への次郎が行く

カメラと地図を片手に気ままに出かけます。

江戸の面影を残す七宿場(その一) 馬籠①

2021年09月21日 | 宿場町

中央道中津川インターで下道に降りました(2021/9/21)。ここは岐阜県中津川市です。

国道19号線を北上し、中津川市街を通り抜け、山が迫ってきたところで、南から中山道の宿場町馬籠(まごめ)をめざしました。

 

あっ! 赤い大橋

中央道の落合川橋です。この橋の下を通って、山道を上っていくと馬籠です。

ここはもう、木曽だなぁ

 

馬籠宿

10時過ぎに、馬籠の南にある下入口近くの無料駐車場に入りました。3年ぶりの馬籠です。

おや??  車がほとんど止まっていない

駐車場に隣接にした土産物店も閉まっていました。

岐阜県は緊急事態宣言が続いているからなぁ

 

                    (ウォーキング馬籠宿 より)

馬籠宿は中山道43番目の宿場町。江戸末期の記録によると、宿場の長さは600メートル、人口は約700人だったそうです。

 

宿場内に入ると、観光客はチラホラ。このあたりで営業していたのは、土産物店の「花屋」さんだけでした。

道は先の突き当りで、左に曲がっています。その先は、

 

今度は逆に、右に曲がっている

道が直角に曲がった構造を枡形(ますがた)といい、外敵の侵入をここで防ぎました。

急だ! 岩倉具視(いわくらともみ)が乗った人力車が突っ込んだのは、このあたり?

水車は動いていませんでした。枡形の先は、

 

やはり坂道でした。

前を歩いている人たち、歩きにくそう

 

この清水屋さんは代々、馬籠の宿役人を務めていたそうです。

 

坂道は、まだまだ続きます。下扇屋さんは、土産物屋さん。アジロ笠をちょっとのぞいて、さらに上ると、

 

水車のあたりにハギの花!

右のおかき屋さんは、営業をしていましたが、お客さんはいませんでした。坂の上のこんもりとした木のあたり、たしか藤村の生家だったような

 

やはり、そうでした。

かつてここに馬籠宿の本陣があり、島崎藤村はここで生まれました。ただ明治の大火によって焼失。その後、地元住民によって再建され、現在は藤村記念館として公開されています。

3年前は入館しましたが、今日は取り止め。ここまでの坂道、老兵にはこたえましたよ。

このあたりで、一服

たしか、お隣は甘味処。そこで一休みすることにしました。

                                    つづく