長く続くと、変わるのは不可能かも・・・そんな空気も漂って・・・