中央道の中津川インターで下道に降りました(2021/9/21)。ここは岐阜県中津川市です。
国道19号線を北上し、中津川市街を通り抜け、山が迫ってきたところで、南から中山道の宿場町馬籠(まごめ)をめざしました。
「あっ! 赤い大橋」
中央道の落合川橋です。この橋の下を通って、山道を上っていくと馬籠です。
「ここはもう、木曽だなぁ」
●馬籠宿
10時過ぎに、馬籠の南にある下入口近くの無料駐車場に入りました。3年ぶりの馬籠です。
「おや?? 車がほとんど止まっていない」
駐車場に隣接にした土産物店も閉まっていました。
「岐阜県は緊急事態宣言が続いているからなぁ」
(ウォーキング馬籠宿 より)
馬籠宿は中山道43番目の宿場町。江戸末期の記録によると、宿場の長さは600メートル、人口は約700人だったそうです。
宿場内に入ると、観光客はチラホラ。このあたりで営業していたのは、土産物店の「花屋」さんだけでした。
道は先の突き当りで、左に曲がっています。その先は、
「今度は逆に、右に曲がっている」
道が直角に曲がった構造を枡形(ますがた)といい、外敵の侵入をここで防ぎました。
「急だ! 岩倉具視(いわくらともみ)が乗った人力車が突っ込んだのは、このあたり?」
水車は動いていませんでした。枡形の先は、
やはり坂道でした。
「前を歩いている人たち、歩きにくそう」
この清水屋さんは代々、馬籠の宿役人を務めていたそうです。
坂道は、まだまだ続きます。下扇屋さんは、土産物屋さん。アジロ笠をちょっとのぞいて、さらに上ると、
「水車のあたりにハギの花!」
右のおかき屋さんは、営業をしていましたが、お客さんはいませんでした。坂の上のこんもりとした木のあたり、たしか藤村の生家だったような…。
やはり、そうでした。
かつてここに馬籠宿の本陣があり、島崎藤村はここで生まれました。ただ明治の大火によって焼失。その後、地元住民によって再建され、現在は藤村記念館として公開されています。
3年前は入館しましたが、今日は取り止め。ここまでの坂道、老兵にはこたえましたよ。
「このあたりで、一服」
たしか、お隣は甘味処。そこで一休みすることにしました。
つづく