写真:我が家の庭先から「尾長寒葵」 宮崎県の固有種なんですよね。
最近は園芸種として低価格で出回り始めましたね。
相変わらず、仕事の時間の使い方が下手なようで。。。今日は朝から会社に出勤。恵比寿界隈にたむろしてました。最近は、休日という言葉が懐かしいような気さえします。今年は、大船植物園で開かれていた「山アジサイ展」に行けなかった。。。残念っす。
今日の朝の恵比寿駅から伸びる≪スカイオーク≫朝早い時間帯のせいか、土曜日だからなのか、閑散としていました3.
≪今日の恵比寿ガーデンプレイス≫この界隈に勤め始めて10年になります。
最近は、Blogを更新する暇も無いくらいの忙しさですが、会社勤めを始めて約30年。勤めていた期間の金融界は激動の30年だったような気もしますので、備忘録として、時間の合間に、Part1に続き「自分史Part2」を投稿してみたいと思います。
時代背景
すみません。独断と偏見と偏った知識が混じっており、事実と異なる場合があると思います。その場合は事実優先ってことで。。。
1973年10月に起きた「第4次中東戦争」から始まった「第1次石油ショック」、1979年2月に起きた「イラン革命」が引き金になって起きた「第2次石油ショック」、引き続き、1980年に勃発した「イラン・イラク戦争」から1980年前半は、世界的に物価上昇を生み、高金利をかもし出し、景気後退の世界的大不況の真っ只中から泡(バブル)が空中に漂うようになりました。
そして、足元をすくうように1983年からは円高不況、それを乗り越え、1986年頃から燻っていたバブルが徐々に泡盛状態に変化・・・本格的にバブル景気が誕生、成長しました。
バブル景気真っ只中、バブルの頂点が見え始めると当然、経済とは生き物なので、頂点から向かうは、底辺のみ。そうです。冷玉爆弾が爆発するわけです。
その冷玉が、1987年10月に「米国ブラックマンデー」による金融恐慌。ここを境に下降線を辿ると思いきや、最後の力を振り絞り上昇し、1989年12月には、日経平均ダウが史上最高値の38,915.89円をつけます。
当然の結果、最後の力を振り絞ったので、体力&余力なぞあるはずもなく、以降、バブルの大崩壊に向かうわけです。1999年当たりに「ITバブル」等小さなバブルが勢力を拡大しようとするもバブル崩壊による不況は、2001年頃まで続きました。
2000年、ITバブルが崩壊し、更に、9月11日に起きた同時多発テロで、アメリカの中枢「ワールドトレードセンター」が崩壊。そして、ブラック・.マンディーを上回る株価の下落。
そして、2003年4月には日経平均株価が当時のバブル後最安値7607円をつけました。しかしながら、景気は底から徐々に立ち上がり、いざなみ景気として膨らんでいきました。このいざなみ景気は、現在の不況の根源です。
いざなみ景気がふくらんだのは、リストラです。2002年から2007年にかけて、企業が正規雇用を抑え、非正規雇用を増大させていった結果です。正規社員が48万人減少し、臨時雇用形態が281万人増え、「格差社会」や「ワーキングプア」等の言葉が誕生したんですよね。
そして、いざなみ景気が最高点に達したとき、またまた、冷やし玉が。。。
そうです。2007年のサブプライムローン制度の崩壊、アメリカ住宅バブルの崩壊です。そして、止めが2008年のリーマン・ショックによる世界同時不況でしょうか?
