ご迷惑でしょうが、送らせていただきます。
「ぬか」を一緒に送りますから。
手間を取らせますが、なにとぞ召し上がって下さい。
お嫁ちゃんたちのお母さま方へ。
ご迷惑でしょうが、送らせていただきます。
「ぬか」を一緒に送りますから。
手間を取らせますが、なにとぞ召し上がって下さい。
お嫁ちゃんたちのお母さま方へ。
「マイナンバーカード」については、
もう高齢者になった自分には、あんまり必要ないんじゃないか、
(就職も、結婚も、出産も、関係ないから、必要な書類をコンビニで作ることもない)
と、関心を持つこともなく、
というか、むしろ 申請率を上げるために2万円のポイントを付ける、なんて
「人参」をぶら下げるあたりがなんだか胡散臭く、
また、普及率をあげる目的で
その普及率を各自治体の地方交付税に反映させればいい、
なんて言い出す国会議員も出る始末で、
「マイナンバーカード」作成は、「任意」だったんじゃないの?
強制されるものなの?と憤りも覚え、
そのうえ、保険証使ったら他の人の情報が入ってた、なんて
個人情報の紐づけをめぐるトラブルが相次ぎ、
余計心配になったので、
ずっと、ほったらかしにして無視しておりました。
ところが、昨年末あたりから
岸田さんが「紙の保険証を廃止する」ようなことを言うようになって、
だんだんと、外堀を埋められた感が増してきて、
そっかあ、健康保険証だけは関係あるからなあ・・・、
と思い直した次第でした。
この冬にでも、市役所に作りに行こうか、と思っていたところで
必要な準備品を調べようと、市役所のホームページを開いたら
オンラインでも申請できることが分かりました。
ちょうど、免許の更新日で、写真が手元にあったこともあって
一気に、オンラインで申請を済ませてしまいました。
意外と、簡単で、短時間で済みました。
さあてさて、どのようなカードになってくるでしょうか?
いつできあがるのかな?
ちょっと、楽しみに待つ自分がいる・・・・・(苦笑)
一昨日、祝殿祭、しました。
2年ぶりでした。
(終了後の写真なので、尾頭付き(鯛)がありません。)
(尾頭付きは、神主さんに持たせます。)
昨年、本家の当番だったのですが、
本家の不幸と重なって、延期しているうちに
一年が経ってしまいました。
「昨年やらなかったから、今年も家でするわ。」と、
本家のお嫁ちゃんが言ってくれたのですが、
今年は、厄年を迎えた子供がいるので、
家でやらせていただきました。
長男は「後厄」(昨年本厄だったら、大変だったみたいなので・・・・)
次男は「本厄」、娘も「本厄」
長男は、この席には出席できませんでしたが、
三人分の厄払いをしていただきました。
ただただ、私の自己満足なのです‥‥。
厄落としをしてないと、何か起こりそうな気がして・・・・(苦笑)
そんなわけで、今年の祝殿祭も無事終わりました。
ずっと昔から続いている「祝殿祭」ですが、
息子たちの代になったら、どうなるかはわかりません。
吸い物椀や漆のお皿をお孫ちゃんたちと片づけながら、
「これ、チーちゃんがお嫁に行くとき、
あちらさんの親御さんを呼んで顔合わせする時、
使うかもしれないから、大事にしてね。」
と、言ったら、
「そういうの、きっと外に出てやります。」って、お嫁ちゃんに言われてしまいました。(苦笑)
そうだそうだ、
いまどき、こういうことを自分ちでやるのは古いんだよねえ。
「あけましておめでとうございます」
今日はもう、1月9日です。
令和5年が幕開けてから、もう10日になろうとしています。
昨年暮れからのせわしさが、今日まで続いておりました。
と、いっても、体よりも心の方が、ですが・・・・・。
毎年恒例の餅つきは、
男衆が中々日程が合わず、結局3回に分けて行いました。
25日土曜日に一臼(3升)、明くる日に一臼(3升)、そして29日に一臼(2升)
29日は、「苦」餅になる、と言って母がここに居たら反対したのでしょうが、
義姉が「福餅」とも言うわよ、と教えてくれて
「うん、ポジティブで良い!!」と、29日に最後の餅つきをしました。
かあかはこの日まで仕事でしたが、
お供え作りは、チーちゃんやナオちゃんのお手伝いが一人前に近くて、
とっても助かりました。
29日に最後のお餅つきをしたことで、
お節の重詰めを30日にやってしまうことが出来て、
31日は、しっかり御歳取りの準備と、
元日の新年会の準備が出来ました。
大みそかには、
チーちゃんがとおとと二年詣りを初体験しました。
私は、といえば
なんだか疲れてしまって、
紅白もそこそこに寝てしまったのでありました。
さて、今年の私の目標。
もう少しパソコンに向き合って、
ブログの更新をしたいと思います。
さて、どれだけできるかな?
今年もよろしくお願いいたします。
一昨日、
飼っていた猫(みゆちゃん)が亡くなりました。
老衰(たぶん)でした。
来年の春が来れば、
飼い始めて20年になりますから、
人間でいえば、95~6歳、というところでしょうか?
20年前、
当時勤めていた保育園の門扉の前に
生まれて間もない子猫が段ボール箱に入れられて置かれてあるのを、
早番で出勤した若い保育士が見つけました。
当時の職員に、
飼ってくれる人はいないか?と聞いてみても
みんな首を振るばかり。
ある職員が、
「グリーンファーム」で顔見世させてもらえれば、
お客さんの中で、だれか引き取ってくれる人が現れるかもしれない、
というので、お願いして置いてきたのですが、
3日ほどして、
「誰も飼い手が現れないから引き取りに来てほしい」と言われ、
また戻ってきた子猫ちゃん。
仕方がないので、
私が引き取って飼うことにしたのでした。
我が家では、その3年前に、
12年飼っていた犬が亡くなり
もう、生き物を飼うのは嫌だなあ、と思っていたので
あまり乗り気ではありませんでしたが、
当時高校3年生だった三男が、とってもかわいがり、
おしっこのしつけまでしてくれて、
「みゆちゃん」は、我が家の一員になったのでした。
(いたずら盛りのころのみゆちゃん)
みゆは、しっぽがちぎれていて半分しかなく、
だから、捨てられたのかなあ・・・、と思うのですが
どう見ても、器量よしではありませんでした。
でも、とってもお人よし(お猫よし?)でした。
近所の猫が、みゆの餌を食べに来ても
怒るわけでも、追い払うわけでもなく、
食べられるのを黙ってみていました。
それでも、時々、野ネズミを捕まえてきて
「どうだ!」と言わんばかりに、
私たち家族の前で、見せびらかしていました。
元気なころは、かなりやんちゃなみゆちゃんでした。
古い家の時は、
家の中への出入りを自由にさせていましたが、
家を新しくしたときには、
みゆちゃんにも新しい家(犬小屋ですが・笑)を主人が用意し、
みゆには、そこで過ごしてもらいました。
毎年冬になると、主人が小屋を毛布で覆い、
夜には湯たんぽも入れてやっていましたが、
あの夜が、今年初めての湯たんぽの日でした。
数日前から、主人が
「最期が近いかもしれない」ようなことを言っていたので、
暖かい湯たんぽの側で、最期を迎えたんだな、と思ったら、
なんか、良かったな、と思いました。
ほとんど主人が世話をしていて、
私は、あまりかかわっていなかったのですが、
それでも、いない、となると、
なんか、寂しいものですねえ。
その夜は、主人と二人
みゆちゃんの元気だったころを思い出しながら、
お酒を飲みました。
明日、埋葬します。