キャロルは、永ちゃんが楽器店で「ビートルズとR&R好きなやつ」とメンバー募集したところから始まったという。
なので、当然ビートルズがあって、キャロルがあるわけだ。
だが、キャロルに影響されて音楽を始めた青少年もいるはずで、キャロルを先に好きになってから、キャロルはデビュー前のビートルズを真似したんだという事を知り、それでビートルズを知ってファンになるという構図もある。
早い話、自分のことを言っているのだけれど、正確には「ビートルズのことは知っていたけれど、R&Rバンドだった時代を知らない」少年だった。
自分としては、ビートルズは歌バンドであり、アイドルグループという印象だった。珍しいパターンかもしれないが、その時に夢中になることはなかったのだ。
もともと音楽が好きで、白黒TVでグループサウンズを見たりラジオで洋楽を聞き、ベンチャーズやドリフのカトちゃんのドラムに憧れていたので、小学生の時にスティックだけ買って家で鍋やフライパンをパタパタと叩く迷惑小僧だった。
いろんな人からよく聞く「ラジオや兄貴の部屋から流れるビートルズを聞いたとたんに電気が走った」とはならなかったのは、歌やコーラスじゃなく、とにかくドラムの激しいビートに惹かれていたからだと思う。
とにかくドラムが好きだった。
高校に入ってから仲間とバンドを始めたいと思った。
垢抜けない少年だったオレも高校生となって色気付いた。不良っぽいものになんとなく憧れ、キャロルとバイクと暴走族を知るが、バイクや暴走族よりキャロルの方が10000倍よかった。
レコードを手に入れ、「ライブ・イン・リブ・ヤング」など擦り切れるほどに聞き込んだ。
ユウ岡崎さんの8ビートにしびれ、真似をしまくる。
このライブ盤のドラムは最高だった。パールのシングルヘッドタムを使っていて、生々しいドラムサウンドだった。特に「ヘイ・タクシー」のイントロのタムサウンドに痺れた。
オレはジョニーの歌声が好きだった。
ドラマーなので当然ユウ岡崎さんが好きだったが、歌声なら永ちゃんよりジョニー派だった。
ジョニーの声は、ジョンのように甘くて張りがあって透き通っていた。
ライブは一度だけ観に行った。解散少し前の豊橋公会堂でのライブには一人でホンダモンキーにまたがって行った。
しかしあのライブはひどかった。今では考えられないが、観客がシンナーを吸い出して喧嘩が始まり、警察が介入して途中で打ち切られた。すぐ隣が警察署なのだ。
オレはバイクの運転があまりにも寒くてライブ開始時間に遅れてしまい、しかも演奏途中で打ち切られたので、結局数曲しか聴けなかった。
だが、曲は忘れたけれど、オリジナル曲でない洋楽カバーがメチャクチャかっこよかった。
オレが見だしてからはすぐに引っ込んでしまったけれど、今思えばビートルズみたいだ。ビートルズも10曲程度30分ほど演奏してすぐに引っ込んでしまうのだから。
結局、キャロルはビートルズのハンブルク時代のスタイルで走り抜け、オレの記憶の中でもそのままなのである。
キャロルは自分が高校3年の時に解散した。1975年である。キャロルは1972年からの4年間が活動期間。短いのもビートルズに似ているが、キャロルはその半分だ。
伝説のアルバム「燃え尽きる・キャロル・ラストライブ」も、聞きまくったしコピーしまくった。アルバムのラストはパトカーと消防車のサイレンの音であり、豊橋公会堂のパトカーの騒ぎに記憶が重なる。
後で知ることになるが、けっこう同世代の知り合いがその日比谷公会堂まで行って、ラストライブを生で見ているようだ。
まさか火災になって驚いただろうと思ったら、案外演出だと思って楽しんだそうだ。
実際にこのライブを観ることができた人たちを羨ましいと思う。まるでビートルズの武道館ライブを体験できた人たちのように、二度とない奇跡に立ち会えたわけだから。