2008年9月15日リーマン・ブラザーズが連邦破産法第11章の適用を連邦裁判所に申請した時点で、リーマン・ショックという言葉が誕生。。。
まぁ~!こうみると、1980年代からの時代は本当に金融の世界は波乱万丈な世界でした。その中で働けるなんて・・・滅多にない経験でしょうね。
1980年代最後、前会社に入社して中堅になりかけの頃、一応、事務方のマルチな人員として、会社の一員と認められているような、いないようなパッとしない人生を送っていました。当時は、自分の求めているものと会社上部が思っていることのギャップがあまりにも大きな事に、働く意欲を失いつつありました。
やはり、ハンディー持ちって、思っていたより厄介で、頑張っても、身分が確立されていないのだなと思い悩んでいました。
会社が会社として、障害者採用割当や税金対策のためのみに私を採用したのかなと勘繰る日々。にっちもさっちもどん詰まり状態が続いておりました。。。実際に飼い殺されるのかもと・・・
そんな時、思わぬところから、わたしに、トラバーユのお声がかかったのですよ。・・・びっくりですねぇ~! 当時、京浜急行黄金町横の元の会社が借り入れたマンションに住んでいたのですが、突然、他社に転職し、働いていた元他部署の上司から黄金町駅横の小さなおすし屋さんにいるので、こないかと誘われました。
お寿司だ! わっしょい、わっしょいと喜んで向かうと、なんと実力を試してみないかと転職のお誘いでした。 その紹介先が元上司が勤めていた当時、小さな、小さな規模で、発展途上中の実力主義・成果主義が基本の今の会社です。
ハンディー者でもあり、転職の不安も大きく、本当に実力が試せるのかと、前の会社を辞める決心がつくまで、約半年近くかかりましたが、元上司は、待ってくれていました。そして、入社・・・あれから約20年かぁ~!長いようで短かったような気がします。
今勤めている会社は、男女関係なく実力主義の小さな金融機関です。TeamworkとLeadershipとResponsibilityとproactiveを兼ね備えないとやっていけません。勤め始めて3~4年は、仕事とはこういうものかと、地獄を見たのかも知れません。
なぜならば、入社後は、これまた、前にも増して、金融の世界も波乱万丈な世界真っ盛り。。。
2000年にITバブルが崩壊し、更に、9月11日に起きた同時多発テロで、アメリカの中枢「ワールドトレードセンター」の崩壊。そして、ブラックマンディーを上回る株価の下落。
そして、とどめがアメリカで起きたエンロン・ワールドコムによる不正経理。アメリカ経済に新たな激震が走り、危うくなっていく中、私は、当時、大手町にあった小さな金融機関でもまれ続けました。
その後、九段下、永代橋そばの日本橋・新川、そして、恵比寿と流れ者のように、会社の成長と共に流されつつ、私も成長していったのでした。
2000年代は、コンピューターの2000年問題から始まり、気がつくと2001~2002年にかけてのITバブルの崩壊によるアメリカ金融危機。日本では、失われた10年(バブル)を得ていざなみ景気が起こり、その後世界同時不況(サブプライムローン問題(第二次世界恐慌ともいわれる)が起きと・・・
そして、とどめがこの世の終わりとも思われたリーマン・ショック。なんとまぁ~この約30年で、金融世界の栄枯盛衰を実際に見て、経験するとは・・・えらい時代に働いているような気が・・・
実は、この金融界の栄枯盛衰は、もろに私の給与にも響いたのでした。実現益主義とはこんな事を指すのだろろうか・・・こんな激動の時代を30年近く、味わい続けるなんて、幸せなんだろうか・・・! 不幸なんだろうか・・・そんな思いがする30年でした。
私が勤める会社は、実録を認められれば、障害(ハンディー)なんて、蚊帳の外で、出世できます。私も順調に階段を登り始めましたが、いかんせん、PC打つのに1本指打法だとみんなとの競争に完全に出遅れます。
何をするにも今の時代は、スピード時代。ほとんどのスタッフは、1分間に何百という文字を打ちこみます。キーボード1本指打法では絶対にかないません。 完全に取り残され始めています。会社で求められている資質で、必要なのは、「タッチタイピング」のスピードと「実力」の両方! どちらか一方が、かけても仕事は滞ります。
スピードでは勝てません。その分を補うには、朝早くから苦手分野に取りかかる必要があります。いつの間にやら朝の7時には席につくようになっていました。かれこれ、20年近く、このスタイルかも知れません。
それでも追いつかない現実。身体はぼろぼろ状態になり、定年まで、日当たりを歩むことは不可能。実力が伴わなければ、年収は当然下降線。将来的に絶対に勤まりそうもないです。それに、今のご時勢は厳しい環境の元、人件費削除に動くだろうし・・・なんか、団塊の世代の企業戦士のような・・・そんな気がする今日この頃です。
そんな私でもなぜか出会いはありました。この会社で働いて4年目だっけか。生涯独身貴族で行くと言い張っていた当時、個人で借金を背負って、日々午前様模様で仕事をしていた頃です。当たり前のように深夜のタクシー帰りと言う時代でした。そんな働き蜂の時代でも、きっかけってあるんですね。
約一年かけて結婚にたどり着きました。彼女はカトリック、私は無宗教・・・あれから、おんぶに抱っこしてもらって、約17年かぁ~! 仕事以外の管理は全てお願いしておりますが、お手伝いはちょこまかやっています。抱えていた借金も彼女が計画返済して完済しております。本当に感謝しております。なんせ、自分は宵越しの金は残さないタイプなもんで・・・(爆) ♪
自分史Part3に続く
天気:晴れ夕方一時小雨
気温:最低温度:13.8℃ / 最高温度:18.2℃
今日の歩数:14471歩 / 消費カロリー:461.0Kcal
歩行距離:約9.41km
最近は園芸種として低価格で出回り始めましたね。
相変わらず、仕事の時間の使い方が下手なようで。。。今日は朝から会社に出勤。恵比寿界隈にたむろしてました。最近は、休日という言葉が懐かしいような気さえします。今年は、大船植物園で開かれていた「山アジサイ展」に行けなかった。。。残念っす。
今日の朝の恵比寿駅から伸びる≪スカイオーク≫朝早い時間帯のせいか、土曜日だからなのか、閑散としていました3.
