岐阜県瑞浪市にやって来ました(2021/5/14)。
江戸時代、瑞浪市の山中を中山道が走っていて、宿場町が二つありました。一つは東の大湫(おおくて)宿、もう一つは西の細久手宿です。今日は大湫宿に行ってきました。
国道19号を東に進み、瑞浪市釜戸町の交差点を左折すると、谷川に沿った急な上り道です。もう少しで宿場、というところで道をふさぐものが。よく見たら、「たぬき!」
しばらくこちらを睨みつけていましたが、やがて退散。無事、大湫宿に入りました。
まず地図で、周りの地形を確認しましょう(「ぶらっと散歩みずなみ」HPより)。赤線が中山道です。大湫宿は標高500mの高地にあります。西にはさらに100m高い山があり、その山すそに宿場は縦に形成されています。宿場の東には大きく区画整理された田んぼがあります。
車を止めた西駐車場から、宿場に入って行くと、⑬高札場がありました。ここから大湫宿になります。大湫宿は長さ約 340m、江戸末期の戸数は60~70戸、うち旅籠屋は30軒前後ありました。
宿場に入って少し進むと、西側の山の中腹に宿内を見下ろすように⑫観音堂がありました。
観音堂から見た宿内の光景です。写真右上に③宗昌寺(そうしょうじ)があり、そこまでが宿内です。
散策するために、まずは腹ごしらえ。来る途中、瑞浪駅の近くで買ったあまから本店の五平餅をいただきました。
お腹が満たされた後、観音堂から下りて行くと、そこにあったのは倒れた巨大な木でした。樹齢1300年、幹回り11mの⑪新明神社の大杉。この杉、2020年の豪雨の際に倒壊し、今でも根元に近い部分は現場におかれたままでした。
新明神社の少し先には、高級武士や公家が利用した⑩脇本陣がありました。一部は改修・縮小されているそうですが、ほぼ往時の姿を留めているようです。
さらにその先には、⑧問屋場跡がありました。問屋場とは、宿場の業務を担った役人が勤務していた役所です。木々が茂っているところにあったそうですが、建物は残っていません。その右に⑨白山神社の参道があって、奥に鳥居が見えます。
つづく