このアルバムでの洋楽曲、「グッド・オールド・ロックン・ロール」「メンフィス・テネシー」「ユーブ・リアリー・ガッタ・ホールド・オン・ミー」「ジョニー・B・グッド」「スロー・ダウン」などは大のお気に入りである。
初期のビートルズのアルバムにも収録されていたり、ハンブルク時代にも演奏していたカバー曲なのだろうと想像できて楽しいし、例えば「メンフィス・テネシー」のジョニーの歌声は本当にBBCライブアルバムで聞くジョンのようだ。
大人になってから、少しだけキャロルのコピーバンドでライブした。
当時、ラバー・ソウルというビートルズバンドでジョージ役をやっていた石田氏と永ちゃんにそっくりな渥美氏。年に2回だけライブをやったが、1~2年で終わってしまった。とても楽しかったんだが、渥美氏の仕事が忙しくなったということだった気がする。
実は今だから言ってしまうが、キャロルの曲で最も好きな曲はこれらカバーしたR&Rだったりする。もちろん「ルイジアンナ」「ファンキー・モンキー・ベイビー」などの大ヒットしたオリジナル曲も大好きではあるが、この年になると自分が人前で演奏するとなると少し恥ずかしい。
「ビートルズバンドを恥じらいもせずにやっているくせに何を今さら」と言われそうだが、ザ・スターキーでは今まで正面からクソがつくほど真面目にビートルズをコピーしてきているので何ともないが、中途半端にキャロルの名曲を演奏するのは気が引ける。素人っぽ過ぎるのが恥ずかしいのだ。
これらのカバー曲については、ビートルズ関連の曲だけに、いつかスターキーでも演奏したいなと思う。オレ自身は高校時代にあれだけコピーしたので、やろうと思えばいつでも演奏できるけれど、キャロルをさほど知らないメンバーがちゃんと練習したうえで。
キャロルを好きになってから、初めてそのルーツがビートルズと知ったと書いたが、当時同じように好きだったチューリップの財津和夫さんやオフコース、ザ・スパイダースなどGSの多くもビートルズに影響されていたのだった。
自分のように好きになる順番が逆の、後になってビートルズファンになる人間は、やっぱり少数派なんじゃないかなと思う。
なので、当然ビートルズがあって、キャロルがあるわけだ。
だが、キャロルに影響されて音楽を始めた青少年もいるはずで、キャロルを先に好きになってから、キャロルはデビュー前のビートルズを真似したんだという事を知り、それでビートルズを知ってファンになるという構図もある。
早い話、自分のことを言っているのだけれど、正確には「ビートルズのことは知っていたけれど、R&Rバンドだった時代を知らない」少年だった。
自分としては、ビートルズは歌バンドであり、アイドルグループという印象だった。珍しいパターンかもしれないが、その時に夢中になることはなかったのだ。
もともと音楽が好きで、白黒TVでグループサウンズを見たりラジオで洋楽を聞き、ベンチャーズやドリフのカトちゃんのドラムに憧れていたので、小学生の時にスティックだけ買って家で鍋やフライパンをパタパタと叩く迷惑小僧だった。
いろんな人からよく聞く「ラジオや兄貴の部屋から流れるビートルズを聞いたとたんに電気が走った」とはならなかったのは、歌やコーラスじゃなく、とにかくドラムの激しいビートに惹かれていたからだと思う。
とにかくドラムが好きだった。
高校に入ってから仲間とバンドを始めたいと思った。
垢抜けない少年だったオレも高校生となって色気付いた。不良っぽいものになんとなく憧れ、キャロルとバイクと暴走族を知るが、バイクや暴走族よりキャロルの方が10000倍よかった。
レコードを手に入れ、「ライブ・イン・リブ・ヤング」など擦り切れるほどに聞き込んだ。
ユウ岡崎さんの8ビートにしびれ、真似をしまくる。
このライブ盤のドラムは最高だった。パールのシングルヘッドタムを使っていて、生々しいドラムサウンドだった。特に「ヘイ・タクシー」のイントロのタムサウンドに痺れた。
オレはジョニーの歌声が好きだった。
ドラマーなので当然ユウ岡崎さんが好きだったが、歌声なら永ちゃんよりジョニー派だった。