≪今日の恵比寿ガーデンプレイス≫この界隈に勤め始めて10年になります。
最近は、Blogを更新する暇も無いくらいの忙しさですが、会社勤めを始めて約30年。勤めていた期間の金融界は激動の30年だったような気もしますので、備忘録として、時間の合間に、Part1に続き「自分史Part2」を投稿してみたいと思います。
時代背景
すみません。独断と偏見と偏った知識が混じっており、事実と異なる場合があると思います。その場合は事実優先ってことで。。。
1973年10月に起きた「第4次中東戦争」から始まった「第1次石油ショック」、1979年2月に起きた「イラン革命」が引き金になって起きた「第2次石油ショック」、引き続き、1980年に勃発した「イラン・イラク戦争」から1980年前半は、世界的に物価上昇を生み、高金利をかもし出し、景気後退の世界的大不況の真っ只中から泡(バブル)が空中に漂うようになりました。
そして、足元をすくうように1983年からは円高不況、それを乗り越え、1986年頃から燻っていたバブルが徐々に泡盛状態に変化・・・本格的にバブル景気が誕生、成長しました。
バブル景気真っ只中、バブルの頂点が見え始めると当然、経済とは生き物なので、頂点から向かうは、底辺のみ。そうです。冷玉爆弾が爆発するわけです。
その冷玉が、1987年10月に「米国ブラックマンデー」による金融恐慌。ここを境に下降線を辿ると思いきや、最後の力を振り絞り上昇し、1989年12月には、日経平均ダウが史上最高値の38,915.89円をつけます。
当然の結果、最後の力を振り絞ったので、体力&余力なぞあるはずもなく、以降、バブルの大崩壊に向かうわけです。1999年当たりに「ITバブル」等小さなバブルが勢力を拡大しようとするもバブル崩壊による不況は、2001年頃まで続きました。
2000年、ITバブルが崩壊し、更に、9月11日に起きた同時多発テロで、アメリカの中枢「ワールドトレードセンター」が崩壊。そして、ブラック・.マンディーを上回る株価の下落。
そして、2003年4月には日経平均株価が当時のバブル後最安値7607円をつけました。しかしながら、景気は底から徐々に立ち上がり、いざなみ景気として膨らんでいきました。このいざなみ景気は、現在の不況の根源です。
いざなみ景気がふくらんだのは、リストラです。2002年から2007年にかけて、企業が正規雇用を抑え、非正規雇用を増大させていった結果です。正規社員が48万人減少し、臨時雇用形態が281万人増え、「格差社会」や「ワーキングプア」等の言葉が誕生したんですよね。
そして、いざなみ景気が最高点に達したとき、またまた、冷やし玉が。。。
そうです。2007年のサブプライムローン制度の崩壊、アメリカ住宅バブルの崩壊です。そして、止めが2008年のリーマン・ショックによる世界同時不況でしょうか?
