2月23日、大分県日田市の小鹿田焼の里から、福岡県朝倉市に移動してきました。ここに、「筑前の小京都」と呼ばれる秋月があります。
朝倉市の中心部から、国道322号を北上していたら、右手に、
奥さん 「見て! 秋月城下町だって」
への次郎 「この石橋が秋月城下への入口だよ」
車を止めて近づくと、立派な目鏡橋です。
江戸時代に藩主が長崎から石工を招いて築いたそうで、日本で唯一御影石造りとか。
まっすぐ伸びた国道に戻り、先に進みました。
国道沿は商家町だったようで、今でも当時の面影が残っています。
国道を進むと、公共駐車場がありました。
ここに車を止めて、地図を片手に徒歩で散策に出発しました。
駐車場からまっすぐ南に伸びた道がありました。
「ん? けっこう人が来ている」
この道、杉の馬場といいます。江戸時代、馬場の左は秋月藩5万石のお城、右には武家屋敷がありました。
馬場を進むと、左手に秋月博物館があり、その隣りに萱葺の古い家屋がありました。
上級武士であった戸波半九郎の屋敷でした。
奥さん 「秋月の乱の首謀者の一人だって!」
への次郎 「明治初期に相次いだ士族の反乱の一つだね」
二人で合掌後、屋敷の横に回ると、おひな様が飾られていました。
馬場に出てくると、向かいのお宅にも。
その先のお宅には、「古都秋月雛めぐり」ののぼりが立て掛けてありました。
中には、たくさんのおひな様。左奥の部屋にもたくさん並べられていました。
二階に上がる階段にも。
ゆっくりおひな様を鑑賞し、馬場に出てきたら足元に、珍しい白タンポポ。
「もう春だね」
馬場をさらに進むと、左手に堀が残っていました。
その先にあったのは、
「うわっ!!」
下から上の長屋門まで、石段にずらりと並べられた約600体のおひな様!
長屋門の先には、
移築された黒門(大手門)がありました。
石段を上がって黒門をくぐり、左手に行くと、
懐かしい木造校舎の秋月中学校がありました。
奥さん 「ここにお城があったの?」
への次郎 「天守はなく、御殿があったようだよ」
馬場から西に回りました。
月見坂があって、坂の上に土塀に囲まれたお屋敷がありました。
上級武士であった田代家住宅です。
玄関に飾られたおひな様。
月見坂を下りて来ると、ここにも武家屋敷。
上級武士の久野邸です。
久野邸前を通り過ぎて右折し、突き当りの馬場から駐車場に向かおうとしたら、
奥さん 「溝の中の草、セリ?」
への次郎 「ん? セリじゃないよ、クレソンだよ! 野生の」
秋月は歩いて散策できる小さな城下町でした。
行った日はちょうど「古都秋月雛めぐり」をしていて、31カ所でおひな様を飾っていました。ここのおひな様、何よりも良かったのは無料だったことです。
秋月のみなさん、ありがとうございました。