ジョニーの声は、ジョンのように甘くて張りがあって透き通っていた。
ライブは一度だけ観に行った。解散少し前の豊橋公会堂でのライブには一人でホンダモンキーにまたがって行った。
しかしあのライブはひどかった。今では考えられないが、観客がシンナーを吸い出して喧嘩が始まり、警察が介入して途中で打ち切られた。すぐ隣が警察署なのだ。
オレはバイクの運転があまりにも寒くてライブ開始時間に遅れてしまい、しかも演奏途中で打ち切られたので、結局数曲しか聴けなかった。
だが、曲は忘れたけれど、オリジナル曲でない洋楽カバーがメチャクチャかっこよかった。
オレが見だしてからはすぐに引っ込んでしまったけれど、今思えばビートルズみたいだ。ビートルズも10曲程度30分ほど演奏してすぐに引っ込んでしまうのだから。
結局、キャロルはビートルズのハンブルク時代のスタイルで走り抜け、オレの記憶の中でもそのままなのである。
キャロルは自分が高校3年の時に解散した。1975年である。キャロルは1972年からの4年間が活動期間。短いのもビートルズに似ているが、キャロルはその半分だ。
伝説のアルバム「燃え尽きる・キャロル・ラストライブ」も、聞きまくったしコピーしまくった。アルバムのラストはパトカーと消防車のサイレンの音であり、豊橋公会堂のパトカーの騒ぎに記憶が重なる。
後で知ることになるが、けっこう同世代の知り合いがその日比谷公会堂まで行って、ラストライブを生で見ているようだ。
まさか火災になって驚いただろうと思ったら、案外演出だと思って楽しんだそうだ。
実際にこのライブを観ることができた人たちを羨ましいと思う。まるでビートルズの武道館ライブを体験できた人たちのように、二度とない奇跡に立ち会えたわけだから。
このアルバムでの洋楽曲、「グッド・オールド・ロックン・ロール」「メンフィス・テネシー」「ユーブ・リアリー・ガッタ・ホールド・オン・ミー」「ジョニー・B・グッド」「スロー・ダウン」などは大のお気に入りである。
初期のビートルズのアルバムにも収録されていたり、ハンブルク時代にも演奏していたカバー曲なのだろうと想像できて楽しいし、例えば「メンフィス・テネシー」のジョニーの歌声は本当にBBCライブアルバムで聞くジョンのようだ。
大人になってから、少しだけキャロルのコピーバンドでライブした。
当時、ラバー・ソウルというビートルズバンドでジョージ役をやっていた石田氏と永ちゃんにそっくりな渥美氏。年に2回だけライブをやったが、1~2年で終わってしまった。とても楽しかったんだが、渥美氏の仕事が忙しくなったということだった気がする。
実は今だから言ってしまうが、キャロルの曲で最も好きな曲はこれらカバーしたR&Rだったりする。もちろん「ルイジアンナ」「ファンキー・モンキー・ベイビー」などの大ヒットしたオリジナル曲も大好きではあるが、この年になると自分が人前で演奏するとなると少し恥ずかしい。
「ビートルズバンドを恥じらいもせずにやっているくせに何を今さら」と言われそうだが、ザ・スターキーでは今まで正面からクソがつくほど真面目にビートルズをコピーしてきているので何ともないが、中途半端にキャロルの名曲を演奏するのは気が引ける。素人っぽ過ぎるのが恥ずかしいのだ。
これらのカバー曲については、ビートルズ関連の曲だけに、いつかスターキーでも演奏したいなと思う。オレ自身は高校時代にあれだけコピーしたので、やろうと思えばいつでも演奏できるけれど、キャロルをさほど知らないメンバーがちゃんと練習したうえで。
キャロルを好きになってから、初めてそのルーツがビートルズと知ったと書いたが、当時同じように好きだったチューリップの財津和夫さんやオフコース、ザ・スパイダースなどGSの多くもビートルズに影響されていたのだった。
自分のように好きになる順番が逆の、後になってビートルズファンになる人間は、やっぱり少数派なんじゃないかなと思う。