中山道の大井宿は、広重美術館の近くにありました。
これは阿木川に架かっていてる橋、大井橋です。
橋を渡ったところからが大井宿です。
●中山道・大井宿
今の恵那は、美濃の国恵那郡大井村にありました。それで大井宿。中山道69次のうち、江戸から数えて46番目の宿場町でした。
江戸末期の記録では、宿場の長さ870m、人口466人、家数110戸、本陣・脇本陣各1、旅籠41。かなり大きな宿場町でした。
宿場は5つの町に分かれ、各町を出入りするところに枡形(ますがた)が設けられたので、合計6つの枡形がありました。これが大井宿の特徴です。
では地図で確認。ピンクの線が散策ルートの旧中山道です。
「確かに直角に曲がった枡形が、6つある」
大井橋を渡って来ました。
右の建物は、「消費期限2時間」の栗粉餅を売っている大津屋です。
中山道は、大津屋の店先で左に直角に曲がります。これが最初の枡形。大津屋の前をまっすぐ向こうに走っている道は、のちにつくられた道路です。
その先、第二・第三の枡形を経て、中山道をコの字型に歩いて来ると、
「白壁の立派なお屋敷だ」
表札を見ると、岐阜5区選出の前衆議院議員のお宅でした。
その先は第四の枡形、中山道は左へ曲がります。
右折する道は、のちにつくられた道で、大津屋の前を通り、大井橋につながっています。
第四の枡形の右にあったのは、
唯一、江戸時代から営業を続けている旅籠、旅館いち川です。
第四の枡形を左折すると、こんな感じ。
中山道は、真っすぐに伸びていました。大井宿のメインストリートでしょうか。
その先の左手に、明治天皇行在所(あんざいしょ)がありました。
旅籠の旧伊藤家です。ここは、ガイド付きで入館無料でした。
明治13年、天皇がお泊りになった部屋、使われた風呂・トイレなどを見学しました。
そのあと外へ。あったのがこの長屋門。真ん中部分が本物、江戸期のものです。
もとは、大井宿の本陣か、岩村城にあったのではないか、ということでした。
その先にあったのが、ひし屋資料館。もとは、大井宿の豪商古山家の住宅だそうです。
改修・復元し、現在は資料館として、大井宿の町屋を体験してもらう施設になっています。
ここが大井宿本陣跡。本陣は林家が務めました。
正門と老松は往時のもだそうですが、中の建物は昭和22年に焼失したそうです。
中山道は、本陣の前で左に曲がります。第五の枡形です。
ちょっと本陣の右裏へ。
本陣林家の井戸がありました。和宮泉(かずのみやせん)といいます。
江戸末期、京都から江戸に下向する和宮に、この井戸の水が供されたそうです。
中山道をその先に進むと、第六の枡形がありました。ここで、右折します。
すると道は、急に上り坂となって中津川の方向に伸びていました。
坂道の左側にあったのが、高札場です。往時のものの四分の三サイズだそうです。
大井宿は、このあたりまでのようですね。
現在の大井宿では、江戸時代の建物で残っているものは、多くはありませんでした。往時の姿をとどめているものは、6つの枡形ですが、その道幅は拡張されていました。
このあたりの中山道は、国道19号から恵那駅に向かう道路になっていて、車が猛スピードで走っていました。散策には要注意のところですね。
最後に、広重の描いた「木曽海道六拾九次之内 大井」です。
降りしきる雪の中、大井宿に向かう旅人でしょうか。人も馬も、伏し目がちに進んでいます。寒さが伝わってきますね。
広重らしい、いい描写の絵です。