自分は、30数年間ドラムに魂を奪われたまま今に至っているんだけど、その間常に追い求めているのがロックンロールドラムのカッコ良さであります。
自分はそのカッコ良さを追求する中で、どうあがいても世界のトップレベルには到達できない自分を認めた上で、精神的にロックンロール道を求道する者でありたいと思っています。
そんな自分を「ロッキンローラー」と称して、ドラム以外の生活態度においても求道精神に置き換えて、ことあるごとに自分を鼓舞しているというのが、唯一自慢できる自分のアイデンティティーであります。
数年前から単純なしかし最高にカッコイイ8ビートを自分なりに分析し、ロックンロールビートについて考えています。
そういうわけで、以前思ったままに書き綴った手記を手直しして、自分なりのロックンロール(ロッキンロール)ビートを考察していきたいと思います。
その1.ニュービートの呪縛
自分が初めてドラムセットを手にしたのは高校1年の時で、パールのバレンシアという入門用のセットを、雑誌を見て通販で買ったものだった。
学校から帰ると大きな荷物が届いており、箱に「Pearl」の文字とドラムの絵が印刷されているのを見て、飛び上がるぐらいに嬉しかった。
晩飯も食わずに組み立てて、親父がやかましいと怒っても、いつまでもドラムを叩いた。ただしできるだけ小さい音で。
新品のドラムは、タム類がカンカンに張ってあって、音が甲高くて「カッコ悪い」と思った。
レコードで聴く、ドス、スタ、トーンという音とは雲泥の差があった。
夜が更けてもチューニング・キーを片手にタムやベードラを締めたり緩めたりして、そっとスティックで叩く。
緩めるとボヨンボヨンと頼りない音がして、締めるとカンカンと嫌な倍音ばかりが響いて、どうしたらいい音が出るか分からずに開梱してすぐに悩んでしまった。でも頭をかしげながらも楽しくて楽しくて仕方がなかった。
しまいにはやはり親父から「いいかげんにしろ!」と怒鳴られて寝たが、興奮して眠れなかったことを覚えている。
閑静な住宅街の小さな家に突然現れたドラムセットの、ドンドンと鳴る衝撃的な音は相当な騒音と感じたことだろう。
当時、自分はガキなので当然金はなく、家は貧乏だったので何万円もするドラムは買ってもらえず、自分で購入のはがきを送った。
値段は55,000円だった。今と違ってクレジットなんてものもなく、浜松の楽器専門店では一括現金払いでしか買えなかったが、月賦で支払えるというのが魅力だった。
数少ないドラムセットの中で、一番値段が安かったのがパールのバレンシアだった。
今思えば、あのクオリティで当時のあの値段というのはかなり高いと思う。とにかくあの時代は、ドラムセットなどというものは特殊な商品で、大量に製造できないしコストもかかるのだろう。
今なら入門セットなら、一式で30,000円ぐらいで買えるはずだ。
それまで、自分はドラムセットを叩いたことは一度もなかった。
学校にも、友人にも親戚にも、周りにドラムセットなんて持っている人はいなかったし、近所には楽器店もなくドラムセットを前にスティックを振るなんて、夢のようだった。
ドラムセットは、スタンドや椅子からシンバルまで一通りのものが付いていて、スティックさえあればすぐ叩けるものだった。初心者向けに、ドラム入門用のソノシートというペラペラのレコードも付いていた。
早速レコードに針を落として聞いてみた。
ソノシートのドラム講師は若きつのだ☆ひろ氏で、主に8ビートの叩き方についてレッスンしておられた。
「ロックドラムのカッコイイ叩き方はこうだ」と、ビートルズの“サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド“のイントロのドラミングを紹介していた。
「ドンパン・ドドパン」というリズム・パターンを叩き、
「今の時代はロックだよ、『ドンパパ・ドンパ』なんてイモなフレーズはもう流行らない。」と断言しておられ、オレはあっという間に洗脳された。
ご存知のとおり「ドンパン・ドドパン」という、2拍4拍のバックビートに圧倒的な重点を置くフレーズは、現在でも主流のロックビートである。
自分が「ニュービート」と表現したわけは、当時主流になりつつあったハイハット・シンバルがジルジャンの「ニュー・ビート・ハイハット」という名前だったからなんだけど、自分としてはこのフレーズこそ最新のロック・ビートだと信じて疑わなかったのだ。
当時は「新しい」と思ったかどうか覚えがないが、とにかくカッコいいと感じて、オレは早速チャレンジした。
初めてのドラムセットだったけど、このリズムパターンはすぐにマスターできて、自分の中でこのビートが唯一無比の最強ビートになった。
次の日も次の日も、飽きることなく「ドンパン・ドドパン」と叩き続けて、かなりの高速でもプレイできる自信が付いた。
