駄楽器駄日記(ドラム、パーカッション)

ロッキンローラーの打楽器日記

思い出の乃木将軍「戦艦三笠の巻」

2007年08月29日 | 駄日記
少年の頃、横須賀港の一角にある記念艦「三笠」を見るために父親に連れて行ってもらった。
それが夏だったのか冬だったのか、父と二人きりだったのか、他の状況は何も思い出せないが、戦艦三笠のことだけははっきりと覚えている。
いや、あれはただの家族旅行のコース上の時間稼ぎルートだったのかもしれないし、家族だけじゃなく父の友人一家も一緒にいたのかもしれない。
とにかく父親と戦艦三笠を見たということ以外、ほかの事は一切覚えていない。

子供だったオレの印象は、数十年と経た今でもはっきりとしている。
あの黒くて大きい戦艦に驚いたこと、大東亜(太平洋)戦争でなく日露戦争で戦った戦艦が残存していることに驚いたこと、何ともいえない艦内に漂う重油の重苦しい匂い、船上の構造物に残る弾痕の痛々しさと、船内や甲板上の展示品の違和感、妙に大きな煙突があった(蒸気機関船だから当然である)ことなどだった。
あれ以来、記念艦には行ったこともなく、当時の自分の印象は長い年月に醸成され膨張されたはずだが、なぜかとても臨場感があってつい最近見てきたかのようだ。
多分、オレは何度も夢で戦艦三笠を見てきているに違いない。

実はオレはいつの間にか、戦艦三笠には乃木将軍が乗っていた、と勝手に思い込んでいた。
もちろんそれは間違いである。
それは、三笠見学によって、少年だった自分の中に“日露戦争=戦艦三笠”という思い込みができあがり、高校1年の同級生「男岩鬼」が描いた「乃木将軍」という落書きによって、“日露戦争=乃木将軍”という二つの思い込みがいつしか結びついただけなのだ。

小説「坂の上の雲」によると、日本海軍の強さはロシアからも「トーゴー」と呼ばれ恐れられていたとあるが、海軍は司令官「東郷平八郎」が率いており、乃木希典は陸軍大将だから船には乗っていない。
しかも、この小説では東郷平八郎を代表とする海軍からの強い要望であった「203高地」攻撃について、乃木陸軍参謀の伊地知幸介の考え方の相違により全く無視し続けるばかりか、乃木軍の度重なる戦略失敗により日本軍に多大な犠牲者を招いたと、ぼろくその表現でこき下ろしている。

オレは、この小説を読み、目から100万枚のウロコを落とし、かなりの衝撃を得た。
「乃木将軍」について何も知らないこととともに、遠い昔の思い出から、勝手な思い込みでどうやらかなり神格化していたようである。
しかしながら、このあまりの辛らつな表現は、司馬遼太郎個人の考え方の表現であり、真正面に受け取ることもできない。
実際、乃木・伊地知両氏のご遺族からすれば、この超有名な小説は名誉毀損以外のなにものでもないだろう。

戦艦三笠の記念館には、東郷平八郎や乃木希典の資料が展示しているとのことだ。
近い将来、もういちどこの目でその勇姿や資料の数々を見たいと思っている。
また、いろいろな文献を読み、日露戦争の正確な事実を知りたいと思う。
だが、日露戦争の記録や時代小説は少ない。映画「203高地」もいつか手に入れて観てみたいと思っているが、まだその機会はない。
今回、日記に思いを綴ったのも、この淡い思いを「まあいいや」で実現しないで消えてしまうことを恐れたからでもある。
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