2008年9月15日リーマン・ブラザーズが連邦破産法第11章の適用を連邦裁判所に申請した時点で、リーマン・ショックという言葉が誕生。。。
まぁ~!こうみると、1980年代からの時代は本当に金融の世界は波乱万丈な世界でした。その中で働けるなんて・・・滅多にない経験でしょうね。
1980年代最後、前会社に入社して中堅になりかけの頃、一応、事務方のマルチな人員として、会社の一員と認められているような、いないようなパッとしない人生を送っていました。当時は、自分の求めているものと会社上部が思っていることのギャップがあまりにも大きな事に、働く意欲を失いつつありました。
やはり、ハンディー持ちって、思っていたより厄介で、頑張っても、身分が確立されていないのだなと思い悩んでいました。
会社が会社として、障害者採用割当や税金対策のためのみに私を採用したのかなと勘繰る日々。にっちもさっちもどん詰まり状態が続いておりました。。。実際に飼い殺されるのかもと・・・
そんな時、思わぬところから、わたしに、トラバーユのお声がかかったのですよ。・・・びっくりですねぇ~! 当時、京浜急行黄金町横の元の会社が借り入れたマンションに住んでいたのですが、突然、他社に転職し、働いていた元他部署の上司から黄金町駅横の小さなおすし屋さんにいるので、こないかと誘われました。
お寿司だ! わっしょい、わっしょいと喜んで向かうと、なんと実力を試してみないかと転職のお誘いでした。 その紹介先が元上司が勤めていた当時、小さな、小さな規模で、発展途上中の実力主義・成果主義が基本の今の会社です。
ハンディー者でもあり、転職の不安も大きく、本当に実力が試せるのかと、前の会社を辞める決心がつくまで、約半年近くかかりましたが、元上司は、待ってくれていました。そして、入社・・・あれから約20年かぁ~!長いようで短かったような気がします。
今勤めている会社は、男女関係なく実力主義の小さな金融機関です。TeamworkとLeadershipとResponsibilityとproactiveを兼ね備えないとやっていけません。勤め始めて3~4年は、仕事とはこういうものかと、地獄を見たのかも知れません。
なぜならば、入社後は、これまた、前にも増して、金融の世界も波乱万丈な世界真っ盛り。。。
2000年にITバブルが崩壊し、更に、9月11日に起きた同時多発テロで、アメリカの中枢「ワールドトレードセンター」の崩壊。そして、ブラックマンディーを上回る株価の下落。
そして、とどめがアメリカで起きたエンロン・ワールドコムによる不正経理。アメリカ経済に新たな激震が走り、危うくなっていく中、私は、当時、大手町にあった小さな金融機関でもまれ続けました。
その後、九段下、永代橋そばの日本橋・新川、そして、恵比寿と流れ者のように、会社の成長と共に流されつつ、私も成長していったのでした。
2000年代は、コンピューターの2000年問題から始まり、気がつくと2001~2002年にかけてのITバブルの崩壊によるアメリカ金融危機。日本では、失われた10年(バブル)を得ていざなみ景気が起こり、その後世界同時不況(サブプライムローン問題(第二次世界恐慌ともいわれる)が起きと・・・
そして、とどめがこの世の終わりとも思われたリーマン・ショック。なんとまぁ~この約30年で、金融世界の栄枯盛衰を実際に見て、経験するとは・・・えらい時代に働いているような気が・・・
実は、この金融界の栄枯盛衰は、もろに私の給与にも響いたのでした。実現益主義とはこんな事を指すのだろろうか・・・こんな激動の時代を30年近く、味わい続けるなんて、幸せなんだろうか・・・! 不幸なんだろうか・・・そんな思いがする30年でした。
私が勤める会社は、実録を認められれば、障害(ハンディー)なんて、蚊帳の外で、出世できます。私も順調に階段を登り始めましたが、いかんせん、PC打つのに1本指打法だとみんなとの競争に完全に出遅れます。
何をするにも今の時代は、スピード時代。ほとんどのスタッフは、1分間に何百という文字を打ちこみます。キーボード1本指打法では絶対にかないません。 完全に取り残され始めています。会社で求められている資質で、必要なのは、「タッチタイピング」のスピードと「実力」の両方! どちらか一方が、かけても仕事は滞ります。
スピードでは勝てません。その分を補うには、朝早くから苦手分野に取りかかる必要があります。いつの間にやら朝の7時には席につくようになっていました。かれこれ、20年近く、このスタイルかも知れません。
それでも追いつかない現実。身体はぼろぼろ状態になり、定年まで、日当たりを歩むことは不可能。実力が伴わなければ、年収は当然下降線。将来的に絶対に勤まりそうもないです。それに、今のご時勢は厳しい環境の元、人件費削除に動くだろうし・・・なんか、団塊の世代の企業戦士のような・・・そんな気がする今日この頃です。
そんな私でもなぜか出会いはありました。この会社で働いて4年目だっけか。生涯独身貴族で行くと言い張っていた当時、個人で借金を背負って、日々午前様模様で仕事をしていた頃です。当たり前のように深夜のタクシー帰りと言う時代でした。そんな働き蜂の時代でも、きっかけってあるんですね。
約一年かけて結婚にたどり着きました。彼女はカトリック、私は無宗教・・・あれから、おんぶに抱っこしてもらって、約17年かぁ~! 仕事以外の管理は全てお願いしておりますが、お手伝いはちょこまかやっています。抱えていた借金も彼女が計画返済して完済しております。本当に感謝しております。なんせ、自分は宵越しの金は残さないタイプなもんで・・・(爆) ♪
自分史Part3に続く
天気:晴れ夕方一時小雨
気温:最低温度:13.8℃ / 最高温度:18.2℃
今日の歩数:14471歩 / 消費カロリー:461.0Kcal
歩行距離:約9.41km