自分ではこのリズムが唯一で、これしか必要も感じなかった。
(続く)
自分はそのカッコ良さを追求する中で、どうあがいても世界のトップレベルには到達できない自分を認めた上で、精神的にロックンロール道を求道する者でありたいと思っています。
そんな自分を「ロッキンローラー」と称して、ドラム以外の生活態度においても求道精神に置き換えて、ことあるごとに自分を鼓舞しているというのが、唯一自慢できる自分のアイデンティティーであります。
数年前から単純なしかし最高にカッコイイ8ビートを自分なりに分析し、ロックンロールビートについて考えています。
そういうわけで、以前思ったままに書き綴った手記を手直しして、自分なりのロックンロール(ロッキンロール)ビートを考察していきたいと思います。
その1.ニュービートの呪縛
自分が初めてドラムセットを手にしたのは高校1年の時で、パールのバレンシアという入門用のセットを、雑誌を見て通販で買ったものだった。
学校から帰ると大きな荷物が届いており、箱に「Pearl」の文字とドラムの絵が印刷されているのを見て、飛び上がるぐらいに嬉しかった。
晩飯も食わずに組み立てて、親父がやかましいと怒っても、いつまでもドラムを叩いた。ただしできるだけ小さい音で。
新品のドラムは、タム類がカンカンに張ってあって、音が甲高くて「カッコ悪い」と思った。
レコードで聴く、ドス、スタ、トーンという音とは雲泥の差があった。
夜が更けてもチューニング・キーを片手にタムやベードラを締めたり緩めたりして、そっとスティックで叩く。
緩めるとボヨンボヨンと頼りない音がして、締めるとカンカンと嫌な倍音ばかりが響いて、どうしたらいい音が出るか分からずに開梱してすぐに悩んでしまった。でも頭をかしげながらも楽しくて楽しくて仕方がなかった。
しまいにはやはり親父から「いいかげんにしろ!」と怒鳴られて寝たが、興奮して眠れなかったことを覚えている。
閑静な住宅街の小さな家に突然現れたドラムセットの、ドンドンと鳴る衝撃的な音は相当な騒音と感じたことだろう。
当時、自分はガキなので当然金はなく、家は貧乏だったので何万円もするドラムは買ってもらえず、自分で購入のはがきを送った。
値段は55,000円だった。今と違ってクレジットなんてものもなく、浜松の楽器専門店では一括現金払いでしか買えなかったが、月賦で支払えるというのが魅力だった。
数少ないドラムセットの中で、一番値段が安かったのがパールのバレンシアだった。
今思えば、あのクオリティで当時のあの値段というのはかなり高いと思う。とにかくあの時代は、ドラムセットなどというものは特殊な商品で、大量に製造できないしコストもかかるのだろう。
今なら入門セットなら、一式で30,000円ぐらいで買えるはずだ。
それまで、自分はドラムセットを叩いたことは一度もなかった。
学校にも、友人にも親戚にも、周りにドラムセットなんて持っている人はいなかったし、近所には楽器店もなくドラムセットを前にスティックを振るなんて、夢のようだった。
ドラムセットは、スタンドや椅子からシンバルまで一通りのものが付いていて、スティックさえあればすぐ叩けるものだった。初心者向けに、ドラム入門用のソノシートというペラペラのレコードも付いていた。
早速レコードに針を落として聞いてみた。
ソノシートのドラム講師は若きつのだ☆ひろ氏で、主に8ビートの叩き方についてレッスンしておられた。
「ロックドラムのカッコイイ叩き方はこうだ」と、ビートルズの“サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド“のイントロのドラミングを紹介していた。
「ドンパン・ドドパン」というリズム・パターンを叩き、
「今の時代はロックだよ、『ドンパパ・ドンパ』なんてイモなフレーズはもう流行らない。」と断言しておられ、オレはあっという間に洗脳された。
ご存知のとおり「ドンパン・ドドパン」という、2拍4拍のバックビートに圧倒的な重点を置くフレーズは、現在でも主流のロックビートである。
自分が「ニュービート」と表現したわけは、当時主流になりつつあったハイハット・シンバルがジルジャンの「ニュー・ビート・ハイハット」という名前だったからなんだけど、自分としてはこのフレーズこそ最新のロック・ビートだと信じて疑わなかったのだ。
当時は「新しい」と思ったかどうか覚えがないが、とにかくカッコいいと感じて、オレは早速チャレンジした。
初めてのドラムセットだったけど、このリズムパターンはすぐにマスターできて、自分の中でこのビートが唯一無比の最強ビートになった。
次の日も次の日も、飽きることなく「ドンパン・ドドパン」と叩き続けて、かなりの高速でもプレイできる自信が付いた。
自分ではこのリズムが唯一で、これしか必要も感じなかった。
(続く)